マヤダナワの神話
ガルンガンとは戦いという意味だそうです。ガルンガンの起源は、マヤダナワとインドラ神の戦いだといわれています。
善(ダルマ)の象徴インドラ神が、悪(アダルマ)の象徴であるマヤダナワに勝利したことを記念している神話です。
昔々、バリの中央部にあったと言われる王国に、マヤダナワという怪物の王がいました。マヤダナワは厳しい修行をつんだ末、その成果として様々な物に変化できる魔力を授かりました。
自分の魔力を過信したマヤダナワは、自分が神であると信じ始めました。マヤダナワは神に祈り供物を捧げて祭礼を行う事を国民に禁じ、自分を神として崇めるように命じました。神への祭礼が行えなくなった国民は、次第に不安に陥り作物も不作が続くようになりました。そして、疫病が広まるとたくさんの人々が死んでいきました。
バリの総本山であるブサキ寺院の寺守であったサン・クルプティは国民の困窮をみかね、国民を助けようと神に祈りました。サン・クルプティの祈りはバタラグル(シヴァ神)のもとに届き、マヤダナワを成敗すべく、戦いの神である神々の王インドラが使者として地上に遣わされたのです。
多数の兵を従えたインドラ神の神軍は、神をも畏れぬマヤダナワを倒すために地上に降り立ちました。インドラの兵とマヤダナワの兵は激しい戦いを始めます。さすがのマヤダナワもインドラの軍に敵うはずもなく、マヤダナワは家臣のカラウォンと共に王宮から逃げ出しました。
インドラの兵に見つからないよう、マヤダナワは次々と姿を変えながら北へ逃走します。ある時は大きな鳥に姿を変え、その場所は現在マヌカヤ(Manuk Raya=大きな鳥)と呼ばれます。ヤシの若葉ブスンに変身した場所は、現在はブルスン村と呼ばれています。
窮地に至ったマヤダナワはカラウォンと策略を練りました。その晩インドラの兵が寝ている隙に、マヤダナワは毒の泉を作りました。兵を起こさないように足の裏をつけず、抜き足差し足で歩いて毒の泉を湧き出させました。その場所が現在のタンパクシリン村です。タンパックはテラパック(足の裏)、シリンはミリン(傾く)という意味です。
翌朝、目を覚ましたインドラの兵はのどの渇きをいやすため、毒の泉の水を飲みました。兵は次々と倒れてしまいます。それを見たインドラは、兵を助ける為に地面にヤリを突き刺し、新しい聖なる泉を作りました。新しい泉からは不老不死の水アムリタが湧き出し、その水を飲んだ兵は次々に生き返ったのです。インドラ神によって作られたこの泉がタンパクシリン村にあるティルタ・ウンプル寺院の泉です。
ティルタ・ウンプル寺院の奥にある泉。ティルタは聖水、ウンプルとは湧き出ると言う意味です。
今でも泉から清らかな水がこんこんと湧き出ているのを見る事が出来ます。
以前は泉の主である大きなウナギがいたのですが、今も生きているのでしょうか?
インドラ神はマヤナダワを追いつめました。マヤダナワは最後の力で大きな岩に化けました。しかしインドラ神の目をごまかす事はできず、インドラ神は岩に向けて矢を放ちました。矢は岩を突き刺し、岩から血が流れました。ついにマヤダナワも最後を迎えたのです。
岩から流れた血はプタヌ川となり、インドラ神はこの川に呪いをかけました。この川の水を農耕作にに使えば、稲を刈り取るとき血が流れるという呪いです。この呪いは千年続くと言われています。
また聖なる泉から流れた水はパクリサン川となりました。現在世界遺産になっている美しい川です。
マヤダナワの死後、国民は再び神に祈り供物を捧げ、国は繁栄を取り戻しましたという事です。
神に背いたマヤダナワの死は神々の勝利で幕を閉じ、善(ダルマ)の勝利を記念して210日に1度ガルンガンの祭礼を祝うようになったと言われています。
Mayadanawa マヤとは幻、ダナワ(インドではダナヴァ)とは怪物のことです。インドの聖典マハーバーラタにも、マーヤーという名前のダナヴァが登場します。マヤダナワの神話には色々なヴァージョンがありますが、大筋はだいたいこんなところです。
神話とはいえ、実際にティルタ・ウンプル寺院と泉が存在する事から、このような出来事があったのではないかと思われます。マヤダナワは誰であったか、どこに王宮があったか想像してみるもの面白いです。
又、マヤデナワの神話は歴史的事実を隠すための作り話であるという研究者もいます。もっと研究が進んで、真実が解き明かされるといいですね。