見出し画像

私はでかい炭でありたい

 最近、我が家に薪ストーブがやってきた。

 設置したのは同居の義父である。縁側を改装し、鉄製のストーブを買い、煙突を設置するまで一人で全部やってくれた。趣味とはいえ、頭が下がる。いつもうちの子たちが遊んで生活空間にしている座敷二間分が寒いため「これならあったかいだろう」と。お義父さん、ありがとう。

 で、火を焚くのはだいたい私の役目だ。実は慣れている。実家にはもっと大きな鉄製の薪ストーブがあって、ずっと使っていたからだ。もう辞めてしまったが、実家は林業を生業にしていたので、燃やすための薪もたくさんあった。

 小さいころ、死んだ祖父がストーブ用の薪を、斧で一本ずつ薪割りをして作っていた。今も父が薪を割って作っていて、実家のストーブは現役だ。ただし、薪割りは今は専用の機械でやっている。

 私も結婚前は実家にいたから、冬になると自分でも薪をよく焚べていた。薪ストーブは暖かい。火の勢いがいいと、暑いくらいだ。
 ストーブの上に鍋を置いて、母は煮込み料理を作ったりして、ヤカンにはいつもお湯が沸いていた。家族でストーブを囲み、それでお茶を作ったりよくした。夜はそこでワインを飲んだり。

 あの時間は、小さな頃からの懐古と暖かさが混ざった、大事な私の冬の思い出だ。義父のおかげで、私はいま似たような経験をさせてもらっている。ストーブの火がもたらしてくれるこの体験は、お金では買えない。

 ただし、金はともかく薪ストーブは手間がかかる。薪をただ入れるだけでは、火は長続きしない。空気をなるべく入れて、乾燥した薪を使わないといけないし、すぐ炭になって小さくなり、火が消える。なので、火の勢いがあるうちに、なるべくコンスタントに薪を入れないといけない。暖かさにまかせて暖房を切っているので、油断するとストーブの火が消えて、いきなり部屋が寒くなる。

 薪は、乾いていて小さなものなら燃えやすい。火の勢いもよくて、短時間であったかくなる。ただ、小さな薪はすぐ消える。炭になってもすぐ無くなる。
 でも大きな薪は、火がつくのは遅いが、じっくり焼けると炭は大きくて、暖かさが長持ちする。ただし、乾いてない湿気った状態だとよく燃えない。炭にもならず、燃え残った状態でストーブの中に居座る。

 それらを見ていると、火を焚くのは、人生の在り方を垣間見ている気分になる。

 小さな薪は、火がついてもすぐ燃え尽きて無くなる。志や考えが薄っぺらいと、なんだって長続きはしない。
 ちなみに大きな薪は燃えにくいが、じっくり焼けば長続きする炭になる。でも、湿気ってると燃えにくい。せっかくどっしり構えてしっかりやってるのに、迷いがあると、きっと人生における火も消えやすい。

 どうせなら、じっくり燃えて長続きするでっかい炭のような人生がいいな、と火を焚べながら私は思った。燃え始めるのが遅くても、炭の状態が長く続く方が、ずっと暖かい。

 なんてことを考えながら、日々、薪をストーブに突っ込んでいる。しかし、昔の人はたいへんだったんだな、と便利さに慣れた現代人の私はしみじみ感じた。
 
 これては、夜に余計なことを考える暇なんかない。火を絶やさないために、生きるための行動が先だ。鬱とか今より少なかったんじゃないかな、などと考えてたり。

 今夜は、義母がストーブの上にアルミホイルで巻いたさつまいもを置いて、焼き芋にしてくれた。好き嫌いの多い娘が「美味しい!」と言ってそれを食べていた。息子は、興味深そうに、義父手製の柵の間から、いつも火を眺めている。

 私と同じように、子ども達にも便利さやお金には換金できない、不便で暖かい思い出が残ればいいな、と思っている。

 

いいなと思ったら応援しよう!