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権威と貿易~あたなは値引きをするか?チップを渡すか?~
今年の高3の代(06line)は指導要領の変更に伴い、教科の名前なども変わった。高3の国語では、倫理国語という教科書を使う。その倫理国語の中に、「ファンタジー・ワールドの登場」by 今福龍太という論説がある。この論説は、パプアニューギニアにある食人族たちの村に欧米人が旅行をする「カンニバルツアー」を参考にされている。実際にYouTubeにはカンニバルツアーが載っている。ぜひみなさまには一度見てほしい。
さぁ、まず
カンニバルツアー
で印象的なシーンは、お金に余裕がありぷっくら肥えて服装のしっかりした欧米人たちが、「未開人」の伝統工芸品や手芸に対してセカンドプライスつまり値切りをするシーンだ。論説内ではそれを
その彼らがセピック川のジャングルの中で見いだした美しい民芸品の数々を、けっして「定価」で買おうともしないという事実のなかには、おそらく現代の「文明人」が置かれた文化経済学的な立場の逆説性が見事に示されている。
すなわちここでは、西欧とニューギニアのあいだに横たわる文化的「差異」の感覚は、そのまま為替レートという仕組みをつうじて、経済的「差異」の感覚にあっさり読みかえられているのだ。
観光客たちは、神像をおどろくべき「安さ」で手に入れることで、措定(そてい)されている(西欧とニューギニアのあいだの)おどろくべき文化的「差異」の存在を再び確認して満足することになるのだ。
と表現している。もう少し詳しく紐解く。
まず逆説性の意味はパラドックス、つまり一見矛盾しているように見えて、実は真理を述べているさま。
そして文化経済学的とは、芸術作品における経済学である。もう少しやわらかくいうと、芸術作品を取り巻くビジネスである。それを踏まえて本文を私はこう解釈する。
「本来、高い水準の文化を持ち、普段の生活では定価で購入する価格体系で生きる人(文明人)たちが、経済的優位性をもってして自分たちの文化的優位性を示す。その為に彼らの文化を正当に評価しない」
何が
逆説
的かというと、本来文明人なら、文化経済学的に、その芸術作品の文化を理解し正当な値段で交渉するはずが、自分たちの文化的優位性を誇示する為にそれをしない。という事だ。
ここでもう一つ別の話をしてみよう。
南北朝時代、日明貿易が盛んだった。
日明貿易など中高の歴史で習った人も多いのではないか。そして足利義満などはその貿易の収益で莫大な利益を得て、文化発展に寄与した、という話もよく知られている。しかし、日明では当時明の方が文明的には進んでいたし、実際にその意識はお互いにあったと思われる。
では、なぜカンニバルツアーと異なり日明貿易で経済的に有利でない日本が莫大な利益を持ったのか。私の歴史の先生はこう答える。
日明貿易では、明国が日本よりも明らかに上の立場という形を示さないといけなかった。だから貿易時もオプションや、日本に対してかなり好条件な余裕のある貿易ができた。
というのである。つまり、明国は自分たちが上であるということを示すために経済的な余裕を示したのである。となると、立場的にはかなり
カンニバルツアーの観光客
と似ているかもしれない。
しかしその対応は全く違った。カンニバルツアーの白人たちは、セカンドプライス、サードプライスを要求し挙げ句の果てに買わないことが多い。しかし民国はその逆である。何がそうしたのかを次に考えていきたいが、一旦投稿するので次回更新に持ち越し。