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執筆のやる気を上げてくれるブックガイド

書くことが好きであることと、24時間365日、書くやる気に満ちあふれていられることはまた別の話。

書きたいものはあるのに、どうしてもやる気が起きない。
あるいはペンが止まってしまう。自分で書いているものの正解がわからなくなる。
創作は孤独な営みであると多くの人が言う。異論はない。孤独だからこそ、自分で自分を立て直さなければならなくなるのだ。

そんな時は一度自分の創作から離れ、他の作家たちの言葉に触れることが、打開策のひらめきや気持ちの切り替えに役立つことがある。


ジャン=ルイ・ド・ランビュール著『作家の仕事部屋』(中公文庫)

フランスの作家25人へのインタビューがまとまった一冊。

タイトルのとおり仕事部屋をのぞいているようなワクワクが得られる。芸術家の仕事場を覗く雑誌の企画や動画は数多いしときめきがあるが、小説家の職場を文章を通して見学するのもまた楽しい。

僕は登場する25人の作家のうち、2、3人くらいしか名前を知らない。作品に至っては誰のものも読んだことがないかも……。つまり、全く知らない人々だ。

しかも初版は1970年ということで、現代との繋がりがやや薄いのも嬉しいところ。思い入れやライバル意識をあまり持たずに読める。
もし現在もバリバリ活動中の作家の言葉がまとまっている本だったら、燃えるライバル心がうるさくて気分転換に読むのが難しかっただろう。

ラフに描かれた表紙のスケッチも、個人的なお気に入りポイントのひとつだ。ページの紙はつるつるしていて、読んでいる間触っていても、ページをめくっても気持ちいい。

序文から、これはと思うところを一箇所引用する。

ある作家が鉛筆をどんなふうに削るか、どんな色の紙を使うか、タイプライターは何社製かをたずねること……もしそれが、言葉と言葉をある種のやり方で寄せ集めることによって、ある作家がひとりの読者に、いや何千人もの読者に及ぼすあの神秘的な作用について、より多くを知るための迂回路だったとしたら? そう考えただけで、私は、それまで神聖不可侵なものと思えていた山頂に通じる道のルートの存在を教えられた登山家になり変ったような気がした。

『作家の仕事部屋』11-12ページより

こんな序文から始まる本を紐解けば、自分も偉大な作家たちの気配みたいなものを一時的にだとしても纏うことができて、「神秘的な作用」を起こす力を得られるのではないか、という気にさせてくれる。

25通りの執筆スタイルを見渡せば、書き方なんて人の数だけあることが分かる。そしてその中に共通あるいは通底する価値観があることにも気づく。各人に合うやり方をしていても、大切なものを掴むことはできる、と言うことだろう。

あの人もあの人も全然違うスタイルで書いている。だったら私のやり方も的外れではないんじゃないか? 私も偉大な作家になれるんじゃないか? そんなふうに思える本だ。


スティーブン・キング『書くことについて』(小学館文庫)

僕がスティーブン・キングについて知っていたのは、外国語圏(たぶんアメリカ)の、有名な作家であるということ、ただそれだけ。

この本を読むまで、「IT」「キャリー」「シャイニング」に原作があり、すべてキング作品であるとはまったく知らなかったのだ。
(後述するアラン・ウェイクのことを思い起こすたび、スティーブン・キングがモデルなんじゃないかと考えてしまう。文章のリズムが似ている)

名前しか知らなかった作家について、この本を通し僕は深く知ることとなった。

この本はキングの創作論・文章論を書いたものとも、キングの自伝とも言える。
この記事ではモチベーションの話をしているので、『書くことについて』前半部にフォーカスして話を進めたい。

前半部「履歴書」の章には、スティーブン・キングの半生が自伝的につづられている。
僕は前述の通りスティーブン・キングが有名であることしか知らなかったので、漠然と「成功者なんだろうな」と言うイメージだけを持っていた。

それは半分だけ当たっていた。キングは生まれながらの成功者だったわけではなかった。

なかなか原稿が売れなかった時代の話は読んでいて参考になるし、読み手の励みにもなる。
有名な作家にも下積みの時期や評価されない期間があり、努力を続けていたのだと。

もし今自分がなかなか賞をとれなくて悶々としていても、明るい見通しを持ちやすくなる。キングのあの頃と同じ位置にいるだけかもしれない。自分はこれから評価されるのかもしれない。だから腐らず落ち込まず、書き続けていこう、と。


アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』((河出書房新社)

ル=グウィンが好きだ。
ゲド戦記の2巻「こわれた腕環」は特にお気に入りの一冊で、繰り返し読んだ。周囲の大人たちが課した制約や狭い世界から脱出するテナーに、幼い僕は憧れていたのかもしれない。

そんな大好きな作品を書いた人のエッセイを店頭で見つけて、心ときめかないわけがなかった。
見つけたその時は手持ちが足りなくて購入を見送ったのだけど、この本のことはずっと頭にあって、どうしても自分の手元に置いて読みたいから図書館で借りるのも我慢して、お金を作ってから買った。

収録されているエッセイは読みやすいものもあれば、当時の僕にとって難解で、ひたすら文字だけを追いかけるように読んだものもあった。
文化人類学者たるル=グウィンの専門知識の深さがこういう洞察を生み出すんだろうか……と思った。
読者に媚びていないというか、読者をナメていないというか。

著者の思考をそのまま紙に転写したように進む難解な文章に、私は勇気づけられた。難しかった内容はほとんど覚えていないけれど、勇気をもらったと言うことだけしっかり記憶に刻まれている。

私はこの本から、読者を置き去りにする勇気をもらった。

それまで、読まれるからにはついてきてほしいと思っていた。
意味がきちんと伝わるわかりやすい文章を書いて、おもしろいと思ってもらって、評価されたい。そう、僕は「人に認めてもらいたい」欲が強かったのだ。

だからこそ執筆中の邪念も多く、そのせいで筆が止まってしまう時があった。
「こう書いて伝わるだろうか?」
「もっと説明した方が良いんじゃないか?」
「これだとおもしろいと思ってもらえないんじゃないか」等々。

邪念は創作の流れを止めてしまう。
頭の中が解決できない疑問でいっぱいになってしまって、ペン先はちょっとも進まなくなる。自信がみるみる失せていく。
ル=グウィンのエッセイはそれらを振り払ってくれた。

読者を置き去りにする勇気、言い方を変えれば「これが私よ」とでもいうような自信が土台にあるような文章。
「わかってもらわなくてもいいの」というオーラがページから立ち上っている気がした。
読者にわかってもらえるか、認めてもらえるかという懸念は、きっと彼女が、あるいは他の物書きが考えるべき「大切なこと」には入っていないのだ。


おまけ:ゲーム実況「アラン・ウェイク」シリーズ

主人公のアラン・ウェイクはアメリカのベストセラー作家。
気晴らしに訪れたはずの田舎町で怪異に遭遇し、さらわれた妻を取り戻すため闇と戦うというストーリーのホラーゲームだ。

作中にはアランが書いた覚えのない原稿が登場するが、それはアランが書いたことになっているうえ、出来事は拾った原稿の通りに進行する。

書き手が、自分が書いたという物語に踊らされている。
あるいは抗って、バッドエンドに突き進もうとする結末を書き換えようとする。


いろんな実況者さんが動画をアップされているが、僕からは見やすいし推しなのでガッチマンさんの再生リストをおすすめする。

ガッチマンさんのアランウェイク実況はとても見やすい。チャンネル名のとおり「驚かない」ことに定評があるので、落ち着いたお声と態度で淡々と進めていく。
(ゲーム内にあるジャンプスケア要素は言及があったりなかったりするし普通にホラーゲームなので、苦手な方は作業用BGMにするとか、程よい距離を取ると楽しいところだけ味わうことも可能だ)

ガッチマンさんは実況スタイルとして、作業用BGMとして視聴する人のことも考えている。ボイスの入っていない読み物などを音読してくれたりもするので、画面に張り付いていなくてもある程度の展開を追えるのがありがたい。

アランは「妻を取り戻す」「自分の身も危険」という極限状態でも書くことを強いられる。
そこから生まれてくる原稿の、文章のリズム。随所で響くタイプライターの音……。シナリオそのものの面白さに引き込まれる上、見ていると自分も無性に書きたくなってくるから不思議だ。

僕は執筆に行き詰まっている時にアラン・ウェイクのことを知り、視聴するうちに「アランほどの極限状態じゃないし、気軽にもうちょっと書くか」と思えて自分のリズムを取り戻せた経験がある。

本ではないが、併せておすすめだ。


「煮詰まっているすべての人へ」

僕の手元にある『作家の仕事部屋』には、中公文庫50周年の帯が巻いてある。僕は帯を捨ててしまうことの方が多いので、この記事を書くにあたり久々に本を手に取って「珍しいな」と軽く驚いた。

帯にはこんなメッセージが大きく刷ってある。

書き物をしていて煮詰まっているすべての人へ。

『作家の仕事部屋』帯より

様々な理由で煮詰まるたび、「煮詰まらずにすらすら書ききれたらいいのにな」と思う。
そして同時に他の物書きたちを美化してしまう。

「煮詰まっているのは自分だけで、他の人たちはみんなすらすら書いているのではないか、自分は遅れをとっているのではないか」と。

創作は孤独だ。他の人が見えにくいからこそ、自分よりすぐれた他者を想像してしまって落ち込んだりする。

物書き仲間を見つけて語り合ったり、人見知りなら肉体を持った人間の代わりに本の中に「等身大の他者」を見つけたりして、「煮詰まっているのは、自分だけじゃない」と気づくことは励みになると思う。
過度に他人を大きく見ることも、自分を小さく評しすぎることからも抜け出して、不安のレンズで曇っていない実際の世界に意識を引き戻す助けになるだろう。

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Jessie -ジェシー-
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