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 最近、ある若者がスパイに憧れているという話を、ネットで読んだが、そういうことを、私は変だとは思わない。

 世の中には「SPY FAMILY」や、クレヨンしんちゃんのスパイ物語アニメがある。それに、映画に目をやれば「007」シリーズがあるし、「キングスマン」シリーズも「イミテーション・ゲーム」もある。「ジャッカルの日」のような傑作小説もたくさんあるし、スパイや情報機関について書かれたドキュメンタリー本も多少ある。加えて、ネット社会では、米のCIA・中央情報局をはじめとして、多くの情報機関がSNSのアカウントを持っており、盛んに情報を公開している。だから、一般人でもスパイの世界に浸るのは難しいことではないだろう。


 だが、私はあえて言おう。スパイは残酷であると。


 事実として、世界には、スパイによって殺されたり、人生が狂った人々が少なからずいた。特に秘密警察のスパイが国民を弾圧した、そういう歴史を持つ国は多い。例えば、ソ連のKGBはどうだ? あの国は労働者の天国と言いながら、その社会では政治の自由も言論の自由も限られていた。そしてKGBが国民を監視し、弾圧していた。東ドイツでは、情報機関のシュタージが、国民のあらゆる階層にスパイのネットワークを張り巡らしていた。国民の4分の1がそれに組み込まれていたともいう。親子がお互いをスパイしたり、教会における人間関係も監視されていたのだ。その結果、多くの国民が精神的に傷ついた。

 韓国でも、情報機関や警察が反共産主義を名目に市民を弾圧していたし(映画「光州5・18」「1987、ある闘いの真実」「KCIA 南山の部長たち」)、台湾にも白色テロの歴史がある。それに、北朝鮮による日本人拉致問題も、北朝鮮のスパイが行なった特殊工作だ。加えて、現在のロシア、中国の3カ国のスパイや国民監視の実態はどうなのだろう。

 日本にもスパイの問題はある。太平洋戦争中は、軍事警察である憲兵と特高警察が国民を弾圧していたが、そういう社会には、政府のスパイが暗躍しているのが常だ。そして、米国との諜報戦に負けたから、日本は戦争に負けたのだ。日本の高度な暗号まで米国などに解読されていたことは事実であった。

 沖縄ではスパイ養成機関・陸軍中野学校を卒業した軍人が少年の群れを指揮して、ゲリラ戦をやらせていた。そして、市民が米軍のスパイになることを恐れた軍は無実の市民を殺害し、さらに、疑心暗鬼に陥った市民同士が殺し合いをしていた。それはドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦争」に詳しい。

 また、久米島守備隊住民虐殺事件も、日本人を守るはずの旧日本軍が、島民にスパイの疑いをかけ、殺害した事件である(ETV特集 「久米島の戦争~なぜ住民は殺されたのか~」は、NHKオンデマンドで視聴可能)。狂気に取り憑かれた人間たちが何をしでかすかという恐ろしい実例である。

 現代では、公安警察や公安調査庁が対スパイ活動、あるいはスパイ活動をしており、公安調査庁は北朝鮮事情に強く、拉致被害者問題を担当しているようだ。だが、マスコミはほとんど報道しない。記者クラブ制度でそれらと密着しているからだ。

 マスコミが報道しない公安警察といえば、ネトウヨを中心に、スパイ防止法の制定を求める人たちがいる。もしそれが実現すれば、秘密主義の公安警察の増大を招き、かつ、国民がその活動を監視出来ないことになる。だが、同法を求める人たちは、そこまでは考えていないようだ。公安は、大川原化工機事件をでっち上げたことがあるし、転び公妨(ころびこうぼう)でわざと人を逮捕することもある。無条件で彼らを信用することはやめた方がいい。私は警察必要論者であるが、あえて、そう言おう。


 米国には、911事件以後の対テロ戦争において、グアンタナモ基地における、容疑者とされた人々の拘留問題がある。それに尋問と称して、拷問を行っていたことは事実であった(「ザ・レポート」「モーリタニアン 黒塗りの記録」)。加えて、スノーデンの暴露により、情報機関が、全世界の通信データを想像を絶する規模で傍受し分析していることが明らかになった(映画「スノーデン」)。米国は今では、プライバシー侵害大国なのだ。

 だから、スパイは国益のためなら、人を騙し犯罪行為もいとわない残酷な人間でもある。


 そこで、私がその若者にお願いしたいこと。それは、スパイの残酷さ「も」知ってほしい、ということだ。残酷さを知るとは、スパイについて専門書を読んだり、スパイ物の映画を見ていればいい。やがてわかるだろう。

 歴史を紐解けば、無実なのにスパイだと言われて問答無用で虐殺された人々がいた。それに、スパイにより傷つけられた人々、殺された人々がいた。あるいは逆に、傷つけられ、人知れず殺されたスパイたちがいた(「間諜X」)。それを心に留めておいてほしい。そう願う。

 スパイの面白い部分だけを記憶しているだけでは、一人の大人として足りない。いつか、その若者が今よりも有名になったとき、誰かが、若者の「スパイ好き」についてインタビューするだろう。そして、もし若者がその面白そうな部分だけを話したら、きっとインタビュアーは失望して、次の質問をするだろう。「世界各国のスパイや情報機関が多くの人々を弾圧し殺害した事実を、あなたは無視するんですか? あなたはそういう人々の痛みをなんとも思わず、面白い話だけに注目する人なんですか」と。


 私は、この9月28日に19歳になったその若者に、傷ついた人々、殺された人々にも気持ちを寄せる人になって欲しいと願う。そして、社会の不条理さ(例えば、警察とゆ着したマスコミ、警察の言うことを無条件で垂れ流し、「容疑者」に圧力をかける)や、敵という恐怖に取り憑かれて正気を失った情報機関の怖さ(「ザ・レポート」)、それに国際情勢の厳しさというものを、スパイを通して考えて欲しいと思う。会ったこともない、喋ったこともない若者に、私がそんなことを望むのは変かもしれないが。

 それはともかく、そのような残酷さを知りつつ、インテリジェンス・オフィサーの世界を知るのも興味深かろう。

 彼らは、愛国心を胸に国益のために諜報活動をしているスパイ(諜報員)、その上司であるケース・オフィサー、情報分析官(「レッド・オクトーバーを追え」のライアン)。語学担当官、暗号担当官(「イミテーションゲーム」の人々)、技術担当官(「スパイキャッチャー」のピーター・ライト)、コンピューター技術者(「スノーデン」)、それに装備品担当官(「007」のQのような人間)などに大別される。

 また、ここ数年、日本社会も変化したのか、インテリジェンス、つまり情報機関による諜報活動とその成果について、ニュースでも、その文字が見られる日が増えてきた。9月22日の自民党総裁選の討論会では、限られた時間ではあったが、インテリジェンスについての各候補の意見を聞く時間が設けられ、その機能の強化を訴える意見が多かった。そういう時代では、別にスパイに関心を持つことは不思議でもなんでもない。

 別の機会に語るが、私は「スターウォーズ ジェダイの帰還」で、諜報活動が犠牲を伴うことを知った。そして、中学のとき、偶然、小説「レッド・オクトーバーを追え」を読んで以来、インテリジェンス・オフィサーたちの世界を知ることになった。私は当初、そういう人たちの記録を「楽しい、興味深い冒険物・スリラー」として受け止めていた。やがて、そのダークサイド、つまり、悪い意味でなんでも機密にする国家機関、マスコミが報じない活動、国民を弾圧する存在などの視点から諜報機関を見るようになった。今の私はそういうダークサイドを踏まえた上で、情報機関の必要論者である。

 もちろん、私はそういう人々とは何の関係もないし、ただの読書人であって、専門家でもない。だから、私の言うことは、彼らの世界を上手く伝えてはいないだろう。でも私は国際情勢に関心があるので、その一分野として、インテリジェンス、つまり諜報活動に関心を持っている。それだけの人間だ。

 そんな私が、「ある若者」に偉そうなことを述べたわけだが、もしもその若者がこれを読んだとしても、どうか気を悪くしないように、と言いたい。なぜなら、これはへそ曲がりのおじさんのおせっかいだからだ。これが上から目線の言動であることは承知のうえで、私は若者に「大事なこと」を伝えたいと思い、パソコンのキーを叩いた次第である。

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