「スーパーの買い物と生保の怖れ」
今日から食材が届けられると思ったら明日からであった。
助かった。
いつもの駅前にある大型スーパーへ行って、220円のコンビーフ君を買うことができた。ここのスーパーのお鮨のにぎりはおいしく、それを買った。わたしは、創作大賞の時に深夜から朝方にかけて仕事をするとかしたら、変な習慣がついてしまい、夜中に必ず何回か目が覚めるのである。
空腹でしょうがない。
それで、その時に食べるものをスーパーで購入した。
お鮨のにぎりが夜食である。
夕飯は、じゃーじゃー麺とコンビーフくん、とうもろこし、ポテトチップスである。わたしは、普段ご飯は食べない。齢なので糖尿病にならないためである。
それとアイスコーヒー、コーラ、お茶を買った。
買い物をしながら妻に生活保護の厳しさを説いていた。
ユーチューブでノートを取りながら学習したのだ。
生保になると地方自治体から古びたアパートを紹介される。そこには、一部屋しかない。四畳半の時もあれば六畳の時もある。八畳は贅沢で、絶対に割り当てにはならない。畳は変色し、表面はささくれだっている。
そういう人が住むのがぎりぎりのところに、法律で決まった「生存権」をまっとうするために、与えられるのだ。
簡単に言うと「生存権」が重視され、つまり、死なずに苦しい生活をしてでも「生きる」または「生きている」ということである。
社会生活を営む「人間」として「最低限の生活の保障」はされていないと思う。主観の相違だ、天国と思えば天国、地獄と思えば地獄ということだ。
きっと、「生保」になったらパソコンを取り上げられ、「note」はできないであろう。「note」は、高級であり、ブルジョワ階級のもの、貴族の者と思えて来るであろう。
映りの悪いテレビで、きっと天気予報を見て終わりであろう。テレビで何か、魅力的な商品が宣伝されていても、それはお金持ちの者であり、生保受給者には無関係なものだからだ。
食生活もすごく悪くなると思う。お米は普段食べないが、純粋な白米でなく、麦とかいろいろと入った雑穀米になるのであろう。
魚のしゃけかイワシが中心になることはわかっている。
さんまは高いから一生涯縁が無くなるであろう。
肉は、奮発して鶏肉であろう。小さなわずかな鶏肉で唐揚げを作り、ほおばるのである。
生野菜のサラダは贅沢品で、もやしが中心の野菜炒めになると思う。
わたしが、大好きな缶詰であるコンビーフくんは220円なので、週1回なら平気かもしれない。
髪を洗うシャンプーは消え、固形石鹸一色になるであろう。
わたしが、子供の頃は、まだシャンプーがなかった。頭を洗う際は、固形せっけんを網に入れてあたまにごしごしとこすり付け、泡立てるようにしていた。
洗濯機が丁度でできたころで、まだ洗濯用の桶があった。
テレビは白黒で足が長くチャンネルは2つしかなかった。
番組は、ニュースが多かったと思う。それとキックボクシングだ。
ラジオは、不思議なことにトランジスターではなく、ダイオードであった。
トイレットペーパーはまだなく、四角に紙屋さんに頼んで切ってもらったものを使っていた。
そういう経験があるから、わたしは強い。
しかし、妻は経験がないから無理である。
そういうことは、若い時だから良いのであって、齢を取ってから経験する者ではない。
そういうことを考えると、ローンに囲まれてはいるが、まだ幸せな方である。わたしは、宙に浮いているお金が気がかりでしょうがない。
宙に浮いているお金とは、簡単に言うと、借金が全額払えず、借金をして借金を支払っているお金のことだ。これは、だんだんと膨れ上がり、宙に浮いている内は、誰も文句は言わないが、宙から落ちた時が最悪だ。
借金取りが、我先にとお金をむしり取るようにやってくる。
そう、意気込んで来られてもそのときは、きっとお金はないだろう。
食べるお金、食費はどうなるのであろうか?
コンビーフくん220円ともおさらばだ。
ここらで、弁護士を呼び、弁護士に委任し、自己破産か。
めちゃくちゃに新築をし、自分で作らなくてよい借金を作ったのだから、債権者は、「ゆるしておけねぇーよ、あいつだけは、みんな、そうだろう!えいえいおう!!」となるかもしれない。
そうなるときっと免責どころでなくなり、反乱が起きるかもしれない。
免責にならなかったら、生保を受けながら返すのであろうか?
いや、生保の支給は、地方自治体からその人が「国民として最低限の暮らしをするために下さるお金なので借金の返済に回すということは、禁じられているはずだ。
債権者から恨みを買い、殴られたり、刺されないようにきを付けなくてはならない。セコムに頼むお金などないのだから。
波乱万丈の人生の様で、人生の終息は早いようだ。
無縁仏になるのであろう。
な・む・あ・み・だ・ぶ・つ・・・・・・