私なりのスピリチュアル
スピリチュアルに目覚めて1年以上経った。
たくさんの本を読んだり、YouTubeを見たり、自分なりに勉強して知ろうとした結果、今私が思うスピリチュアルについて記しておこうと思う。
引き寄せの法則については全然わからない。
あ、これ、引き寄せたのかも!とふと思うことはあるけれど、潜在意識の求めているものなのかはわかっていない。
そもそも潜在意識の望みに気づけない。
思考は現実化するというのも理解できていない。だって現実化したことないから。
ジャーナリング、瞑想、アファメーションなどをしてみたけれど、自分にはしっくりこなくて続けられなかった。
まだまだ3次元的な思考に支配されている部分が多いのだと思う。
例えば、「宇宙へオーダーすれば勝手に叶えてくれる」というのは「自分への宣言、確認、行動への第一歩、やるべきことを考えるきっかけ」だと解釈している。
私は神様も信じているし、ご先祖様が見守ってくれていると信じているし、宇宙人も地底人もいると信じている。
でもふわふわ思考のままではいられなくて、それはまだ5次元思考ができていないからだと思うのだけど、「行動する星」と言われる地球に生きている今、宇宙にオーダーして何もせずに待っているだけでは一生何も変わらないはず。
引っ越したいと思ったら「こんな家が欲しいです」と宇宙にオーダーするだけではなく、インターネットを使って物件を探したり、実際に足を運んで見て回る必要がある。
そこで理想通りの家が見つかれば、宇宙が用意してくれんだと思うことができるけれど、自分が何も行動せず家にいるだけでは、新しい家が手に入ることはない。
これは地球で生きている以上すべてのことに当てはまると思う。
食べ物でも、人間関係でも、仕事でも。
とにかくアクションを起こすことが大事。
なので宇宙へのオーダーとは、自分の思考を整理して簡潔にし行動に移すためのきっかけでしかないと思っている。
私が思うスピリチュアルとは、一言で表すのは難しいのだけど、すべて自分の内側にある、というのが今のところの結論。
感謝を忘れずに、というのは生きていく上で当たり前だと思うし、もちろん今ある現状に感謝を忘れてしまうことはある。それは感情を持つ人間だから仕方ないし、自分を責めることも違う。
それはセルフラブにも繋がってくるのだけれど、感謝を感じられなかったその時の自分も認め、反省したり、改めることで成長していくと思う。
そしてその感謝を生み出すのは自分の中。
考え方が変わればものの見方も変わる。外側の世界も変わってくるというのは見ている視点が変わったから。
「良いことをしたから良いことが起こる」はちょっと違っていて、「良いことをしたから良い気分になる」その感情こそが「良いことが起こった」と言えると考えている。
わかりやすく言うと、虹が見れたから「良いことが起こる」ではなく、虹を見られて嬉しいと感じた「良い気分」こそが「良いことが起こった」ということ。
なので「良い気分」を持続させれば常に「良いことが起こっている」になる。
私なら食べたいものを食べたり、好きな洋楽を聴いたり、お香を焚きながら読書したり、友達と会ったり、お風呂に入ったり、映画を見て良い気分に浸る。
その時間を増やしていったり、「良い気分」になれることのハードルを低くしていけばずっと「良いことが起こっている」になるし、その瞬間に感謝ができて、毎日に感謝する時間が増えていく。
もちろん嫌な出来事も嫌な感情も起こる。
けれどそれすらも楽しめるようになったら、最強なのでは。
少し難しいこともあって、私は自己犠牲してでも他人のために動いてしまうのだけれど、自己犠牲する必要はない、自分の気持ちも大切だから嫌なら嫌だと言うべき、という情報がある。
もちろん私も自己犠牲して他人に尽くすのが辛いこともある。でも、例えば他の人の仕事を手伝うため残業を頼まれたとき、本音の私は「早く帰りたい」だけど断ることはできない。
なぜなら断って帰ると後悔するから。
人の役に立つために行動するのは全人類共通の最低限の使命だと思っていて、それすら嫌がって自分を優先してしまうと後で自己嫌悪に陥る。
たかが残業だけれど、私の時間と労力を差し出すことでその人の役に立ち、さらに感謝までしてもらえたら、多少の自己犠牲も「良い気分」に繋がる。
その究極が私には保育の仕事だったのだろうなと思う。だって辛いことがあっても最後には必ず「良い気分」になれたから。そしてそれを心から楽しめていたから。
前世を見たことはないけれどあると信じていて、今世で繋がっている人とは出会うべくして出会った人で、私にとって人との出会いも起こる出来事もすべては運命。
新卒で働いた幼稚園がいわゆるブラックだったことも、他の人にはなかなかできない体験でとても面白かったし、感謝している。その時は辛かったけれど、辛い中にも楽しいことは毎日たくさんあった。
オーストラリアに行ってなぜかスピリチュアルに目覚めたことも、学生時代の友達に出会ったことも、今の家族のところに生まれたことも、アラサーで独身を謳歌しまだあまり焦っていないことも、今まで起きた嫌なことも良いこともすべて運命。
そう考えた方が楽しくて感謝できるから私はそう思うことにしているし、この考え方は小さい頃から変わらない。
自分の使命について考えたり、思い通りにいかないことに深く悩んだり、他にも考えることはたくさんあるしエゴも思考も止まらないけれど、それすらも楽しめたら素敵。
人生を楽しむために生まれてきたので、万が一使命がわからないまま死んでしまっても良いし、なんなら使命について考えることが使命だったのかも。
答えはわかってもわからなくても良い。
頭を柔らかくして次元を超えた考えに辿り着けるよういろんな情報を取り入れたり、素直に受け入れたり、何事もポジティブに捉えるようにしたり、俯瞰して物事を見たり、少しずつで良いから、悩んでも良いから、成長できるよう努力しそれを楽しめたら十分。
フワフワスピリチュアルになる気は毛頭なくて、だって3次元世界で生きているし、仕事もして税金を払わないといけないし。
でもスピリチュアルな思考と現実世界をうまくミックスさせて、柔軟に生きていけたらおもしろいはず。