展覧会レビュー|ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ(森美術館)
鮮やかな痛み
今井花
六本木ヒルズの前には巨大な蜘蛛がいる。およそ10mもあるその生き物はブロンズ製で、枯れ木のような脚が冷たく刺々しい。作品から地面へと広がる影も怪物のようで、子供の頃は漠然と恐ろしかった。急に動き出したらどうしよう、実は少しずつ動いているのかも、と心配しながら、蜘蛛の近くでは慎重に歩いていたことを覚えている。私にとってルイーズ・ブルジョワの作品といえば、巨大で不気味な蜘蛛だった。
展示室に入ると、心臓や性器、断片化され繋ぎ合わされた身体が並んでいる。観ていると痛みを感じるような作品たちは、時にグロテスクでありながらも、生命の気配がある。その有機的な繊細さは、巨大な金属の蜘蛛とは真逆の存在であるように感じられた。自分が知っていたのはブルジョワの一面に過ぎなかったことに驚きつつ、彼女の軌跡を辿るように展示室を歩いた。
展示台の上に、湾曲した鏡と6体の人形が置かれている。ブルジョワの3人目の息子を題材にしたこの作品は《無口な子》という。妊娠し、横たわり、出産するピンク色の布で作られた人形たち。大理石でできた子どもは、ベッドの上でうずくまるように眠る。数十センチほどの人形たちは、マネキンのように、デフォルメされた身体で無表情のまま静止している。しかし、彼女自身の手で1体ずつ縫い合わせられ、あるいは彫られているからだろうか、命の温もりや息遣いのようなものを感じる。 人形たちの後ろにはカーブした横長の鏡があり、人形と鑑賞者の姿が歪に映し出されている。作品に沿って歩くと、鏡の歪みによって目眩のような感覚に襲われる。それは無口な子供が心に抱える痛みであり、彼を案ずる親の痛みでもある。
水彩画の連作《授乳》では、我が子への授乳の様子を赤だけを用いて描いている。作品を見つめていると、朧げな赤の中から、大きく口を開けた赤子の輪郭と乳房が浮かび上がってくる。それらを見下ろすような構図で描かれた《授乳》は、まさに我が子を抱えて授乳している母親の視点なのだと気づく。画面全体を覆うように滲み、重なり合う赤は血のようでもあり、母乳と血液は元々同じであることを思い出す。文字通り身を削って子供を育てる母親の輪郭が溶け出していくような痛みを感じる。
ブルジョワの作品は、彼女自身の記憶やトラウマをもとに制作されたものが多い。作品が直接的に記憶を象徴していることもあれば、それを解きほぐし消化するためのプロセスとなっていることもある。いずれの場合でも、彼女の作品と向き合うとき、鑑賞者は彼女の痛みや苦悩に触れることになる。だからこそ、作品を観ていると、時に目を背けたくなるような痛みや居心地の悪さを感じるのだろう。その点では、有機的な作品たちと巨大な蜘蛛は相反していないことに気づく。蜘蛛を観たときに感じた恐ろしさは、ブルジョワが抱えていたもので、私は蜘蛛を通してその有機性に共鳴したのかもしれない。
森ビルの53階にある森美術館には、東京を一望できるガラス張りの展示室がある。他の展示室とは違って、日光に照らされた明るい空間の壁に設置されているのは、《私の青空》という作品である。それは古びた「窓」で、塗装が剥がれた窓枠に、曇ったガラスが6枚嵌まっている。ガラスの奥には、鱗のように重なり合う乳白色や赤色の山と空が見える。絵の具と紙で作られた景色は閉塞感があり、素朴な舞台セットのようにも思える。
ブルジョワがこの作品を制作した当時、家と女性は今以上に不可分な存在だった。彼女がそれを強く意識していたことは、女性の身体と家が融合したモチーフを描いた、「ファム・メゾン」シリーズからも伺える。《わたしの青空》と名付けられたこの窓から見える景色は、家に留まることを求められてきた女性たちのものである。「わたし」とは、全ての女性たちであり、その中には、妻あるいは母として家の中にいることが多かったブルジョワ自身も含まれている。
窓に切り取られた四角い景色は、不自由さの象徴と言えるが、閉じられた家の中にいる女性たちにとって、窓は世界と繋がるための場所でもある。《わたしの青空》の現実的ではない色彩の景色は、「わたし」の精神はいつでも自由で、想像力があれば現実とは異なる世界にも行けるのだと示しているようでもあった。
ブルジョワの作品は鮮烈な生命力や感情を纏っていて、彼女が約100年前に生まれた女性であることを忘れてしまいそうになる。彼女の痛みや苦悩は個人的なものでありながら普遍的で、制作から時を経ても作品を通して鋭く突き刺さる。ブルジョワの作品はフェミニズムの文脈でも高く支持されてきたが、今よりもずっと女性が抑圧されていた時代にブルジョワのような女性がいたことは、21世紀に生まれた私にとってもひとつの希望である。
六本木ヒルズの前にいる巨大な蜘蛛は《ママン》という。恐ろしく感じられた蜘蛛は、お腹に卵を抱えた母親だった。ブルジョワの言葉によれば、蜘蛛はタペストリー工房を営んでいた彼女の母親を象徴しているそうだ。母親は温厚で安心できる存在でありながら、我が子を守るための暴力性も持ち合わせている。矛盾を抱えた蜘蛛は、正反対にも思える作品を制作していたブルジョワ自身でもあるのかもしれない。そう思って蜘蛛を見上げてみると、蜘蛛はもはや金属製の怪物ではなく、痛々しくも逞しい生き物だった。
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ
会場:森美術館
会期:2024年9月25日 - 2025年1月19日
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/