岸田政権の大軍拡路線と広島サミット
私は、湯崎英彦広島県知事を、叡智学園の創立や平川理恵教育長を登用したやり方などを通して「うさんくさい政治家だな」と思っている県民の一人である。ただ、その湯崎知事が毎年8月6日の平和式典で世界に発信する「あいさつ」にはいつも注目してきた。なぜなら、よく練られた説得力のある言葉で、一貫して「核抑止論の虚構」を鋭く突いてきたからである。
たとえばこんな具合だ。
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「いいかい、うちとお隣さんは仲が悪いけど、もし何かあれば、お隣のご一家全員を家ごと吹き飛ばす爆弾が仕掛けてあって、そのボタンはいつでも押せるようになってるし、お隣さんもうちを吹き飛ばす爆弾を仕掛けてある。一家全滅はお互い、いやだろ。だからお隣さんはうちに手を出すことはしないし、うちもお隣に失礼はしない。決して大喧嘩にはならないんだ。爆弾は多分誤作動しないし、誤ってボタンを押すこともないと思う。だからお前は安心して暮らしていればいいんだよ。」
一体どれだけの大人が本気で子供たちにこのような説明をできるというのでしょうか。
良き大人がするべきは,お隣が確実に吹き飛ぶよう爆弾に工夫をこらすことではなく、爆弾はなくてもお隣と大喧嘩しないようにするにはどうすればよいか考え、それを実行することではないでしょうか。
私たちは、二度も実際に一家を吹き飛ばされ、そして今なおそのために傷ついた多くの人々を抱える唯一の国民として、核抑止のくびきを乗り越え、新たな安全保障の在り方を構築するため、世界の叡智を集めていくべきです。 (2018年)
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今年(2022年)の式典では、ロシアのウクライナ侵攻を念頭に、「核兵器は現実の今そこにある危機なのだ」と指摘したうえで「『力には力で対抗するしかない』と言う現実主義者は、なぜか、核兵器について、『指導者は合理的な判断の下、使わないだろう』というフィクションたる抑止論に依拠している。核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきだ」と述べた。
2019年の式典あいさつ次のくだりにも目を凝らしたい。
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なぜ、74年経っても癒えることのない傷を残す核兵器を特別に保有し、かつ事あらば使用するぞと他(た)を脅(おど)すことが許される国があるのか。
それは、広島と長崎で起きた、赤子も女性も若者も、区別なくすべて命を奪うような惨劇を繰り返しても良い、ということですが、それは本当に許されることなのでしょうか。
核兵器の取り扱いを巡る間違いは現実として数多くあり、保有自体危険だというのが、米国国防長官経験者の証言です。近年では核システムへのサイバー攻撃も脅威です。持ったもの勝ち、というのであれば、持ちたい人を押しとどめるのは難しいのではないでしょうか。
明らかな危険を目の前にして、「これが国際社会の現実だ」というのは、「現実」という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ、実のところは「現実逃避」しているだけなのではないでしょうか。
核兵器不使用を絶対的に保証するのは、廃絶以外にありません。しかし変化を生むにはエネルギーが必要です。ましてや、大国による核兵器保有の現実を変えるため、具体的に責任ある行動を起こすことは、大いなる勇気が必要です。
唯一、戦争被爆の惨劇をくぐり抜けた我々日本人にこそ、そのエネルギーと勇気があると信じています。それは無念にも犠牲になった人々に対する責任でもあります。核兵器を廃絶し、将来世代の誰もが幸せで心豊かに暮らせるよう、我々責任ある現世代が行動していこうではありませんか。
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私は、これらの主張にうなずく。ウクライナの惨状と核戦争の危機を目前して、いま広島から、私たちが起こすべき行動は「核抑止の欺瞞から目を醒ませ」という、核保有国首脳たちに向けた叫びだと確信する。その一方で、目前の現実に愕然とする。
広島1区選出の岸田文雄首相が来春、この広島やろうとしている「G7」とは何か。広島で、主要国サミットを開く意味は何か。核兵器を廃絶する重要な一歩にするため?それとも、ウクライナの危機を回避し核戦争を起こさないために、世界の首脳が覚悟を固める手がかりをつかむため?
残念ながら、そのような期待を込めて来年5月を見る市民がどれほどいるだろうか。残念ながら「いない」と断言してもいいほど私は確信する。
毎年の平和式典で語られる、「核抑止にしがみついていては平和も核兵器廃絶も訪れない」という指摘と、「広島サミットは核兵器廃絶をめざして開かれるものでは決してない」というもう一つの〝揺るぎなき〟確信。
この2つの「確かさ」の間に横たわるのは何か。日本が、岸田政権のもとで、米国からトマホークまで購入して敵基地を攻撃する能力を持ち、場合によっては先制攻撃も辞さない国になろうとしている冷厳な事実である。願望を持っているとかというそんなレベルの話ではない。そうなるために、軍備拡大の倍増予算を組む、財源づくりも綿密に具体化し、日本が米国、中国に次ぐ世界3位の軍事大国になる「仕様書」を年内にも閣議決定するというのだ。
いま目の前で行われている、そんな国づくりデザインのどこに、唯一の戦争被爆国が目指す「平和」な国づくりがあるというのか。軍事費をGDPの2%まで拡大する大軍拡方針は、いったい誰がどこで言いだしたものなのか。米国が言うことに唯々諾々とつき従うだけの国づくりの姿勢からは、独立国としての誇りや尊厳のかけらも感じることはできない。
私たちは、とうとうここまで来てしまったのだ。しかも、引き返すための時間はほとんどない地点に立っている—―。この現実を踏みしめながら、きょうからの一日一日を歩き続けるしかないだろう。同じ思いの人たちと語り合いながら…。そのためのエネルギーが、いつまでも自分の心と体に残っていることを信じて。(難波健治)
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