クラウンになるということ
私の赤鼻との出会いは…🤡
娘がお世話になった東京慈恵医大病院
妊娠20週で先天性疾患を告げられ
障がいを持って産まれてきた娘は現在14歳。
これまでに何度も大きな手術をしています。
新生児の頃は、全身管だらけで抱っこもおっぱいも不可。
檻のようなベッドの外から小さな指を握ることが精一杯な状態でした
1歳の頃、
3度目の手術は生後一番大きな手術。生死に関わり、術後も異変があったりで、とにかく毎日胃がキリキリでした…
容態が落ち着いて数日後、ICUからお部屋に戻れた日に
運命の出会い♡クラウンが来てくれたのです!
ベッドの周りのカーテンをみんなオープンにして、一瞬にして病室が笑顔になりました^ ^
沢山子供たちと遊んでくれた後、帰り際にクラウンはお母さんたちに赤いスポンジの鼻🔴をプレゼントしてくれたのです。
それから私の宝物になった赤い鼻
ミセスコンテストに2分の特技披露があると知り
日本大会ではピエロの格好をして簡単なバルーンアートをしました。
ですが、クラウンの世界を知り、翌年の世界大会ではもっと本気でクラウンになりたい!と思ったのです^ ^そこからがはじまり。
《クラウンとは?》
単なるピエロじゃなかったのです。
徹底的に”自分の内面”と向き合うことができないとクラウンになれないことがよーーくわかりました。コンテストに向けてスピーチやウォーキング、他のトレーニングもたくさんある中、たった2分の特技披露のためにどこまで準備できるのか?という不安も襲いましたが、妥協ができない性分。やるとなったらトコトンやるしかない、、師匠にお願いしクラウンパフォーマンスのトレーニングがスタートしました。
「私」という人間は外からどう見えやすいのか?
良いところも悪いところも本心で教えて!
と、たくさんの方に聞く宿題からスタート。
他にも言葉がなくとも笑える《トムとジェリー》を観て動きを研究したり、暇さえあれば風船技術の特訓をしたり。。
協力してくれた友人たちからは率直な回答がたくさん届きました。
・一見クールに見えがち
・真顔が怖い(笑)
・とても真面目に見える。
・仕事できそう!
・しっかりしてそう!
想像つく回答もありましたが、、深く付き合ってきた友人ならではの回答もたくさん
・本当はおっちょこちょい
・実はおちゃめ(笑)
・マヌケのちかこ
・第一印象とのギャップがある
・目を離せない子供のようなヒヤヒヤ感がある!
付き合ってくと第一印象と全然違う!と言われることが多いのです。
実際、素の私は子供のまま大人になっちゃったような人間なんです(爆)
《本来の私》をクラウンで表現するためにメイクや衣装をひたすら研究しました。
《中を外に出す》=もともと在るものを表現する。
と言うことは、自分自身をよ~くわかってないと出来ないことなんですね。
6年前、先が見えない病室で病気の子供たちと、
私をはじめ不安なお母さんたちの心を救ってくれたクラウン
でもそのクラウンとの出会いによって閉じ込めてきた本来の私を目覚めさせてくれたのかもしれません。
そして数ヶ月後、会場であるマレーシアへ出発。
大きなスーツケース2つにただでさえ荷物はパンパンなのに、、クラウンの衣装、カツラ、バルーングッズが大幅に占めてました(苦笑)
迎えた本番当日。
なんと、、、、!!!!
準備万端で臨んだはずが、、、、
入場でまさかの派手に転倒(💦💦💦)
持ち時間が2分しかないため、あらかじめ膨らませておいた風船は破裂!
カツラと帽子が吹っ飛び、慌てて帽子だけ拾い被ったので
カツラなし😅のマヌケな姿でスタート。
また、会場も日本とは湿度が違い、2分のパフォーマンスの中で膨らませた
バルーンも破裂(泣)ここまでくると神様を恨みたくもなった(笑)
完成させたバルーンもあり得ないほど酷い仕上がりでしたw
そんな本番だったのです.......
「大大大失敗」としか言えない本番。
その2分だけを見れば無惨な結果でしたが、
ここまでの過程は大会までの全てに役立っていましたし、その転倒すらもパフォーマンスだと思った。なんて言ってくれた人も(笑)
存在で笑ってもらえたらそれだけでも成功だったかもしれません。
「あり方」が大事。
なんてよく言われることですが、この経験を通して
自分の無意識深くにある願いをあぶり出せました。
仕事もバルーンもクラウンもあくまでツール
今は「悟りの産業化」を掲げてAI時代の人間開発、組織開発を展開していますが、原点は同じ。
♡真のバリアフリー社会を創りたい!!
(誰もが悟りを出発に無限の可能性から生きられる社会)
♡思いっきり自分を表現できる社会にしたい
という想いなのだ。と再確認できました。
悟りを事業化するために創業から5年かかり、ようやく芽が出始めた、、というスロースタートな起業家人生ですが、様々な人生経験を通し、見えない根っこを育んできたという自負があります。2025年はたくさんの方と出会い
笑顔溢れる社会づくりに貢献したいです。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございます。