「コロナアピール」する男性たち
Twitterでこんな記事を見かけた。
武藤弘樹
40代~60代の、いずれも男性が、症状も無く発症もしていないのにも関わらず、街で「俺はコロナ」と言い世間を騒がせているのはなぜか、という疑問を投げかけ、その理由について考察したものだ。
筆者はこう綴る。
「俺はコロナ」で捕まった男性たちの中には、「ちょっといたずら」のつもりで仕掛けてみたが、周りからするとその発言はまったくいたずらどころではないので大事になった、という人がいそうである。(中略)「本当は、自分はコロナではない」と、真実を知る当人のみが面白がれる悲しい冗談である。
そもそも男性は悪ノリしやすい生き物である。(中略)理由がなぜかはわからないが、こうした現象を見ると男性の方が女性より悪ノリしやすいことがうかがい知れる。悪ノリは複数人いることで度を増していくが、一人でも可能である。(中略)「俺はコロナ」で捕まった男性には多かれ少なかれ悪ノリがあったかもしれない。
この衝動が他人事ではなく、反面教師として学ぶべきだという意見には賛同する。
しかし、理由もなく男性が「いたずら」で「悪ノリしやすい生き物」だと判断するのは、少々雑ではないか。
男性の「コロナアピール」の正体は何なのか。
ジェンダーの観点から見ていくと、実は簡単に説明がつくのである。
女男のジェンダーロール
なぜ、”コロナアピール”する人の中に女性はいなかったのかを考えてみてほしい。
女性は”陰湿”だからこのような大っぴらないたずらはしないのか?男性は”お調子者”だからこのように大っぴらに世間を騒がせるのか?
違う。
そもそも(身体的)女性も男性も生まれながら性別によって特定の性質や本能を持っているという考え方は、私は正しいと思わない。彼らは生まれてから社会の価値観に晒され、それぞれ女性・男性的な仕草や行動パターンをプログラムしていく。家庭で、学校で、街中で、あらゆる情報から自分の性と一致するものを取り込み、それが自分にとって正しいものであると肯定し、定着させていくのだ。
中には途中で「何か違う」「私は女だけど男っぽい」と違和感を覚える人もいる。それは、社会でつくり上げられてきた「男らしさ」や「男性像」に自分が当てはまっていたり、また逆に社会の「女らしさ」と自分が重ならなかったりすることが要因で生じる違和感なのだ(ここでは性別違和ではなく社会的に構築されたジェンダーロールの違和感を指す)。
文化的「女らしさ」「男らしさ」とは
男らしいとされる人は、大きく、強く、挑戦心を持ち、発言力があり、競争を好み、ときに暴力的で、異性の体を求める。これらの性質を「男性性」と呼ぶ。
女らしいとされる人は、優しく、大人しく、出しゃばりすぎず、聞き上手で、母性があり、性の象徴で、子供を守り、安心を求める。これらの性質を「女性性」と呼ぶ。
どちらも合わせて「ジェンダーロール」という。社会においてそれぞれの性別に求められる性質や役割のことだ。もちろんこれらは例にすぎず、他にもたくさんの要素がある。
先述したようにこれらのジェンダー観に違和感を持つ人もいるが、しかし人間が自分の生きてきた環境やそれによって構築された自分の価値観を批判的に見るのは至難の業なのだ。そのため、社会ではジェンダーロールに沿った生活をしている人がほとんどだといえるだろう。
「コロナアピール」する男性は男らしい
以前ふと不思議に思ったことがある。なぜ男性はわざとらしい大きなくしゃみをするのに、女性はハンカチや手で押さえ、あちらを向いて静かにくしゃみをするのだろう、と。
女性は幼い頃から「女の子なんだから、行儀よくしなさい」と言われて育っている(言われてこなかった女性のことを私は羨ましく思う)。対して男性はどうだろうか。家庭内で手本となる父親たちは、どのようにくしゃみしていただろうか。また、彼らのくしゃみ行動は一人でいる時と、周囲に人がいる時で変わるだろうか。そこで、私は大学で何人かの知り合いに掛け合って、家族や友人、先生などについて教えてもらうことにした。
話を聞いていくうちにわかったのは、多くの男性は家でくしゃみの仕方について何も言われていないということ、そして彼らの多くは誰も見ていないところではわざと大きな声を出してくしゃみをしていないということ。また、若い男性に比べて年上の男性のほうが遠慮なく大きなくしゃみをするということ。
一体どういうことなのだろう。
男性性の内面化
大きなくしゃみ、大きな咳払い、大きな声… 電車や街でこういう男性が多いな、と思ったのは私だけではないはず。これらの行動は”男らしい”仕草なのだ。彼らは周囲のあらゆる人に自分の存在をアピールし、また”男らしさ”を見せている。アピールしたいと思ってやっている人は少なく、むしろ無意識にやっている人が多いはずだ。それが年を取るにつれて、より習慣化されていく。
彼らは、これらの行動によって周囲が驚いたり、一定の距離を置いたりすることで、自分の威厳を保っている。相手が女性であれば、威厳を見せることでより満足感が得られる。反対に、誰からも注意を引けない場所では、ただうるさいだけの行動をする必要がない。
これらの”男らしい”仕草に「コロナアピール」が含まれると私は考えている。報道されていた彼らは、まさに男性のジェンダーロールを内面化しているのである。街で、彼らの声を聞く人たちがいる場所で、”男らしさ”を振り撒いているのである。これを「男特有の悪ノリ」と片付けてしまってはならない。
”男らしさ”からの解放
”男らしさ”はポジティブな側面ばかりではない。ときに暴力的・排他的で、多くの場合において男性ら自身へのプレッシャーになるという側面も持ち合わせている。
支配する側でいること、稼ぐこと、異性にモテること。これらの強迫観念は男性の脆さにもなり得る。社会で求められる男性性を内面化できなかった時、彼らは屈辱を感じ、また他の”男らしい”男性によって排除される。
しかし、社会におけるこの”男らしさ”というものの価値観が批判され、男性が”男らしさ”から解放されることで、男性は変わってゆけるのだ。
「コロナアピール」をせずとも自分の社会的価値を肯定できるよう、批判的思考力を高め、男性性からの解放を目指すことを願うばかりだ。
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