2021/09/18
今日のバイト終わりに公立高校入試の話になった。
講師資格試験に2021年度の問題が出るから。
話していた友人は英語が得意で、大学でも英語を専門にして勉強している。
その友人と私たちが受験した当時、英語が難しかったことについて話していた。
「時間が足りなくて、長文1個全部解けなかった!海月はあの時どうだったの?」
「う~んとね、これは武勇伝なんだけど、全部ちゃんと解き終わった上に10分余ったの。」
「すご笑笑」
「でもでも、でもね!何を思ったか最後の自由英作文を全部消して、意見を反転させて書き直したの。」
「正気の沙汰でない笑」
「しかもその結果減点喰らったんだよね。」
「バカじゃん笑」
その後合計得点の話になる。
「300点ギリギリだったんだよね。だから結構危なかったんだ。(ちなみに満点は450点で、350点なら都道府県内トップが狙える。400点超えは多分存在しない。なので300点前後は決して低くはない。) 海月は?なんか良いんだっけ、友達から聞いた気がする。」
「最初の面談で担任から暴露されたんだけど、私は全校生徒中13位だよ〜」
「すごい!海月って意外と頭いいんだね〜」
また言われた。
私は勉強ができることを褒めていただける時、必ずと言っていいほど「意外と」という枕詞が伴う。
そんなに普段の雰囲気、振る舞いから知性が欠落しているんだろうか。
日記を書いている「海月」よりは、現実の「私」はふざけたことも言うし、冷静さに欠けるし、普段から知性がある風に見えているわけではないみたい。(「海月」が理知的に見えるかはいったん脇に置いておく。)
まあ、当たっているしいいか。
私がいい高校、いい大学に進めるだけの成績を取れたのは、地頭が良かったからじゃない。
人よりも努力してきたからだ。
クラスメイトが友人達と遊んでいる間、友人の少ない私は勉強していたからだ。
新しく友人が増えても、変わらず勉強し続けたからだ。
何かに対して戦略を立てる、現実的な解決策を考える、その思考のベースは全部勉強 (主に受験勉強) で培われたと思っている。
勉強に才能、つまり地頭が関係ないとは思わない。
「勉強に才能って関係ありますか?」
そう聞いてきた生徒もいた。
私はこれまでに才能がある人をたくさん見てきたので「才能は関係ない」とはとても言えなかった。
でも、努力でひっくり返せない世界じゃない。
どころか社会に出てから仕事で評価されるより、よっぽど逆転が楽だと思う。
スポーツと違って成長も早くてわかりやすい世界だし、勉強をすることは今の時代ほぼ必ず褒めてもらえるから、承認欲求も簡単に満たせるし、それによってやる気がブーストされる。
しかも教育は義務なので、国から整った環境は与えられる。
そう思って勉強だけはちゃんとやってきたから、平均から見れば相当成績はいい。
でも地頭は大したことないから、振る舞いの端々に知能のなさがにじんでしまうんだろうな。
「意外と頭いいんだね」
それは「地頭のせいにして全てを投げ出さないで、ちゃんとひたむきに努力してきたんだね」と言ってもらえている風で、嬉しい。
「意外とは余計でしょ~?」と言いつつも、上機嫌だった。
「人に期待しない」ことが美徳として語られることが結構あると思う。
主に「傷つかなくなるよ!」という売り文句で。
危ないクスリかよ、といつも思う。
私個人としては、この考え方を採用したくないし、「人に期待しない」という理想像に囚われてはいけないというのが所感だ。
人に期待しなければ、確かに傷つく可能性は0に限りなく近づくだろう。
でも期待をかけられる人が周囲にいないってなんだか寂しい。
さらには「私は他人に期待なんてしません」という人と、私はお近づきになりたくない。
人とかかわる以上、そこにあるのは何かしらを求めあう関係になると思う。
それは「思い出」や「ドキドキ」、「楽しさ」や「慰め」と多岐にわたるけど、とにかくお互いに何かを期待する。
もしそこで「私はあなたに何も期待していない」と言われてしまったら、私は不気味で怖い。
そんな虚ろさを覗かされても恐怖しか感じられない。
「私はあなたに何をすればいいかわからないし、私もあなたに何も期待できない気がする!不気味!怖い!あっち行って!」と言ってしまうかも。
確かに過剰な期待は傷つく原因になるだろう。
大抵の傷は、期待と現実のギャップから生じる。
また、他人に期待すべきじゃないこともある。
他人を自分の期待に従わせよう、応えさせようとすれば、そりゃ間違いなく傷つくし、それはやってはいけないことだ。(そうやって傷ついてしまう人にとっては、期待するのを一度やめてみるのも手なのかも。)
それでも、何も期待しない、期待する人がいない状態って、なんだかとても悲しい。
その人の心象は、灰色の砂漠。
テネレの木よりも孤独になってしまいそう。
私は誰かに期待したいし、相手にも期待をかけてもらいたい。
たまに応たえられなかったり、応えてもらえなかったりするけど。
だからこそ生まれる繋がりは素敵だし、期待するからこそより高次の関係性に発展していけるんだと思う。
私は死ぬまで人に期待したいし、人に期待されたい。
そしてその期待に可能な限り全力で応えたい。