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【呼吸のワーク日記】(2024.6.16)
久しぶりの先生と1対1でのオンラインワーク。
先々週の対面ワークでご一緒した方と先生が7月15日に高円寺で開催するトークイベントのお話などをしているうち、体も自然に動き出す。
どういう動きをどういう順番で...といったマニュアルやルールが全くないこのワーク。自分の体の声を聞いて動く私を画面越しの先生はただ見ている。
体が自然に落ち着くべきところに落ち着いたあたりで、今はご自身ではどんなところにアクセスしていたのですか?と聞かれて自分がしてきた動きとそこから感じた体の状態を思い出しながらことばにする。
同じ動きをしていても、観察する視点が変わると体の感じ方も全然違ってくる。
自分が気が済むまで体の感覚を味わい、それを言葉にしてみて、そこへの問いかけからまた新しい視点が開かれる。
ここに自分の体が「ある」ことを楽しみ、体の中に水が満ちてくるような感じから、満ち切った時に「どうするか」迷ったという言葉を使った意義を掘り下げる。
「どうなるか」と「どうするか」の違い。その時、自分の体は何をどう感じていたのだろう。
これは頭の中で理詰めで考えることではなくて、ましてやことばの使い方の適否をジャッジするものでは全くない。
体が伝えてくれるものを言葉という形にして声に乗せて外に出すもの。そして本当は「どうなるか」がわからなくて、ガイドしていた手をどう持っていこうか迷ったこと。
エネルギーの動きに委ねるのか、ガイドとしての手で誘導しようとしているのか。どちらでもあり、どちらでもない気がする。
ふと左肩に手をやってすぐに体の一本の線が繋がったので、右肩もやってみたら、すぐに繋がらず、しばらく手を当てていたらじんわりと脱力が右半身全体に広がっていった。
そこから意外なことを問われる。右側が何かまだ表現したいことが残っているように見えたとのこと。何か思い当たることはないですかと。
最初、そういえば前回、対面ワークの部屋で実際の声を出してみたことを思い出して、声を出したいなあと思った気がして、それを言ってみたけれど、何だか腑に落ちない様子。
それ以外に何かあったっけ?と考えていて、ふと思い当たることがあった。
私が中身を言う前に、「これかも」といった私の体に清涼感が走ったのが見えたと言うことで、多分体が言いたいのはそのことだと思いますと促される。
それはこのところ自分の中でも迷いがあって、ワークの中で答えを探したいと思いながら、その場で話せばおそらくこういう方向に行くだろうと思われることを受け入れる覚悟があるのかに自信がなくて、その時まで話していないことだった。
そこからいろいろ話は弾み、やはりこういう方向で進むだろうという方向に進んだが、今日、すぐに結論が出なくてもいい、一歩前進どころか、一見後退と見えるような動きでも、今日、一歩動いてみたということに大切な意味があるというのが今日の答え。
それにしても体は正直。そして体の本当の声と向き合うワークは結構、いやかなりすごい。