四国の端っこ、秘境の森紀行 その① ~深山と深海が出会い、美林を産む〜
森歩きを趣味にしていると、旅行の目的地は自ずと辺鄙な場所になります。歩いていて楽しい、原生的な天然林は、多くの場合人里離れた奥地にしか残っていないからです。
普通の人はまず行かないような、秘境じみた場所に突入することもしばしば。東北や信越の深山で、ブナ天然林を見に行くために激狭林道を延々と運転したり、青森ヒバの森に行くために、未舗装の県道にコンパクトカーでアタックしたり…。旅先で樹木に振り回されると、旅行が冒険に様変わりするのです。ああ悲惨……(笑)。
こんな感じで、森に吸い寄せられるようにして、僕は今まで数多の秘境をウロチョロしてきました。その中でも特に”秘境度”が高かったのが、四国南東部(高知県東部)のスギ美林。あそこは、森も含めて、地域全体がいい意味で異質極まりなかった…。
今回は、四国の端っこに広がる、あるスギ美林のお話。
深山と深海が出会う場所
四国南東部は、今も昔も深いスギ天然林で有名な地域です。
室戸岬を先頭に南に突き出した、”四国の南東の角”にあたる地域は、日本でも有数の多雨地帯(上の地図)。
このエリアでは、四国山地がダイレクトに太平洋に沈み込むため、山と海がくっついたような景観が広がります。陸地では、急峻な山が海岸線から迫り上がり、海面下では山の下半身が深海まで落ち込む…。室戸の海では、沖合2km地点の水深が1100mにまで達します。逆に、室戸岬の北東側の山地は、海岸線から1〜2kmの地点で標高600mまでせり上がります。
四国南東部は、世にも稀な「深山と深海が出会う場所」なのです。
それゆえ、太平洋の黒潮上で発生した雨雲は、十分な水量を保ったまま、南風によって四国山地へと叩きつけられます。深山と深海が隣接する独特な地形が、雨雲に寄り道の暇を一切与えない。結果として、この地域に膨大な降水がもたらされるのです。
実際、四国山地南東斜面(高知県馬路村)の年間降水量は、約4100㎜。東京(年間1500㎜)の2倍以上です。この多雨な環境、湿った場所を好むスギにとってはまさにパラダイス。
当地の豊かな環境で育ったスギからとれる材は、「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」と呼ばれ、その質の高さは多くの偉人をうならせてきました。
かの有名な豊臣秀吉は、京都の佛光寺大仏殿の建設の際、真っ先に魚梁瀬杉を建材として選び出したそうです。その時の建材候補は、他に木曽檜、熊野杉などなど。名だたる強豪ブランド材ばかりです。そんな中、秀吉から「一番の質」とお墨付きをもらった魚梁瀬杉の実力。すげえ、の一言です。
今日でも、四国山地の奥の方、高知県馬路村のあたりに行けば、見事な魚梁瀬杉の森を拝める、とのこと。
青森ヒバ、秋田杉、木曽檜と、日本三大美林を全制覇してしまった僕は、
当時とてつもない虚無感に襲われていました。
針葉樹の美林と初対面したときの感動は、もう一生味わえないのか…。
その寂しさで落ち込んでいたときに耳に入ってきた、魚梁瀬杉の情報。
「こんなキャラの濃そうなヤツが、まだ日本に居たのか‼︎」
これは行くしかない。
いざ出発。人生最後の、美林との馴れ初めを味わう旅へ。
凶悪なアクセス
林野庁のサイトによると、特に見事な魚梁瀬杉美林が広がるのは、高知県馬路村の「千本山」という山らしい。スギの大木がいっぱいあるから「千本山」。シンプル極まりない地名が、逆に高揚感を煽ります。
美林の香りがプンプンしてきやがるぜっ。はやる気持ちを抑え、自宅の神戸を出発しました。
千本山は、四国山地の奥深くに位置しています。だいたい予想はしていましたが、アクセスは凶悪。公共交通機関の利用はもちろん不可。
車で行くにしても、高速道路が使えるのは四国の玄関口•鳴門まで。そこから約160km、ずーっと下道を走らなくてはなりません。しかも、最後の50km強は離合困難な山道。狭い山道は、原生的な森にセットでついてくるようなもんなので、それ自体は別にいいのですが、いかんせん距離が長すぎる。50kmも離合困難が続いたんでは、さすがに疲労が溜まります。いままでに訪ねた森の中で、ぶっちぎりにアクセス悪いな…。
千本山までの道中、四国山地の深さを思い知らされました。考えてみると、いままで自分が歩いてきた山岳地帯には、全部”向こう側”がありました。 実家の近くの六甲山は、向こう側が有馬。十和田から見える八甲田山は、 向こう側が青森市と津軽平野…。山肌を一、二枚めくれば、景色に何らかの変化が生じるのです。 でも、四国山地は違う。山肌を何枚めくっても、また新しい山が立ちはだかる。山のヒダが、幾重にも折り重なってこちらに迫ってくるのです。ちょっと油断したら、本当に抜け出せなくなりそう。山に「向こう側」がない、ということが、こんなにも心細いものだったとは。
四国の地形の複雑さ、山の深みに戸惑いながら運転すること約2時間。やっとこさ、千本山の登山口に到着しました。
空と森の境界線が曖昧になる瞬間
駐車場から吊り橋を渡り、千本山の保護林に入ると、早速スギの巨木林に突入しました。
やはり、スギの巨木林の雰囲気は異質です…。
大人数人でも抱えきれないほど太い幹が、脇目も振らずに天を一突き。根元から見上げても、梢ははるか彼方…。それもそのはず、スギは日本で一番高くなる樹種。”空に一番近い樹”なのです。下界の人間の追従を簡単に許すような樹ではありません。
まったく、スギの巨木のスケールのデカさには、驚かされるばかりです。
普段見慣れた広葉樹林では、高くても樹高30mほどの樹しか見かけません。それゆえ、広葉樹林の林内を歩いていると、頭上に茂る高木の枝葉が直接視界に入ってきます。森の最上階であり、森と空の境界線でもある「林冠」の存在を、地上からきちんと確認できるのです。
一方、千本山のスギの樹高は50mを超えます。広葉樹林の最高木の2倍以上。こうなってくると、地上から林冠を視認することはほぼ不可能です。巨木の根元で梢の方を仰ぎ見ても、多くの場合樹高10〜20mほどの中高木の枝葉に視界を遮られます。
中高木がおらず、スギの巨木本人と直接対峙できるポイントに行っても、森の天井を自分の目に入れることは依然として困難。彼らは階層的に枝葉を茂らせるため、地上から見えるのは、”最下層の枝葉”のみ。その最下層の枝にしても、とてつもなく高いところに茂っています。「中高木層の向こう側の、スギの枝葉の下層部分の、さらに向こう側が林冠です〜」と言われても、いまいちピンときません。地上と林冠の距離が離れすぎているのです。
千本山の林床で、50m上空の”森の最上階(林冠)”の存在を体感する機会は殆ど無い。桁違いの樹高の高さが、森と空の境界線を曖昧にしている…。
森と空の継ぎ目すらもあやふやにしてしまうスギの巨木たちに対して、昔の人々は畏怖の念を抱いていました。”継ぎ目がない”ということは、連続して繋がっている、ということ。
スギの巨木の林冠部分は、そのまま天界に繋がっている。そして、神様は時折スギの真っ直ぐな幹を伝って、地上に降りてくるんだ。いつしかこんな信仰が生まれ、スギは神聖な樹として崇められるようになりました。
千本山の巨木林は、まさしく「天と直接繋がっている森」。日本人の樹木信仰が、現実味を帯びて自分のもとに降りてきます。
その②に続く…