大阪府政に丸ごと協力する読売新聞の行く末は?
「貧すれば鈍する」とはこのことか。読売新聞大阪本社が大阪府と包括連携協定を締結したと知り、唖然とした。協定によると、両者は「パートナーとして密接な連携により、府民サービスの向上、府域の成長・発展を図ることを目的とする」とし、教育・人材育成から情報発信、地域活性化、産業振興、環境に至るまで府の施策全般に及び、あのカジノ誘致とセットで進められる大阪万博の開催に向けた協力も含まれるという。これには、すぐさまジャーナリスト有志が抗議声明を出し、短期間で数万人の賛同署名が集まったと伝えられているが、当然だろう。
国民の「知る権利」は「あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」とうたう日本新聞協会(もちろん読売も加盟している)の「新聞倫理綱領」に反するのは明らかで、大阪において読売は報道機関の立場を投げ捨て、府の広報機関に堕するものと言わざるを得ない。もっとも、読売にすれば既に国政において安倍政権時代から改憲の旗振り役を果たすなど政権寄りの姿勢をずっと取ってきたのだから、今さら維新の大阪府政と一体化するのかと批判されたところで痛くも痒くもないのだろう。
それより、同協会が発表したスポーツ紙を除く一般紙の昨年の総発行部数は前年より約180万部も減り、3千万部を割り込む寸前になっている。全国紙・地方紙を問わず新聞の経営が厳しい現実にあるのは否めない。日本で最大の発行部数を自認する読売とてその例外ではなく、「権力の監視がジャーナリズムの本分」などと青臭いことばかり言っていては社の存続自体がピンチに陥る、ほかにどんな手があるのかと経営陣は開き直っているようにも映る。だが、例えば企業経営者の集まりである経済同友会でさえ不偏不党を標榜し、行政とは一線を画す。個別の社会経済課題に対する取り組みで協力することはあっても、丸ごと政府の応援団になるのではなく、あくまで行政のなすべき施策について提言するのを旨とし、時には注文を付けたり批判もしたりするのである。「武士は食わねど高楊枝」とまでは求めないが、食うために是非を問わないと言うのであればもはや読売には新聞を名乗る資格はない。この手は活路を開くどころか“自殺行為”になると声を大にして言いたい。(S)
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