環境法令 その12(公害分野-3)

保留になっていた案件が一気に動き出し、少し事務所内が慌ただしくなってきました。
こういう時に限って新規のお問合せも増えてくるものですね。
ありがたい話です。


今回は四大公害の中から、熊本水俣病について少し掘り下げていきます。

熊本水俣病といえば、教科書でも習ったのでその名称はご存知の方は多いと思います。


熊本水俣病は、熊本県水俣市で操業していたC社(社名は公になっていますがあえてC社としておきます)の工場においてアセトアルデヒドという化学物質を製造する過程で生成されたメチル水銀化合物という有機水銀化合物の一種が何ら処理もされずに水俣湾に排出されていました。
それにより水俣湾及びその付近の海域に生息する魚介類が水銀に侵され、その魚介類を摂取した住民に被害が発生しました。

主な症状は、感覚障害(たばこの火を押し付けられても何も感じない程の間隔麻痺)、運動失調、求心性視野狭さく、聴力障害、言語障害などがあり、ひどい場合は死亡に至ったそうです。

水俣病が最初に確認されたのは、1956年5月のことです。「原因不明の中枢神経疾患が多発している」とC社水俣工場附属病院の医師が水俣保健所に報告しました。

そして調査によってC社水俣工場からの排水に含まれる何らかの物質が原因だという事がわかってきました。
当時の厚生省は工場に対して対応を求めましたが、当時の通商産業省は「原因が確定していない段階で断定的な見解を述べるな」と申し入れたそうです。
自社工場の排水が原因であると知っていたC社は原因解明に非協力的であり、経済発展・産業発展を優先に考える通商産業省はC社をかばっていたフシがありました。

工場側が何の対策もせずに有機水銀をたれ流す状況が続いていましたが、究極的には水俣湾の魚介類を食べなければ被害は防止できます。
熊本県知事には、食品衛生法に基づいて魚介類の捕獲禁止を命ずる権限がありました。

しかし、知事からこの命令を発する権限を行使できるか問われた厚生省は、
「水俣湾内特定地域の魚介類すべてが有毒化しているという明らかな証拠が認められない限り捕獲禁止の命令は発出できない」
と回答しました。

この見解によって、「魚介類の捕食による被害の防止」という道は絶たれるとともに、C社の操業にお墨付きを与える結果となりました。
そしてなんとC社はこのあとC社は排水口を水俣湾内から湾外に変更しました。
これによって有機水銀は水俣湾から八代海全域に放出され、水俣以外の地域にも被害が拡大しました。

最終的にC社が水俣工場においてアセトアルデヒドの生産を中止したのは1968年5月国が熊本水俣病の原因は、C社水俣工場から排出されたメチル水銀化合物であると発表したのは同年9月でした。
最初の水俣病発見から実に12年もの歳月を要しました。
(今回の出典元:北村喜宣氏著「環境法[第2版]」)


原因がC社にあることが明らかになっても何故被害者をはじめとする住民は黙っていたのでしょうか?
なぜ、行政や国の対策はこのように遅々としていたのでしょうか?

そのあたりについて次回触れていきます。

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