吸水ポリマーと納豆と新年2024
新年からの痛ましい出来事に、「おめでとう」の文字がなかなか書けずにいました。懸命な作業を見守るしかないですが、どうか、1人でも多くの方の命と生活が守られますように。生き延びた方々の一刻も早い人生再建がありますように。
そして、関わってきた難民の若者たちが、1人でも多く家族と再会できる年になりますように。今も、悲しみと憎しみと恐怖の連鎖の中に置かれる人たちに、世界の眼差しと行動が少しでも向きますように。
そんなことを思いながらも私は、新年から、息子のおむつを間違えて洗濯機に入れて洗い、マシーンの底の果てまでいってしまった吸収ポリマーを片付けています。とほほ
今年は、息子3歳、つまり母3年目になります。
最初はとにかく守っておかないとと気が張り詰めるふにゃふにゃだった生き物が、自分の意思を持って保育園児の主張大会を朝から晩までやっています。
一昨日は納豆とご飯を混ぜちゃいけなかった日らしい。
雄叫びが上がる!
最後の1パックだったのにしくじった母は、大粒の涙の怪獣を励ましつつおんぶで一緒にコンビニに納豆を買いに向かう、そんな、謎に最強に体力を使う日々です。
昨年も、昨年とて、目まぐるしい1年でした。
新しい良き出会いもたくさんありましたが、10年越しの再会などを経験すると、ああ、長く生きてくのは味わい深いかもしれないなあと思ったりするものです。
だって、10代の頃には、10年越しの再会!なんてほぼなかったのだから。30代というのは、これまで生きてきた中で一番おもしろみがある。そんなことを、40代になっても80代になっても言っていたい。
カレンダーを振り返り5ヶ月くらいワンオペだったことを考えると、仕事でもプライベートでも家族・同僚・友人・知人・ときには友人の家族まで、たくさん支えてもらって一日一日が成り立っていた気がします。ギリギリセーフ神オペレーションも何度もありました。
(やった〜ギリギリセーフ!をやってしまうたびに、こうやってまた良くない成功体験が積まれてくんだな…と思いつつ)
文字通りぜんぜん記憶にない時期もあり、今年こそは日記を書こう!と心に誓う。その時に感じたことは、後から思い出そうとしても、そのときの感覚の解釈でしかなくなってしまう。けど、この先を考える時に、その「感覚」はきっと大事な気がしてます
さて、2024年の個人的な抱負を。
①視野と行動をWELgeeのみならず広げてみる
学生時代に起業してから、仕事とプライベートの境目もなくひたすら向き合ってきたのがNPO法人WELgeeの活動です。
難民人材と日本企業をつなぐキャリアコーディネーションプログラム「WELgee Talents」では、企業の皆さん応援団の皆さんと共に、紛争や迫害、人権侵害などを逃れて日本にやってきた難民の若者たちの人生再建の選択肢を「キャリア」を手段にすることで切り拓いています。
周りに起業家の友人たちもそこそこいるので、脇目もふらず取り組むことそれ自体そんな珍しいことではないし、なにより、8年間、必死だった。
いやー正直、この領域は日本では無理だよ、という”アドバイス”をたくさん受けつつも、事業をみんなで這いつくばりながら作ってゆくフェーズも簡単ではなかったけど、学生団体ではなくなり、有給職員が参画してくれるようになった組織を、複雑な意思決定を繰り返しながら、答え合わせする場所もなく進めてく方がずっと、学んでも学んでも自身の至らなさとの隣り合わせ。
でも、正解なんてないのですよね。正解にしてくしかない。
大好きな仕事を、とっても大切な人たちと一緒にできること自体は、これとない幸せなのと同時に、自団体だけに向き合って凝り固まって視野が狭くなっているとしたら、他にもあるはずの方法や、思考の余白をもたらすことができてないんじゃないかということを感じる場面に直面することもあった。
そしてイシューそのものについても。
社会課題は全て繋がっているので当然ですが、私の場合は深く難民問題と向き合おうとすると、移民問題に向き合わざるを得なくなりました。
入管法改正や、日本の経済政策、安全保障など含めて、そして、それらはひいては、日本がどんな国でありたいのか、自分が生まれ育った国をどんな国にしてゆきたいかを常に問われ続けることになる。今やっていること、目指すところの先まで通底する思想や意見も求められる。
別に、暫定的に消費されるいっときのコメントなら、尺も文字数もあるし、枝葉で述べる意見でいいかもしれない。
けど、チームでの議論や長期のビジョンを考えるに当たっては、そして大切な協働相手との連携も、どこかで辻褄が合わなくなり苦し紛れになる。それは嫌だ。
元々、多動な私なので、興味の赴くままに野生動物を檻から放したらどこまでいってしまうか自分が一番想像がつく。けれど、この「視野と行動を広げてみる」は、ずっと「いまじゃない」って抑え続けていたものだったことに気がつきました。
「1日24時間しかない中で代表が全ての時間を投入しなくてどうする!」とか、「1つのことにしっかり向き合いましょうって小学校の時も言われたでしょわたし」、とか「誠実じゃないと思われたらどうしようとか」、「まだ構造を変えるような成果まで辿り着いてないのに集中力を分散させるでない!」とか。
たぶん、そういう、頭の中の声が脳内を反響していたのだと思う。
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WELgeeを手放すとか、辞めるとか、そんなんじゃなく、むしろ、もっともっとコミットして向き合って、自団体に活かしたいから、メンバーとの対話に還元したいから、WELgeeがあって人生の選択肢が増えた、生きる希望に繋がったって思える難民の人たちが増えたり、構造の変化を実感できるところまで関わりたいから、視野と行動をWELgeeのみならず少しだけ広げてみようと思います。
(いやいや、いろんなことやってたじゃん!ってツッコミが聞こえてきそうですが、自分の中ではとっても抑えていたの!)
②「なるべく多くの人」から「深いつながりと関わり」
最初の最初、牛久の入管収容施設での収容者との面会に友人たちを誘ってみたり、難民の人たちに届ける富士登山企画にボランティアを募ったり、インターナショナルズに直接出会って対話したことがある人を増やそうと思って数年間、毎月毎月WELgeeサロンを開催したり、当時は特にひたすら「なるべく多くの人」が頭にあった。
「大事な課題だよね」「学生の頃、私も興味持ってたよ」と言ってくれる人には出会えても、それに仕事としてコミットして、一緒にやろうよ!って言える仲間に出会うにはけっこう時間がかかった。事業のカタチが見えてきても、大人(当時の私たちからしたら、社会人はみんな大人だった)の人たちに関心を持ってもらい、同じ目線で取り組む仲間になってもらうには、もっともっと時間がかかった。
でも、少しずつWELgeeファミリー(寄付者)として継続して応援してくださる人が450人を越えたり(次は目指せ500人。難民の若者たちの人生の選択肢を増やす試みへの応援団を募集しています!)👇
難民の若者たちの夢に耳を傾けともに挑戦してくれるようなビジネスパーソンも増えていった。関わってきたインターナショナルズも450人を越えた。
職員もフルタイム6人、専門職キャリアコーディネーター5人、そして業務委託などで関わってくださっているパートナーも片手に収まらなくなってきた!
「なるべく多くの人に知ってもらう」というのを、ずっと念頭に置いていたんだけれど、もちろんそれも大事なんだけど、2023年のいくつかの大切な出会いと関わりによって、ちょっと考え方が変わった。だって、「なるべく多く」に上限なんてないから。
啓発活動として目標数値をおくのはもちろん大事。
ただ、"個人の私"としては、それを超えて、「大切にしたい人との深い繋がりと関わり」を大事にできる年にしてみたいと思うに至った。
私は小学校2つ、中学校2つを転々とする「なんかいつも転校生」だった感覚が抜けてなくって、広くて浅い関わりの方がどちらかというと得意だった。大学の時も2回も休学してバングラデシュとか行っちゃってたから、卒業式は教授と職員さんとたまに一緒に飲む仲良しの警備員さんしか知り合いがいなかった。大学院に合格して一人上京した時も、東京には誰ひとり友達はいなかった。
だけど、8年もやってたら、小学校+中学校の年数に匹敵するし、この先、相手や自分の所属が変わっても途切れない関係性が築ける。
(Facebookさんは、月々2000円くらいなら払いますので、どうかお友達人数の上限を撤廃してください!)
③家族対話の時間を意識的に増やしてゆく
共働きの私たち、お互いが固定の勤務時間に縛られずに割と自由裁量で働いている私たち、土日もお互いともが休みとは限らない私たちにとって、家族の時間は、意識的に、努力して、確保し続けるしか道はなさそうだ。
朝起きた瞬間からフルチンで踊っている怪獣がいて、牛乳を床にこぼされながら朝ごはんを食べてダッシュで保育園に送っていき、保育士さんたちに心から感謝しつつ仕事して、あっという間に18:00にお腹を空かせた怪獣が帰ってくる。
何曜日はどっちが迎えに行くかというルーティーンは、我々のワークスタイル上、結局確立せず、「今日行けるかな?!」をお互い毎日やる。ある日はどちらかが、夜もオンラインミーティングとか入りながら、運動会のように風呂に入れる。
コビト1名でこんなことになるのだから、夫の9人兄弟ネタは今日も想像を超えるけれど、2.3.4人とかでもout of imagination. 世の親の皆さま、毎日本当におつかれさまです!
そして「もういっかい!」を気を失うくらい繰り返す絵本タイムを経て、寝かしつけ・・・でも、その後の「今日は何したの〜?」という問いかけに、一生懸命に答えてくれるのが可愛くて楽しくてずっとおしゃべりタイムとなる。だめだ・・・私の方が先に眠い・・・特に冬は本当にだめだ。体温が暖かい・・・ここから起きあがるなんて拷問に近くて、金縛りのように枕に埋もれてしまう。
子どもを持ててよかったと思っている。
自分の中に、こんなにも喜怒哀楽があったんだなあってことを思い出させてくれるし、毎日が人生で初めての人の目線で世界を見ると、全部が楽しい。
家族のあり方については、いろんな先輩や友人に、いろんな話を聞いてきた。どんなあり方であっても、最終的には、お互いの納得感が大事なんだろうなということがわかった。だから、私たちなりのあり方の納得感を見つけに、対話の時間を意図的に増やそうと思う。
さて、書き始めたら長文な、とても個人的新年の抱負となってしまいました!ここまで読んでくださった方ありがとうございます。飾れもしない、今の自分の等身大だなあという感じです。
コーチという存在に出会えて、定期的に自分のメンテナンスをできているのも大きいと思う。ありがたいです。
「何か」に気を遣って生きてた気がする自分を再認識できたので、本年は、気を遣わずにやってみようと思うしもっと素直に生きてみようと思う。そして、起業する前に、メンターにとことん言われた「やるなら誠実に」という大事な言葉は、常に忘れないでいたい。どんな活動も、どんな仕事も。
そして、すぐじゃなくっても「何か」の正体にも目を背けずに向き合えたらと思う。
最後に、改めて、今も寒さと不安の中にいる方々に1日でも早い平穏が訪れますよう、私もそれぞれのフェーズでできることを模索してみます。
そんなこんなの私に関わってくださっている皆さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
2024年1月5日
渡部カンコロンゴ清花