吉田秀雄は如何なる鬼か①
およそ人間にとって働くことは生きるために行うものであり、死ぬために行うのではない。社員が生きるようにではなく、死ぬように働かせる会社は生きることと働くことの目的意識が中心からずれていると言わざるを得ない。
若い女性新入社員を過労による自殺に至らしめた大手広告会社の電通は「働く」という行為そのものの的を外したと言われても抗弁はできないだろう。「働く」という行為そのものの的を外すような会社が社員に仕事の何たるかを説く資格があるのかと疑問を呈されても抗弁はできないだろう。
だが、電通がなぜこのような労働本来の目的から逸脱するような労働を社員に課するような会社になったのかの考察はあまりに浅い。ただ重労働を課す企業風土を批判するばかりで、その内容はあまりにも陳腐だ。その陳腐な批判の矢面に晒されたのが、電通第4代社長・吉田秀雄氏と彼が社員に提唱した「鬼十則」である。
電通を批判する記事は鬼十則の5番目、「取り組んだら離すな。殺されても離すな。目的完遂までは。」だけを挙げて、それを提唱した吉田社長にも批判的な目と筆を向ける。だが、その鬼十則が説かれた当時、電通はどのような社会情勢の中で、時代背景の中で企業活動を続けていたのか。そも日本における広告業とはどのようなものだったのか、そして吉田社長がどのような人となりで、どのような時代を生きた人物だったのかを考察する記事は1本もない。うら若き女性が会社から暴力的に労働を強いられ、心身ともに擦り減らし、何もかもに絶望して自ら死を選んだ。その死ばかりを挙げ連ね、電通という会社を悪の組織のように見せ、その組織に敢然と立ち向かう我らマスコミは正義の弁士とでも言いたげな記事ばかりである。
私はかつて広告業に従事していたことがある。電通ほどではないにしても、業界の中では名が知られた会社で売上高も低くはない。地力のある会社ではあったが、それでも社員達は誰もがハードワークだった。広告業は電通に限らず、どこも仕事はハードなのだ。なぜハードになってしまうのか。それには当然理由がある。論理的な理由もあれば感情的な理由もある。理由を突き詰めれば問題が解決されると思う人間は多いが、理由は解決に至らしめるヒントは与えてくれても、方法までは与えてくれない。理由を知ったところで何の解決にもならない場合もある。私がいた会社において仕事がハードだった大きな理由の一つは景況感にあり、そして会社の財務にあった。売りに対して原価がどれだけかかり、どれだけ儲かっているかということである。これは広告に限らず、人間が営む企業という組織では全てに当てはまる理由だ。よって、これらに理由を求めても解決にはならない。
企業という枠だけに留まらず、組織という枠に視野を広げてみると、長い時間を経て巨大化した組織がどのように変質していくかを知るヒントが見えてくる。人間社会の中で最も巨大な組織といえば何か?それは「キリスト教会」である。特にローマカトリック教会はその歴史、規模、いずれをとっても世界で最も巨大な組織と言えるだろう。その組織が長い歴史の中でどのような変遷を辿ったのか。片鱗だけでも知ることができれば、この問題の本質に近づきうるヒントを得ることができる。
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