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広島出身者として

広島市の平和記念式典において、ロシアは招待しないがイスラエルは招待するという広島市のダブルスタンダード、ひいては虐殺を見過ごす行為だと批判されています。私も強く批判します。

私は広島県出身で、物心つく前と、社会見学で原爆資料館に行きました。

社会見学のとき、私は班長で、もちろん班行動をしなくてはならなかったんだけど、展示があまりにも恐ろしくて、直視できなくて、順路の最短をほとんど目をつむりながら早歩きで進み、展示室を出てしまった。
出口で待っていた先生に「班のメンバーはどうしたの? 班行動に戻りなさい」と言われたけど足がすくんで動けなくて、そうこうしている間に班のメンバーも展示室から出てきた。

私は、あの展示を見てケロッとしていられることの方が信じられなかった。

広島を出て、岐阜県へ引っ越してきて驚いたのは「8月6日」という日付を言える人がほとんどいないこと。広島出身者なら、日付はもちろん「8時15分」という時刻まですらすらと出てくる人が多いのではないだろうか。

ある日、地元が広島県で社会見学で原爆資料館に行ったけど怖くて見れなくて、という話をしたら「見れるようになったときが向き合える時なのかもね」と軽く言われて、まるで私があの惨禍と向き合っていないような言い方をされて、怒りとか伝わらない虚しさとか、いろんな感情がないまぜになった。

戦争、原爆への恐怖は、社会見学に始まったことではない。
他県ではどうなのかあまり知らないのだけど、広島では平和学習の時間が必ずとられていて、夏休み前には体育館で戦争や原爆の愚かさや悲惨さを伝えるアニメ映画を見るという行事があった。

担任の先生のお母さんが広島の隣町で戦争を経験された方で、映画を見る前に、先生が教室でお母さんから伝え聞いた話をしてくれた。
それから廊下に並んで体育館に移動しましょうとなった時、猛烈にお腹が痛くなった。これ以上恐ろしいものを見たくない、見れないと体が拒否したのだと思う。
座り込んで動けないほどの腹痛だったので、みんなが映画を観ている間は保健室で休んでいた。
その時の映画は「しんちゃんの三輪車」で、クラスメイトに絵本を持っている子がいたので、先生から「借りて読みなさい」と言われたけど、読んだふりをして誤魔化した。(あらすじを説明されたか後に読んだか調べたか何かで、しんちゃんの三輪車のエピソードは知っています)

私は私なりに、戦争や原爆の恐ろしさ、理不尽さ、愚かさと向き合ってきた。簡単に基準にしたらいけないけど「8月6日」がパッと出てこない人にジャッジされたくなかった。資料館でさえ直視できないほど恐ろしいものだということが分かっているのか、伝わっているのか、不安になった。

大人になってから、長崎の原爆資料館にも行った。資料館の隣の、死没者追悼平和祈念館にも行った。
原爆投下により亡くなった方の名前がおさめられた場所。

そこで、ピースサインをして写真を撮っている人がいた(中高年の方、雰囲気や言語からして国内旅行者だと思います)

信じられなかった。たくさんの水が流れる静謐な空間。なんでたくさんの水が流れているのか、この人はきっと知らないんだ。
驚いて、混乱して、ボランティアの方のガイドを聞いている最中のことだったので注意もできなくて。
お願いだから、その場所の意味を、隣の資料館で知ってくれますようにと祈るしかなかった。

広島にいた頃は、8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下されたことは常識で、そこで何が起きたのか、なんとなくでも知っているものだと思っていた。でも、ほとんどの人が知らなかった。
私は、広島県の外に出て良かったと、本当に思う。知らない人がたくさんいるということを知れて良かった。

漫画家・こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』の中にこんな言葉があります。

わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ

『夕凪の街 桜の国』こうの史代

パレスチナ、ガザでも、同じことが起きている。ただそこに暮らしている人々が、理不尽な攻撃に晒されている。
連帯しようという人々がどれだけ声をあげても止まらない。
イスラエルを擁護する人は、パレスチナの人々に同じことを思っていないのか? 人として、正しい道を歩んでいると胸を張って言えるのか?

長崎市は、イスラエルを招待しないことを決めました。それどころかパレスチナ大使を招く、と。
市長の平和宣言を聞いていても、広島と長崎では、大きな意識の差が生まれてしまっていると感じています。長崎には「ここを最後の被爆地にする」という強い意思を感じる。

広島市は、自分の立場を見直してほしい。例えば原爆ドーム前でスタンディングやデモを行うことの意味。世界中から観光客が来ていて、そこで行われたことは世界中に発信される。平和を求める強いメッセージを発する力が、広島にはある。

私の力は小さいよ。家族の事情で、広島にも帰れない。一緒に立つこともできない。
でも岐阜から応援しています。岐阜でも声を上げます。一人でも多くの人に振り向いてほしいから。一人でも多くの人に、心を寄せてほしいから。

広島出身者として、誇れる広島であってほしい。そして、広島をそうたらしめようとする人々に、心から敬意を表します。

戦争をするな。虐殺を正当化するな。

こんな当たり前のこと、言わなくてもいい社会になってくれ。そうなるまで言い続ける。

JCPサポーター@ぎふ

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