ゲーミフィケーションというものについて

仕事や勉強のような一見すぐに成果が出ない物事を、少しのマイルストーンに区切るなどをして、それをゲームのように攻略する・報酬を出すようなシステムをゲーミフィケーションというらしい。
ざっと定義や使われ方を調べてみた感じ、こんな雰囲気だった。

思うに、この言葉を好んで使う人間はゲームを”やっている”または”知っている”とは言えないだろう。

有名で面白いゲームしか知らないのであれば納得がいく。
つまり、クソゲーというものをひたすらにやったことが無いというわけだ。

言葉としての「ゲーミフィケーション」の使われ方を調べていたとき、ゲーマーの分類としてアチーバー(実績解除系を好む人)というのがあると書いてあった。
俺はこれに該当するだろう、全実績解除するまでゲームをひたすらにやることが少なくないからだ。

では、アチーバーが好むように仕事を加工した上で俺に振ったとして、ゲームのように楽しくクリアできるだろうか?

答えはNoだ。アチーバーといっても一枚岩ではない。
俺は、実績が全部解除できそうなゲームを選んでプレイを始めるからだ。
そんな奴にゲーム加工した仕事を与えたとしても、
「あ、これ全実績解除できそうにないな。」
という判断をして初手からゲーミフィケーションとしては失敗。GG。

同様のことが他のタイプに関しても言えるだろう。
例えば、キラー(勝つのが好き)は、勝てなくなるとすぐに嫌になるタイプもいる。
そうでなくても、努力してPSを磨いた上での勝利を求める人がいる一方で、オンラインゲームからチーターが消えないのは、勝つのは好きだが努力などは御免被る、と言うタイプがいる証左である。
その人にキラータイプを想定した仕事を振ると……


さらにいうと、
1.ゲームは楽しいものである
2.仕事や勉強がゲームになり得る
ここにも思い込みが存在する。

1.については、大きいゲーセンにでも行って対人ゲーをやっている人間を観察するのがいいだろう。あるいは、ハイキングシミュレーターをオススメする。
優れたゲームは楽しくて夢中になるものだが、ゲームが楽しいというのは誤りだ。

そして2.に繋がる。
仕事や勉強をどのように加工しても、ジャンルと人の組み合わせによっては、ハイキングシミュレーターになり得る。
つまりは、その仕事(ゲーム)が楽しいかどうかは、人それぞれだ、ということ。

和製RPGを好んでプレイするタイプの人が、必ず対人FPSを好む訳ではない。
ADVが好きな人間が音ゲーに執着できるとは限らない。


さて、ここまで書くと、
「ゲーミフィケーションというのは、ゲームが人を夢中にさせる仕組みの優れた部分を抽象化して現実に適用する試みであって、ゲームのジャンル云々の話は的外れだ」と反論が来そうだ。

だったら、ゲームという括りの言葉で、楽しく仕事に取り組めるのが当たり前になるという論調を捨てるべきだ。

人を破滅に追い込むまで夢中にさせているシステムは他にも存在する。
パチスフィケーションとでも名付けたらどうだ。
ゲームの優れた報酬システムをさらに発展させた、極限の遊戯ともいえよう。

おそらくだが、こういった名付けには抵抗があるのではないか?
それはゲームというものが社会に受け入れられつつある中で「こういった言い方をすればウケが良いだろう」といった打算でこういう言葉を使うっているからだと思う。

ま、反論あたりはざっくりと考えてみただけなんだけどね。
一言でまとめると、

「ゲーミフィケーション?一生ハイキングシミュレーターやってろ」

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