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大人だからできること!

崖に突き出した岩の上に彼は立っていた。彼は崖の谷底から眼をそらしていた。春風が彼に吹きつける。その風を受けると落下の恐怖と隣り合わせだった。そんな恐怖から両脚がガクガクと震えだしそうな姿を見せるわけにはいけない。彼にはその理由があった。
細い峠道を子供たちが通り過ぎている。彼はすれ違うのも困難な場所でなんとか彼らとすれ違う道を作るため不安に駆られながら岩の上に立っていた。本当はここから直ぐに立ち去りたい。しかし、子供たちに無様な姿は見せられなかった。
「ありがとうございます」と子供たちのひとりが彼に声を掛けてくれた。
「大人だからね。大人だからできることがあるのさ。」と彼は照れながらも子供たちに笑顔で答えた。震えだしそう脚と恐怖心を誤魔化しながら応えた。高所恐怖症の彼の見せ場だった。
無事に下山したあとの彼は私と赤提灯のガード下に向かい合っていた。
「なんか格好いいです。そんな姿に憧れます。子供たちに言われた時は気持ちよかったよ。」と彼は赤ら顔で私に自慢気に武勇伝を語る。
私も顔を真っ赤に染めながら「善徳を積んだね。」と適当に歩調を合わせた。
ここは誇張された自慢が飛び交う居酒屋。嘘だらけの自慢話を方便に変えてくれるお酒の有り難い効用。彼の横を通り過ぎた子供たちもやがて理解するだろう。大人だからこそ出来る事があるのさ。
#小説
#酔いどれ文学

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