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おいしいごはん

「いただきます」

そう言って二人で囲んだ食卓を、一緒にご飯を食べた日々を私は忘れない。

「私は私のことを好きな人が好きなのぉぉぉ!」

柚夏(ゆな)の少し高くてよく通る声がBar”L♡VE”に響き渡る。
ここは性自認が女性であることが入店条件のガールズオンリーバーだ。

「いやだから駄目なんでしょ」

きりりとした表情でバッサリと切り捨てるように言ったのは、ここで働いているバーテンダーの明日香(あすか)だ。
制服である黒のカマー・ベストと黒のシャツに燕尾のナロータイを締め、肩まである黒髪を今は後ろで一括にしている。

「それな」

シェイカーを振りながら突っ込みを入れた明日香を柚夏がビシッと指差す。
明日香は柚夏の突っ込み返しを気にもせず、振り終ったシェイカーから柚夏のいつもの注文“いちごミルクふわふわのヤツ”を、フルート型のシャンパングラスへ優しく注いでいく。
本来、L♡VEのいちごミルクはシェイカーで振らないし、よくある逆三角形のカクテルグラスを使用しているのだが、以前イベントで作ったこのふわふわとピンク色の泡が乗っているいちごミルクを柚夏はとても気に入っていて、L♡VEに来ると必ず注文していた。
さらに、三角のカクテルグラスは持ちにくく零してしまうと明日香に泣きついた為、わざわざシャンパングラスを使ってくれているのだった。

「はい、どーぞ」

「わーい!ありがとう!……うん!今日も最高に美味しい!」

「ありがと」

差し出されたグラスに口を着けた柚夏が感嘆の声を上げると、明日香が笑顔で応える。
柚夏は基本的にお酒に強くない。常日頃から好んでアルコールを摂取をする訳ではなかった。
明日香もそれが分かっているので、何も言わずにアルコール度数を低めにして、飲みやすくしてくれているのだった。
その気遣いも含めて、明日香の作る”いちごミルクふわふわのやつ”は柚夏のお気に入りだった。

柚夏がテーブルにグラスを置いて小さく吐いたため息が、柚夏と明日香しかいないL♡VEに響く。
開店時間からまだそんなに時が経ってないからか、週末だというのにお客は今の所柚夏の一人だけだ。
いちごミルクを何口か飲んだ後、柚夏はおもむろに口を開いた。

「……そーいえばね、莉子(りこ)に…連絡したよ。荷物、来月中には引き上げるってさ」

「へー。良かったじゃない」

「……うん。まあね」

「なに?寂しいの?」

「うーん……」

莉子は3ヶ月前まで恋人だった女性で、7年と少し付き合った。
実際、寂しさもあったかもしれない。
多分、認めたくなかったのだと思う。
莉子が家を出ていったこと。
そして莉子と別れたことを。
家に残されている莉子の荷物の話をすれば、向き合わずにはいられなくなってしまうから、連絡出来ずにいたんだと思う。
莉子と別れたあの日、世の中は三連休だけど私はそうじゃなくて、莉子へ半ば八つ当たり気味のラインをしてしまった。その結果、八つ当たりラインへの返信がこうだった。

【私達別れようか、疲れちゃったよ】

それを見た時、何だか無性にイラッとして、繋がっていた一本の糸がプツリと切れた。何もかもが面倒くさくなってしまった私は反射的にいいよと返してしまった。
それで終わり。あっけなく終了した私達の7年間。
これが7年間の集大成かと思うと情けないやら悔しいやら。
莉子とは付き合い始めた当初からずっと一緒に住んでいたが、最後の2か月くらいは莉子が実家に帰っていて、恋人とは常に一緒に居たい派の私の気持ちは確かに少し彼女から離れていたかもしれない。
だけど冷静になって考えてみたら、結局は私が彼女を支えきれなかったのだと今になって思う。
この半年ほどで生活環境が激変した莉子。それをきちんと支えてあげることが出来ていたなら、私たちは8年目を迎えることが出来ていたのだろうか。
今更たらればを考えた所で意味無いけど。

「寂しい、か……」

柚夏の恋愛スタイルは寂しさに耐えきれずその場の雰囲気に流されて付き合いだすことが多い。
以前、友達の一人に言われた”なんでそんなに途切れないの?”という質問に当時の自分は答えられなかったが、今の自分なら答えられる。

「……ズルいだけだよ」

誰とも付き合わずに1人でいるという事実に耐えれなくて誰でも良いから傍にいてほしい。だから、イケそうなところにいくし流されるのだ。
およそ誠実さとはかけ離れている自分の恋愛観を振り返り、自嘲気味に柚夏は笑った。

アルコールで火照った体に夜風が心地よい。
柚夏は終電を逃したその足で遠くはないが近くもない自宅までの道のりを1人でテクテクと歩きながら先程、明日香とした会話を思い出す。

「……7年かあ……」

莉子が好きだった。
ふにゃっとした笑顔とか。
少し猫背気味の背丈とか。
細くて長い指だとか。
ふざけたあだ名でお互い呼び合って、小さな喧嘩は、時々するけど、なんだかんだ笑い合ってずっと……おばあちゃんになっても一緒にいるのだと思っていた。
別れることになった現状だが、何故か莉子は自信がついたらまた柚夏に告白する!と言ってくれていた。
いや振られたのは私なんだが?と思うが、嘘でもそう言われて嫌な気はしない。
しかし、離れて約3ヶ月。連絡を積極的に取ることもなければ当然顔を見る機会もなくなった。
果たして今の自分はまだ莉子が好きなのだろうか。
柚夏の恋愛において、一緒にいる、同じ時間を過ごせる、という相手かどうかはかなりの重要項目だ。
スキンシップも勿論好きだ。
メンタルもフィジカルも触れ合えないのに心のモチベーションを保てる術を、柚夏はまだ知らない。
さらに、”ごめん。まだ体調良くならないからまた明日で良いかな”。今日の昼間、1回顔を見てきちんと話したいと勇気を出して送ったラインに、1度は了承の旨の返事がきた数時間後にこれである。
莉子は付き合っていた当時から精神的にも身体的にも不安定だった。
一緒に外出する約束をしていても、体調不良を理由に反故にされたことが何回もあった。
もちろん今更それを責める気はないが、それでもやりきれない思いは残る。一体何度、ラインに返ってくる“発作です”の一言に、こみ上げてくるモヤモヤとした気持ちを飲み込んだだろうか。
期待しては裏切られ、それを繰り返すうちに、次第にあぁまたか、と諦めるようになっていた様な気がする。

莉子とやり直したいのか、まだ好きなのかどうか、正直今はよくわからない。

「はぁ……明日かぁ……」

事実上、莉子とは別れていたが、顔を突き合わせて話し合えてないことが引っかかっているし、何より向こうの荷物がまだ部屋に残っていることがその存在を主張しているようでなんともスッキリしていないのだった。
だからこそ、けじめを付ける意味でも莉子に一度顔を見て話したいとラインをしたのだ。
帰宅して就寝準備を終えてから布団に潜り込んだ柚夏はスマホの画面を開くと、莉子に起きたらラインすると送り、小さくも長い溜息をついて夢の世界へを落ちていった。

翌日、ラインの通知音で目を覚ました柚夏の目に入ったのは、莉子からの何時に行けば良いかというメッセージだった。
お昼頃にお願いしますと返事を返して二度寝しようと瞼を閉じた柚夏だったが、待ち望む眠りは訪れてこず、仕方なくモソモソと布団から這い出ると、風呂場の蛇口を捻りバスタブにお湯を貯め始めた。

たっぷりと張られた熱い湯の中に身を沈めると、寝汗で下がった体温が体に戻ってくるように、手足の末梢からじんじんと熱が全身に巡っていく。

ズブリと顔を半分湯に着けて、ブクブクと自分が吐き出す息が泡を作ってはパチリと消える様子をしばらくボーッと眺めてから、柚夏は勢い良く立ち上がって浴室から出た。
時刻は11時30分。莉子から自宅を出発したという連絡が先程入った。

――さぁ、ぐちゃぐちゃになろうか

「……久しぶり」

「久しぶり……髪切ったんだ」

こんな、よくありそうなどこかで聞いたセリフを自分が聞くことになるとは思ってなかった。
莉子は、柚夏が以前の髪型からバッサリと切りショートカットになっていることに少しだけ驚いて、似合ってると微笑んだ。

(あぁ……この空気。変わらない。私が好きだった莉子だ)

胸の奥がギュッとなって、込み上げてくるものを堪えて飲み込む。
何でもないふりをして、大して広くないリビングの、7年間2人で食事を囲んだローテーブルの前に座り込んだ莉子の前に、柚夏も腰を降ろすと2人は正座して向き合った。

「……じゃあさっさと終わらせちゃおうか」

「うん。そうだね」

そう言って、向かい合った2人はそのまま深々と相手に頭を下げ合う。

「……7年間、ありがとう」

「私こそ……あり、が……とっ」

言葉にした途端、堪えていたものが溢れて零れた。
柚夏の涙につられた莉子も鼻をすする。

「ごめ……っ。もっと、私がちゃんと莉子を支えてあげれれば良かった」

「うぅん……柚夏は悪くないよ……私が甘えてたから……ごめんね」

お互いがお互いを悪くないと、そう思っていてももう私達は駄目なのだ。
壊れてしまったものはやはり同じ形には戻れないのだ。
分かっていたけど、だからといって簡単に捨てられるほど軽くはなかったのだ。7年間の絆は。

ひとしきり泣き合って鼻水をかんだら2人とも少しだけスッキリとした顔になって、目と目を合わせてちょっとだけ微笑った。
その後は、荷物を引き取る段取りを話し合い、やるべきことを終えると荷物をまとめた莉子が言った。

「それじゃあ、また」

「うん、またね」

柚夏と莉子は、7年間”行ってらっしゃい”と”ただいま”を交わした玄関でもう交わることのない相手になってしまったそれぞれに手を振りあった。
聞き慣れていた足音がゆっくり遠ざかる。

“バイバイ、莉子”

離れていく莉子の気配に柚夏はそっと呟く。
大好きだった。たった7年。長くて短かった。
こんな自分でも誰かと一緒にいることが出来るのだと教えてくれた。
嫌いなところもあった。
それでも大好きだった。
たくさん大好きだったよ。
本当にありがとう。さようなら。
どうか元気で。幸せに。

莉子の足音が完全に聞こえなくなると、柚夏はそっと玄関の鍵をかけた。
すると、見計らったかのようなタイミングで腹の虫が”ぐうぅぅ”と空腹を主張する鳴き声をあげてきた。
こんな時でもしっかりとお腹は減るのだ。
我が胃袋ながら呆れるを通り越して感心してしまう。

「……ご飯でも食べに行きますか」

柚夏はポンッと自分の腹を小さく叩くと、クローゼットを開けて着替えを取り出すのだった。

大丈夫。
明日もまた美味しいご飯を食べよう。
そうすればきっと、元気になれるから。

「いただきます」

END

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