実家のそばにあった「アメリカ」
ぼくの実家のそばにも「アメリカ」があった。
今の福岡空港は、終戦前の1944年旧陸軍が席田飛行場として建設し、
翌年4月沖縄に上陸したアメリカ軍の偵察を主任務としていたようだ。
戦後すぐにアメリカ軍が進駐し、板付基地として接収された。
1972年、沖縄返還の年に米軍基地の大部分は沖縄の嘉手納基地に移転したが、今でも国際線ターミナルの南側に「アメリカ軍板付基地」は残っている(基地といっても無人の倉庫だが)。
滑走路は日米共同使用で、2021年には「5日に1回」のペースでアメリカ軍機が飛来している。
アメリカ軍が「板付基地」を返還する予定はない。輸送基地として重要という理由だ。
ちなみに1968年6月、当時駐留していたファントムが九大箱崎キャンパスに墜落したという事故が起こっている(日曜日の深夜で建設中の建物だったためけが人は出なかった)。
ぼくが小学生くらいの頃、福岡空港はまだ「板付空港」と呼ばれてたように思う(1970年に起きたよど号ハイジャック事件のときは「板付空港」と呼ばれていた)。
中学生のころ英語の先生は、昔はFENを聞くことができたんだよ、と教えてくれた。
アビスパ福岡のベスト電器スタジアムや、福岡国体の会場にもなった場所周辺は、演習場跡だったようで、中には入れなかったけど絶好の遊び場だった。
見張り台のようなものが立っていたりして、金網越しに昔はここでどんなことをやってたんだろうと、想像するだけでわくわくした。
都市伝説のように、土を掘り返すと不発弾が出てくるといううわさもあり、
子どもたちは、夢中で土を掘り返してた。
そんな場所がたくさんあった(福岡市埋蔵文化財センター月隈収蔵庫の裏には日本軍が使用していた弾薬庫が今も残っている)。
少し目を凝らすと福岡には「アメリカ」が多い。
1954年2月にマリリン・モンローがジョー・ディマジオとの新婚旅行で西戸崎のキャンプハカタに訪れている。
キャンプハカタも1972年にアメリカから返還された。
今は海の中道海浜公園になっていて、水族館があったり、野外音楽イベントが開催されたりしている。
西戸崎周辺にあった米軍ハウスはリノベーションされて今でも住宅や民泊として使われ、街には「アメリカ」の匂いが残っている。
航空自衛隊春日基地周辺は米軍住宅地で、兵士たち相手のバーやレストランでにぎわっていたという。朝鮮戦争で兵士が増えると、住宅地の外にも米軍ハウスが建築されたようだ。
航空自衛隊の築城基地は、普天間基地「有事展開拠点機能」の移設先の一つになっている。
土地の記憶やひとの記憶になっている「アメリカ」と、今も生きている「アメリカ」
ぼくが住んでる福岡はある意味「アメリカ」を沖縄に押し付けて、懐かしい記憶になっている。そしてぼくの「アメリカ」はわくわくする遊び場だった。このことは忘れずにいようと思う。
2022年は、板付基地の大部分が、キャンプハカタが、アメリカから返還されて50年だった。