神様も迷ったり揺れたりするのかも。〜スマホ修理顛末記〜
先日、使っていたスマホ(iPhone)のガラス面が割れました。
ガラス面だけ交換できることを知らなかった私は「買い換えるのは高いしなあ。シールを貼っているので触って違和感がある訳ではないし、普通に動くので我慢しようかなあ。」と思い、しばらくそのまま使っていたのですが、やはり、光の当たり方によって時々目に入る割れた筋が気になり、パートナーに「買い換えてもいい?」と相談しました。
このところ、ちょっとあまり良くないことが続いていて、昔、知人が「車で少し擦ったり凹んだりした時に、そのままにしておくと、悪い運勢や事故を呼び込みそうなので、どんな小さな傷でもすぐ修理する。」と言っていたことなども思い出して、「買い換えろということなのかなあ。」とも思ったのです。
パートナーは「ガラス面の割れだけなら交換もできるけど買い替えまで必要?」。買い換えるなら来年iPhone14が出るまで待った方が良いのでは?ということらしい。
ガラスだけ交換できることを知らないほど機械に疎くて、買い換えるとなるといろいろ設定も大変だし、操作方法が変わってしまうと慣れるまでまた一苦労なので、交換で済むならそれで十分。幸い、他の機能には異常は無さそうだし、と、教えてもらった修理屋さんに行ってガラス交換だけしてもらいました。
次の日、パートナーに電話したら、何だか変。通じてはいるようなのだけど、相手の声が聞こえない。うっかりスピーカーフォンに切り替えるところにタッチしてしまったのか、スピーカーフォンからは相手の声が聞こえて来る。
外出先だったし急いでいて、とりあえず用件は伝わったので、その時はそのまま忘れていました。
次の日、パートナーに電話した時、やっぱり相手の声が聞こえないことがわかり、不調に気づきました。
家に帰って、パートナーにも協力してもらい、いろいろやってみた結果、通信自体は正常にできている。相手はこちらの声もちゃんと聞こえている。こちらも着信はちゃんとするし、スピーカーフォンにすれば相手の声もちゃんと聞こえている。受話器?の音声だけが聞こえないということがわかりました。
それでも電話をする時、常にスピーカーフォンにしておくわけにもいかず、この状態を放置できないので、今度はAppleの正規のショップに持ち込み修理を依頼することにしました。
ところがパートナーが私のiPhoneでネット予約をしようとしたら、まず予約ページになかなか辿り着けない。パートナーのiPhoneと私のとはバージョンが違うせいか、パートナーが自分のものですぐに検索できた方法でやってもそのページが出てこない。
やっと辿り着いて、必要事項を入力して送信しようとすると、今度はどうしても送信できない。
「何でだよ!」とイライラするパートナーを見ながら私が思ったのは「iPhoneが『修理を嫌がっている』」でした。
ちょうど、その前の日、SNSで過去のこの日に大きな節目を迎える日だったことを思い出したり、他の方が紹介していた「身の回りの電化製品、特に通信機器が壊れる時は、新しいステージに進むことのサイン。古いものを神様が切り離そうとしているのだ。」というブログをシェアしていたのもこの日だったことに驚いたばかりでもありました。
結局、パートナーが自分のiPhoneで予約をしてくれて、出かける準備をしている時、「もし修理にすごく費用がかかったり、時間がかかったりするなら買い換えてもいい?」と言ってみました。
「いいけど、何で?」と訝るパートナーに「機械が『修理じゃない』と言っているような気がする。」と答えると、パートナーは「オカルトだな。それは」と不思議そうな顔でした。
ショップに行く道すがらも、私の中では「修理ではなく、買い替え」のつもりでした。
でも、ショップで見てもらうと、ディスプレイの交換をすれば直るとのことで、費用も買い替えよりはだいぶ安く済むし、当日中に修理が可能とのことで、結局修理をお願いすることにしました。
修理の出来上がりを待つ間、ビル街の真ん中とは思えないような気持ちの良い屋外テラスを見つけ、そこで待つ間に「修理で本当に良かったのだろうか?買い替えだと言っていると思っていなかった?」と自分の心に聞いてみました。
それでも不思議なほど、「修理」を決めたことに対して後悔はありませんでした。そうかといって
慣れたものを変えたくないと言った執着からの「変えなくて済んでよかった」といった気持ちも感じず、すごく晴れやかな気持ちでした。ただただ、不具合が直ってよかったという気持ちだけだったのです。
すごく不思議でした。出る前はあれだけ「修理に抵抗していた」と感じたのに、機械もすんなり修理に応じてくれた。いやいやでも仕方なくとか、開き直ったとかいったネガティブな気配は微塵も感じず、ただ、すっきり晴れ渡っている。
神様の言うこともその時によって変わるの?そう思った時、神様も迷ったり揺れたりすることがあるのかもしれないなと思いました。(ここで言っている「神様」とは特定の宗教の神様のことではなく、偶然とか人の力の及ばないところで起こることを何となく司っているものがあるとしたらそのような存在というような意味で使っています。)
神様もいつもいつもスパッと答えを出せて、変わらないわけじゃないのかもと思ったら、何となく少し肩の力が抜けました。
「買い替えだと思っていたけど、このiPhoneはやっぱり今は修理でいいや。大丈夫。古いものを今切り捨てなくても、ちゃんと新しい道に進んでいけるよ。」と考えを変えられたのかもしれません。
本当に買い替えるべき時期が来たら、きっとまた別の部分の不具合が出るのでしょう。その時は本当に買い替えだなあと思いながら、修理したiPhoneでこの文章を書いています。