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小説 煙は消えても薫りは残る
プラトロスはこう記している。
私は森の中を歩いていた。いや、道に迷い、彷徨っていた。私は頼りない足で「カーン、コーン」と音のする方へ向かっていた。音を出しているのが獣の皮を纏った猟師だと分かった時に彼に声をかけた。
「すいません。あなたはそこで何をしているのですか?」と私は聞いた。
「備忘録として天候、狩猟の記録を岩に掘っているんだ。わしが土に還る時が来てもじゃ、わしの記録が誰かの役に立つじゃろう。自分のために、そして、誰かのために記憶を記録して置きたいのじゃ。」と猟師は答えた。
私はどんな記憶を記録として残せるだろうかと考えた。そして、出した結論が本を書くことだった。私に啓示を与えてくれた猟師にこの本を捧げる。
プラトロス著「ノーワンの戯れ言」の前書きより
テラス席の椅子のひとつだけが倒されたままになっているカフェのの店長マナミは震えながらコーヒーをカウンター席の客の前に置いた。
「ご来店、ありがとうございます。私、大黒朋哉さんの大ファンなんです。大黒さんがモーツアルトのトルコ行進曲をギターで奏でたお陰でクラシック音楽の楽しさを教えてもらいました。本当に感謝しかありません。」とラピスラズリ色のエプロンをしたマナミは涙目で大黒に語った。
「これまでの道程は順風満帆では決してなかったわけだけど俺を支えてくれるファンのみんながいたからここまでやってこれたんだよね。こちらこそありがとう。」と大黒はマナミの目を真っ直ぐに見つめながら礼を言った。
マナミのコーヒーは飲み干されて、記憶の中に薫りだけが残る。同じ理由で大黒の言葉は涙目で全てが蜃気楼のようになっているマナミの記憶にコーヒーの薫りと共に残っていくのだろう。