「太宰治の妻・才女、美智子夫人について」
よく太宰治について評価されるが、太宰の奥様である美智子夫人はよくできた方だと思う。東京師範学校卒という優秀な肩書を持ち、才女そのものでる。
太宰は、美智子夫人と結婚を契機に自分の生活を見直して、よき家庭の夫として生きていくと長い手紙を書き、井伏鱒二に送っている。
井伏鱒二は、その結婚の媒酌人である。
太宰は、自分が気が違ったような行為をしたら、容赦なく捨ててくださいとまで言っている。
最初は、太宰は良き家庭人であり、注文の来た作品の締め切りを手帳に詳しく書き、職業作家の様に仕事をこなしていった。
夕飯も自宅で家族で食べ、太宰は日本酒を五合ほど飲むと寝てしまったらしい。それと毎晩、お豆腐が好きで食べていた。
その太宰の生活が崩れ去ったのはなぜだろうか?
芥川賞と縁がなかったせいだろうか?
文壇から相手にしてもらえなかったせいだろうか?
太宰の作品、斜陽の元になる手帳を太田静子という女性から借り、さらにお付き合いをしていくうちに、恋心がうまれたせいであろうか?
斜陽が出版され、太宰の所へ出版社から大金が入った。
家計のお金は、太宰が郵便局にすべていれ、郵便局の手帳を持ち歩いていた。家に入れるお金は太宰が決め渡していた。
その頃からだろうか。
太宰治が狂人の様に振舞うようになったのは。
毎晩、お座敷で宴会である。すべての飲食代金は太宰が支払っていた。盛大な酒盛りが毎晩続いたのである。そこには、誰も招待したことのないものが酒飲みたさに来ていた。彼らにも酒が振舞われた。
太宰は、家に帰らない日が増えた。
また、ろくに家に生活費を入れなかったので、稼いでいる作家がどれくらい立派な屋敷に住んでいるかと見ると、三鷹にある自宅は、障子は破れ放題、家は荒れ放題とすさんだ姿になっていた。
しかし、美智子夫人は二人の子供の世話をし、掃除、洗濯とそのような荒れ放題の家の中で家事をこなしていた。太宰に不平ひとつ言わずに。別居することもなく。もちろん、離婚騒動などあるはずがない。
美智子夫人は、太宰の自宅を守っていたのである。
すばらしい才女であると思う。
外では、夫の太宰が飲み歩き盛大に宴会を開き、愛人までいるのだ。
美智子夫人は、太宰の亡きあと、回想録を書いているが、太宰不安のためか太宰を一度も責めてはいない。
よい人だったといっている。
美智子夫人がいて、太宰は本当に幸せだったと思う。