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「妻とわたしの実家」

 わたしの実家は新潟にある。
 
 父親が医学部の時から東京暮らしで厚生労働技官として東北地方のあちこちに飛ばされたので、そう長く新潟にいたわけではなかった。

 新潟と言えばお米と日本酒がおいしい。
 
 父は、アルコールはお付き合い程度で、後は、飲まなかった。
 
 わたしの弟が医師になり、我が家系は五代目の医師誕生となった。
 
 五代医師が続く家は珍しいらしい。地方自治体から電話があり、我が家系を讃える記念碑、が建った。
 
 我が家系は、弟以外は、ほとんどが東京慈恵会医科大学医学部卒であり、東京の港区の御成門にある慈恵医科大学本部と密接な関係をもっている。
 
 わたしは、病気になるとすべて慈恵医科大にお任せだ。
 
 東京慈恵会医科大学大学病院は、他の病院に頼らず、「科臓移植」を自力でできる優秀な医師が揃った病院だ。

病院

 わたしは、そこの石川教授と元・外科統括部長・現在・非常勤で若手を育てている遠山教授のお世話になっている。妻も腎臓でお世話になっている。

 世界の病院基準でいうとAA評価と日本では最高である。
 
 唯一、この医科大学病院の欠点は私立医大であるので政府からの助成金が少ない。最新設備のAIロボットの値段は破格だ。
 
 だから、寄付金をしてもらうしかないのである。
 
 簡単に言うと、入会金、授業料、寄付金とこれが支払えないと奨学生以外は、点数が合格点でも入学してから支払えずに困り、結局、退学、中退するしかないのである。
 
 お金は大切であり、ないよりあったほうが自由が利く。
 

 知らない人が多いであろうから、私立医科大学の御三家を書いて置こう。
 ① 慶應義塾大学医学部
 ② 東京慈恵会医科大学
 ③ 日本医科大学

 それらは私立でお金はかかるが優秀でないと入れない医科大学である。
  今、この私立の御三家に追い打ちをかけるのが、「順天堂大学医学部」と「昭和大学医学部」だ。
 「日本大学医学部」もよくなったときく。
 奨学生も多いらしい。
 
 日本の私立大学医学部は、特権階級が入れるところが。
 卒業までに3000万円から6000万円はかかる。
 病院に寄付をする人は億単位である。
 子供が卒業し、マークシート方式の医師国家試験に合格し、研修をする。
研修が終わると大学に残って基礎研究をするか、臨床医学をするか、または外の病院で勤務医をするか、父親の後を継いで開業医になるかである。

 お金が好きなら開業医になることだろう。
 毎日、窓口収入だけで10万円は入る。
 一か月に一度、国から保険の三割負担、五割負担分が振り込まれる。
 一か月に350万円は入るであろう。
 裕福である。
 裕福であり、国家試験には合格してあり、専門職でもある。
 これほど強い職業はない。

 実は、わたしは両親の期待を肩に背負いながら医学部を中退した。
 単純に合わなかったのである。

 弟は、金沢医科大学(私立で三流以下の所)と縁があったせいか、新潟で働いている。もちろん、開業医だ。

    ↑ 弟のクリニック

    ↓ 従妹の紹介

 次は、わたしの妻である。
 妻は、岩手県盛岡市の出身である。
 新幹線で、東京から盛岡まで6時間はかかる遠い。
 妻の実家は、地方公務員の家だ。
 これといって自慢することが頑張って探しても見当たらない。
 父親は、スキーで国体の選手となった。その後、三菱商事に勤務。
 スキーのために三菱商事退社。
 その後、岩手に、ステーキハウスを作る。繁盛し大儲けしたらしい。
 和牛専門のステーキハウスなので。
 食器、カップは、横浜の専門店まで買いに行ったそうだ。
 ステーキハウスの後、東京に上京し、原宿で生伴奏の飲み屋を開業する。
 これが最後だ。
 阪神大震災の時には、ボランティアとして現地のたこつぼとよばれる簡易宿舎で寝泊まりしながら働いたそうだ。
 偉い、としかいいようがない。
 妻の父は、思い付きで行動するタイプだ。
 最後は、一部屋一部屋に温泉がある温泉旅館またはホテルを作りたかったらしいが計画倒れした。
 

盛岡市


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