権威と貿易2~あたなは値引きをするか?チップを渡すか?~
さぁ、前の投稿で「カンニバルツアー(食人族ツアー)」と「日明貿易」の比較をしようということになった。
カンニバルツアーでは白人が経済的余裕があり、日明貿易においても明国は余裕があった。が、しかし両者は全く逆の行動を貿易の視点で行ったのである。
カンニバルツアーの観光客の白人たちは、彼らの文化的優位性を示すエゴのために伝統手芸品を恐ろしく安価に交渉をする。
日明貿易の明国は、日本に対してその
権威の優位性
を示すために、日本に譲歩した日本有利な貿易をする。実際に日本は日明貿易の莫大な利益は、北山文化など現在における「最古」の文化に多く寄与してきた。
さぁ、この二つは優位性を示す部分は一致するのにも関わらずやはり彼らの手段は全く異なる。もちろんこの二つの事象でどちらも100%優位性を示すためにこのような行動をとったわけではないだろうが。
では、この違いは何か.
私は
圧倒的な責任
の差異ではないかと思う。(まぁこの圧倒的な責任を権威と呼んでいるのだが、、、)
圧倒的な責任とは、日明貿易では長期に渡り行う可能性があったし国家というとてつもなく大きなものを背負った貿易なのである。もちろん、そこで日本に舐められれば明が当時ひっきりなしに戦争をしていた他国に煽られるのは必至であるし、日本でさえもその立場を変える可能性さえある。
つまり、
日明貿易の外交官
たちは彼らの国家を背負った行為をする責任があるし、それは彼らの権威を守るためにある。しかし、
カンニバルツアーの欧米人
にはその考えはなかったであろう。
彼らが値切りをする理由はもちろん「経験として」などもあるかも知れない。しかしやはり彼らは彼らの行動に責任感を伴わなかったわけである。彼らは彼らの国の代表であるという意識や責任はないし、彼らに舐められないように気をつけないとという考えはなかっただろう。いや舐められてはいけない、もしくは彼らはそのゆるぎない国力の差に安住しようとした為に値切ったのかもしれない。とにもかくにも、彼らの醜い行為への対応は、YouTube動画(26:30、53:40参照)でも本文でも激しく批判と疑問符が打たれている。
彼らは彼らの無責任で醜い行動ゆえに文化経済学的に則った文明人にはなれなかったのだ
野蛮人であった。彼らは権威の示し方を間違えた、それは彼らを野蛮人と思い込んでいるがゆえにいつしか「文明人」であるはずの自分たちが野蛮になっていたのだ。
さぁ、これまで見てきたように、自然と日本人も私たちが先進国に生まれた日本人で東南アジア、アフリカの民族は貧しく可哀想な人間たちである。彼らは発展していないという差別的、選民的エゴに包まれているのではないか。私たちが観光した時、もちろんぼったくられろとは言わないし、値引きをする経験は必要である。しかしながらそれは、彼らの文化に対する
敬意と正当な価格の範囲
でなければならない。私たちは、野蛮人になりかけている気がするという自戒を常にしながら観光する必要がもしかしたらある。それ以上に、私たちの一つの行動が彼ら現地の人にとっては私たちの国への印象に直結するという責任感を持たなければならない。
日明貿易の外交官と同じように、私たちは
責任感
を持ち、なんなら彼らの文化、経済発展に寄与するという余裕な面持ちすら必要なのではないか。