「 noteの言う、みんなつながろう、思想は」
「note」でうたっているのは、「皆つながろう!」だと思う。それを念頭に置いて運営部は動いているのであろう。
「皆つながろう」にはどう言う意味があるのだろうか?
ネットが出たばかりの時、人種・民族・言語・宗教を越えてみなで理解できる世界を作くろう、という運動があった。それは、旧AOL JAPANであった。
また、その焼き付けかと思っている。
人の考えや思いつくこと、頭の出来は、そう数年で変わるものではない。
皆でつながってどうするつもりなのだろうか?
単純なのだが、個と個のむすびつきは平安な時は大変だ。
何か自然災害とか、事件が起きた時は、いろいろな職種、年齢の人がひとつにつながり頑張る。
何かそういった契機なくして、平和ボケをした満ち足りた人たちが、いざひとつにつながろうと言っても常識で考えて無理である。
今の若い世代は、自己中で無責任のものが多く、自分のことは秘密主義ではないのだろうが、人から関与されたくなく、自分でお終い、という人が多いのではないだろうか。歳のいったものは、そういう若者たちを迎い入れようとする、度量や器はなく、年よりは若い人は彼らでやって行けばよいと、投げやり、無関心である。
この対立は続くであろう。
対立と言っても考え方や価値観の対立であり、彼らの生きる術に近いことであるから、簡単に溝を埋めることはできない。
お互いが、折れて、プライドを捨て話し合わなくては解決ができないであろう。しかし、すでに、その「解決する」という言葉さえ危ないのである。
齢よりは、もし、若者とお互いの溝がこれ以上ひらかないように、できるならば仲良くやって行くように話を持っていきたいとする。そうすると、年寄りから必ずと言っていいほど、一杯飲んで話し合おうや、になると思う。それに対して若者は、真面目な話をするのに、お酒なんか飲んでいられるか、素面に決まっているだろうになる。
ここで決裂してしまうケースは意外と多いのである。
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