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阪神・淡路大震災から30年

※この記事は5年前の震災25年の際に
Instgramに投稿したものを再編集したものです。

ちなみに追悼ウォークを実行した2015年当時は
mixiに日記を書いていました。

5年経過すればメインで利用する
SNSが移り変わっていくということですね。
果たして5年後にはnoteやTwitterを利用しているのか?

また、文中の写真は当時撮影したものであり、
腕が足りない点も多々ありますが、
そのまま掲載することにしました。


さて、ここからが本編です。
2015年。
阪神淡路大震災から20年という節目の年。
どうしても5:46に神戸の地に行きたい。
でも地元から初発電車に乗っても間に合わない。

もちろん前乗りという手はありますが、
本当に大切な人を追悼するために遠方から来られて
神戸に宿泊している方々のためのリソースを
私が使ってしまうのもよくないのではないかと考えました。

自分にしかできない追悼の方法はないか?
その答えがシンプルに「歩くこと」なのでした。
いまでも時間さえあれば歩いていくことの多い私ですが、
学生時代にはその究極として、
JR学研都市線・木津~京橋間約40km、
JR加古川線・谷川~加古川間約50km
を一日で踏破したこともあり、
10年前当時はまだまだその学生時代の勢いもありました。

さらに2014年の11月ごろでしたでしょうか、
たまたまNHKのドラマ『その街のこども』の再放送を観たことで
アイデアを得ました。


パソコンでマップを開き、そこに定規を当てて
「西宮から三宮までだいたい20kmか…4時間あれば歩けるな」
どんぶり勘定でしたが、成功する自信は確かにありました。

いまならGoogleMapで経路検索すれば最短コースや
所要時間まで計算してくれるのでしょうが、
当時はまだそんな知識はなく、
そして私はスマホを持っていませんでした!

前日1/16(金)は朝勤を終えてまっすぐ帰宅。
18時のニュースを観ながら、のんびり。
夕食までに一度仮眠をとったような記憶があります。

入浴後、支度を整えて23時過ぎに自宅を出発。


0:26 十三駅

十三0:29発の阪急神戸線の最終・西宮北口行きに乗車。


「本日の営業列車の運行は終了しました」
という放送が流れる西宮北口駅

0:47 西宮北口に到着。

ここから三宮まで約20km、
4時間歩けば到達できるだろうという
とても安易な考えでしたが、
成功する自信はありました。

この日は曇りで夜中の冷え込みがさほど
厳しくなかったのは幸いでした。
途中、少しだけ雨に遭いましたが、
雨具で凌ぐことができる程度で済みました。

山手幹線をひたすら西へ歩き、
2時ごろ芦屋川に到達。

芦屋川をくぐる山手幹線の道路
直前に雨が降ったため、路面が濡れて光っています



歩行者用のトンネルの内部には
震災当時の写真の展示があります。



防災倉庫の脇には井戸も
山手幹線沿いのどこかで


2:55 東灘区の野寄公園。
山手幹線は震災後に再整備されたこともあり、
沿線にはこのほかにも防災倉庫が
数多く見受けられます。 

途中で山手幹線を離れて南下。
かつて神戸港の貨物駅へ繋がっていた
神戸臨港線の跡地を整備した遊歩道を西へ。 

臨港線跡地の遊歩道。
保線作業者用の標識が残されてモニュメントになっています

5時過ぎ、予定どおり東遊園地 へ到着。
この年は1/17が土曜日だったこともあり、
例年を大幅に上回る数の人々が東遊園地に集まりました。 


5:46 黙祷。

神戸ルミナリエの際にも窓の明かりを利用して
文字メッセージを演出している
東遊園地すぐそばのビル。
この日は震災から20年目の1/17なので
20
1.17
でした

その後、しばらく東遊園地に滞在していたようですが、
記憶がありません。
きっと夜通し歩いてフラフラだったはず。


7時ごろ、三ノ宮駅の北にある二宮温泉へ。


入浴後、明るくなった東遊園地へ再び。
しかし徹夜で歩き続けたために
フラフラで、撤収しました。

体力的にも時間的にも、きっと10年前の自分にしか
できなかったであろう追悼ウォーク。
一生の思い出です。


以下余談:

フラフラで自宅にたどり着き
夕方まで爆睡した後、夜の飲み会に出席。
. 「今日はなにしてた?」と聞かれた私は
『一日中、寝てた』とだけ答えました。

(嘘ではない)


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