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変化の階段

親の死

数年前から少しづつ近づいて、数ヶ月前からもうそろそろ…との変化を経ての親の死

そして生前、因縁深く、散々やり合い、そして老いていく中での対応で、やる事はやった!と思えていた。

なので突然のショック!とか、
受け入れられない!
という事は無く、一つ一つ対応している。

ただ、この春からの

心境の激変
怠さや眠気
浮世とハイヤーセルフの世界を行ったり来たりする天秤のような感覚

夏至や神社などでの導かれ感

そして親の死

なんというか、他人事としてうっすら眺めているもう1人の私がいるとしたら、

「いやーホント、ステージ変わるテンプレみたいな変化だよね。」

と揶揄しそうな展開である。

そして親戚のおじさんなどとの話で親の過去と接して感じる事は

社会の中で職業を持って生き抜く

というのは、私の人生の一つの大きなテーマだったのだろう

これは、私の親のそのまた親の…と脈々と紡がれたストーリーを見ても感じる一つの宿命だ。

どんなに嫌でも、社会と向き合わされ、職能を磨かざるを得ない状況

これは多分、今世私が向き合わされたカルマだろう

ただ、カルマと同時に、それを上手く果たせるように、それにまつわる長所?ギフトも合わせて持って生まれてきた。

だから放っておいてもある程度こなせる感じもある。

ただ、そのステージが気付かぬうちにある日突然終わっていた
それが最近の激しい違和感だったのだろう。

なので、もう同じ事をしていても、魂の決めた使命を果たしてる!みたいな充足感は無い。

渦中の時は充足感と認識していたわけでは無い。ただ、無我夢中で過ごせてた、違和感は無かったというのは、無意識に充足感や達成感があったのだろう。

そう、今までと同じ事をしていても虚しいのだ。

しかも周りを見渡しても
行き詰まった組織、システム…
崩れるにしても、被害が少ない様に、ソフトランディングさせる、または解決策が無いからひとまず延命するみたいな仕事ばかりだ。

まあ、一つの役割としてこの大変革期の中継ぎ、移行期を支える人員として今まで磨いてきた社会的スキルを発揮しろというのがあるのだろうけど。

ただ、それをまた使命!と受け取りそれに注力するのは違う

そして、スローライフ!や好きを仕事に!とかにシフトするのも違う気がする。

なんというか、それはあくまで
社会的に許せるとエゴが判断した夢だ。本当の自分の希望か?と言われると怪しい。

私が今唯一?この社会で楽しいと思うのは

静かな時間帯での明治神宮内苑の散歩だ。

人の多く無い時間帯、森に囲まれると、無理してこの世に、この地球に、この社会に合わせている我慢強さ?が外れ、心が解放される。

なんというか、少し魂が肉体から離れて、頭上でフラフラゆらゆらしながら、樹々に向かってあーでも無い、こーでも無いとお喋りしている。

とっても楽しい友との時間というか。
樹々と話し、時々カラスやハイヤーセルフとも話し、浄化される。そんな時間だ。

ただ、金になるわけでも無いし、将来につながるわけでも無い、人には言えない(怪しい…)が、純粋に楽しい時間。

親も旅立ち、ステージも変わる事だし、もう社会的に繕うのは辞めて、純粋に楽しい事をしよう。

なんで私生きてるの?との焦燥感や不安感に苛まれる事もあるが、そんなネガティブ感情に私は今支配されてたな…と自覚し、あとはほっとく。

親が旅立った今、不安になったら天にすがろう。

そして先を見ない。
今。ここで 

少し変かもしれないけど
人には心を解き放てないけど、樹々には心を解き放てる自分を受け入れる。
ゆっくりいる事を許す。
悪いようにはならない。
もう、カルマを果たしたんだから、あとは好きなようでいいんだよ。
インナーチャイルドに話しかける。

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