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『水銀飛行』(中山俊一) を読んで

映画とは、ほぼ麻痺である。
映画の知識が多くある訳では無いが、そう感じている。映画は、知らない世界に入ることも、よく知っているようでズレた世界を迷うことも、いまの世界を見直すことも、何だってできる。それは共通して、映画に対しての観る側の麻痺が、存在していると思う。

中山俊一さんは映画監督もしているようで、短歌にもそれは大きく現れている。とにかく映像の描写力が高く、一つ一つの短歌に物語・映像が込められている。その映像に対して、私たちがただただ傍観するだけでなく、映画のように麻痺させられてしまう。これは他の作者にはない、中山さん独特の短歌の性質だと思う。
この『水銀飛行』は、Ⅰ〜Ⅳの四部構成になっている。個人的な印象としては、Ⅰが離陸前、Ⅱが回想、Ⅲが飛び始め、Ⅳで飛んでいった感覚。以下好きな歌を鑑賞していく。

Ⅰ Door
息継ぎのように今年も現れて夏の君しか僕は知らない

この歌は見た時に不思議な気持ちになった。泣きたい気持ちと、涼しい風に身を投げたい気分と。爽快なのに、なんだか切ない。この「僕」が、夏の君しか知らないことに、すがすがしく思っていればまさに夏!だし、言葉に出来ないさみしさを抱いているとすらば、それはそれで夏。息継ぎのように、という比喩が胸に迫るものがある。大好きな歌。

少数のスタッフのみで作られた映画のエンドロール的夏

この歌を知ってしまった時(twitterで見かけた)、ずっとあとを引いていた。こんなに夏が恋しくなる歌は他にないかもしれない。抱きしめたくなる。大好き!!!という言葉だけが残る。

ひとたまりもない夏の笑みこの先が西瓜の汁のように不安さ

一度読んだ時、スルーした歌。二度読んだ時、引っかかって、三度読んで、好きになった。作者の感性にただただ惚れる。西瓜の汁のようであることは、どこまで不安なのか。ひとたまりもない笑みを見て、幸せに思うとともに、だからこその不安。空が広すぎて、空が青すぎて不安になるあの感覚に似ているかもしれない。

筆洗の朝
目の色を変えてよ ぼくはデッサンの被写体 きみは筆を取らない

この映像の引き立たせ方。「ぼくは」以降淡々とその映像を描写している、その分「目の色を変えてよ」というその薄いようで深い色の願いが、胸に落ちてくる。

雪の轍
まばたきのまぶたのうごきのなめらかさあなたが好きだ/ったという記憶

スラッシュで一気に揺さぶられる歌。「好きな人の隣にいると、安心感で眠たくなる」とか、「気になる人には見て欲しいからつい相手を見てしまう」とかいう話を思い出す。人生のうちに心から好きになる人は何人いるだろう。一目惚れで好きになる人は何人いるだろう。その記憶はどんなものになるだろう。読む人によって抉られ方が変わる。

Ⅱ コミックブルー
俺たちは違反速度で駆け抜けた。それが教習コースと知らずに

初読時、「最高!」と言った。最高かよ。なんて爽やかな風だ。駆け抜けたの後には「。」があるのに、最後の知らずにの後には句点がない。もう駆け抜けてしまったんだろう。

潮風に錆びれちまったドアがあり僕はというと開けないのです

いや開けないのかよ!と思わせるのが見事。「僕はというと」から、自然に読者に「こんなおあつらえ向きのドアがあったら、普通の映画や小説だったら開けるでしょ?」と言われている感覚を抱かせる。歌と会話している気分で、素敵な歌。僕も開けないかもしれないなあと思って、この主人公と仲良くしたい。

螢合戦
(夢は無風)風船売りがやってきて扇子で仰ぐ夏の亡骸

中山さんの真骨頂。映像で畳み掛けてくる。少しかすれた、蒼ばっかりのシーンが浮かぶ。溺れる。

小学生の魔球
25mプールを泳ぐ。永いとはとても永いということだろう

僕は洋渡と書いてよっと、と読む本名を持っているのに、水泳は完全に無理で、未だに15mが厳しい。小四の時、水泳の授業で最後のテストで9mしか泳げず、補習で、泳げない仲のいい子と夏休みずっと楽しみながら泳いだ。懐かしい記憶。この歌を大事にしておこう、いつでも小学生のあの時に戻れる。

Ⅲ 天狗の飛び方
屋上に群がるエレベーターガール棲む遊星がある顔をして

三章から言葉を遊んで楽しい歌が多くなってくる。この歌は本当に面白い。この顔を想像するだけで、とっても穏やかな気持ちになる。星自慢をし合うのかもしれない。たのしい。

はるのうた
雨が降ってて、ふたりは別の傘さして、でも、手はつないでて、手だけが濡れて

このふたりは会話を止めたかもしれない。手だけが濡れることを許して、このふたりはどこに向かうんだろう。もう会わないのかも、しれない。

Ⅳ すずらん
きみがかなしいとき一番かなしいのはきみだ あの頃、キャベツ畑で

確かに、きみが悲しい時は一番君が悲しい。こんな簡単で単純なこと、僕たちはすぐに忘れてしまう。きみがかなしいのに、僕が勝手にもっとかなしいような気持ちになったり、きみがかなしいから突き放して僕は関せず、だったり。あの頃、キャベツ畑で、の主語は僕、だろうか。何だか切ない。

雪夜のパトロール
「天国の場所を教えてくださいな」「地獄を突き当たって右です」

一回地獄に突き当たるのか……左に行ってみたいな……。天国の場所を聞かれたものはなにものだろう……。この軽い口ぶりと考えようによっては深くなる内容、絶妙なバランスで好き。

夜を泳ぎ切ること確かな手応えのない水の部屋揺れるブランコ

不思議な空間。言葉としてどこが繋がってどこで切って読んだらいいのかわからなくなる。まさに、手応えがない。

以上、好きな歌。
短歌はよく、好きなフレーズを留めておいて、それが聞こえたらその歌を思い出す、ということがある。中山さんの『水銀飛行』は、それの映像パターンと言える。これから生きていくうちで、あるいはかつての淡い記憶の中で、再生されていく映像が重なって、またこの歌たちを思い出したい。

最後に、セットと思われる素敵な歌二首を載せておく。(それぞれ、Ⅲはるのうた、Ⅳ雪夜のパトロール)

ねえニュートン涙がこみあげてくるよニュートンやっぱりだめだわニュートン

シュリーレンさよならゆれるシュリーレン甘い生活だったシュリーレン

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