樹木図鑑 その⑦ コナラ 〜人間の森林破壊は、いつも彼が尻拭いをしてきた〜
子供の頃、毎年夏休みになると近所の野生児たちがこぞって山に出かけ、虫捕りに勤しんでいました。
小学生というのはなんでも勝負事にしたがる性質を持つ生き物で、虫捕りのときも「何を何匹とったか」というのが野生児たちのあいだでステータスになっていました。僕も人並みに虫捕りにハマっていたのですが、その腕はイマイチ。神戸の森や公園で簡単に捕れるのはセミですが、すばしっこいアイツらを捕まえる運動神経を持ち合わせていなかったのです。
「お前1匹も捕ってないの〜?」といって自慢げに虫かごを見せつけてくる友人に対して、割とガチで嫉妬していたのを覚えています。
そんな僕を救ってくれた樹が、今回ご紹介するコナラです。
カブトムシの集まる樹
当時、僕の周りに、カブトムシやクワガタ等々、いわゆる「虫捕りの王道」を捕まえた者はいませんでした。カブトムシ1匹は、セミ10匹にも勝る戦績。友人を見返すために、僕はカブトムシの採集に乗り出しました。
僕たちの虫捕りフィールドは、神戸市街地の裏山・六甲山でした。今思うと、僕の周りにカブトムシを捕獲した友達がいなかったのには、六甲山独特の地形が関係していたのでは、と思います。
六甲山の南側斜面は、なかなかの急斜面で、特に市街地寄りのエリアには”崖”に近い様相の場所も点在しています。そういう場所には、急斜面を好む常緑樹のアラカシが生育していて、陰気くさい照葉樹林を作っていました。アラカシの森は、市街地のすぐ後ろに広がっているため行きやすいのですが、その内部は薄暗く、植物の多様性は高くありません。当然、昆虫も少ない。
一方、急斜面を上り詰めた先には、比較的なだらかな尾根や谷が連続していて、丘陵地帯のような地形が広がっていました。そういう場所には、土壌が厚く堆積した緩斜面を好むコナラ、クヌギがいらっしゃる。彼らは”里山林”として名高い、生物多様性の高い森を作り出します。当然、カブトムシやクワガタも多い。
しかし、市街地の後ろに立ちはだかる急斜面を乗り越え、コナラの森にたどり着くなんていう長旅は、小学生にとってはハードルが高い。大人の足でも、六甲南麓の尾根筋に辿り着くには40分ほどかかります。
それゆえ、多くの小学生たちにとって、虫で溢れかえるコナラ林は虫捕りのフィールドに入っていなかったのです。
市街地からアクセスしやすい場所には、カブトムシが生息するようなコナラ林がなかったこと。これが、神戸の野生児たちが”甲虫の王者”に謁見できなかった理由なのです。
このことに目をつけた僕は、大人の目を盗んで山の上のほうまで行ってみることに。
薄暗いアラカシ林の中をず〜っと上り詰め、尾根筋に到達すると、突如林相が変わり、コナラの森に突入しました。そして、近くに生えていたコナラの幹にホームセンターで買ってきた蜜を塗りたくると、翌朝にはカブトムシ(そしてゴキブリ、カナブン、ゲジゲジ)が大勢来襲。虫捕り界で天下を獲った瞬間でした。
「森は、地形に起因する”樹種の棲み分け”によって成り立っている」ということを、虫捕りを通してなんとな〜く実感した夏でした。
里山の代表樹種
上記の僕の体験からわかる通り、コナラの森は非常に生物多様性が豊かなのが特徴です。これは、かつて人間がコナラ林に対して、生物多様性を増幅させるような”プラス方向の介入”を行なったため。
コナラは、同属のクヌギと並んで「里山林」の代表樹種として知られています。
里山林というのは、人の生活空間に隣接して広がる森のことで、古くから薪や食料、肥料の供給源として利用されてきました。「薪炭」という超重要燃料源を産むコナラの森は、いわば人々にとっての生活基盤。それゆえ、農村地帯では、集落の周縁に広がるコナラ林が大切に管理されてきたのです。
里山のコナラ林の管理は、「樹の伐採」→「切り株を放置」→「切り株が萌芽し、育つ」→「伐採」…というサイクルに則って行われていました。このサイクルは、輪作のような感じで、区画ごとにその進み方が異なります。ある区画は伐採されて間もなく、切り株ばかりだけれど、その隣の区画は伐採が入ってからしばらく経っていて、高木が生い茂っている…という感じ。
つまり、里山では、「高齢の森」「若齢の森」「草原」がモザイク状に入り混じることになるのです。
こういったモザイク状の森林配置は、区画ごとの日照条件の格差を生み、そこに生える植物の多様性を大幅に増幅させます。すると、その花や葉を餌とする昆虫の多様性も増す…。そして昆虫の多様性が増せば、食物連鎖の上位層の両生類・爬虫類の多様性も増すのです。
例を挙げると、コナラ林はチョウの多様性が高いことで知られています。
高齢のコナラ林には森林を好むシジミチョウ類が棲み、若齢のコナラ林には草原を好むシロチョウ類やタテハチョウ類が棲む…という複雑な棲み分けが行われるためです。
また、コナラ林の林内ってめっちゃ明るい。
コナラ自体、それほど寿命が長い樹ではないため、大木まで育つことはありません。さらに、頻繁に伐採が入るため、樹の樹高は自ずと低く抑えられる。結果として、林冠を覆う枝葉の密度は低くなり、林内の日照条件が良くなるのです。
良好な日照は、豊かな林床植生を生み出します。理想的な状態の里山林では、グリーンシーズンであればどの季節に行っても、何かしらの植物が花を咲かせたり、実をつけたりしています。
グリーンシーズンの間、里山林から昆虫達の餌が消える瞬間はないのです。コナラ林の福利厚生、おそるべし。
さらに前述のように、コナラ自身も、幹から糖度の高い樹液を出して昆虫達に餌を提供しています。樹のウロで樹液酵母が生成されているところは、さながら昆虫達のレストラン。虫捕り少年たちがよだれを垂らすような光景が出来上がります。
里山林では、コナラが基本単位となって、自然環境のバリエーションを生み出し、さまざまな生物達に棲家を提供しているのです。コナラが主体となった植生は”生命のるつぼ”と呼べます。
自然そのもののお医者さん
コナラは、日本に生える樹総勢1300種の中で、最も個体数が多い樹のひとつです。あいつ、マジでどこにでも居る。
それもそのはず、彼は北海道〜九州まで、かなり広い範囲に分布する上、日本の森の大半を占める”二次林”のドンなのです。道央から九州北部までの日本の国土のうち、人工林と原生林、人里を除いた広大な領域は、ほぼ全てコナラの森によって覆い尽くされていると言っても過言ではありません。実際、神戸市内の山野で一番本数が多い高木はコナラであるとされています。
ではなぜ、コナラは広い範囲で、これほどの個体数を維持できているのか。
実は、彼の個体数をここまで大きく増やしたのは、我々人間なのです。
日本列島で農耕が始まって以来、我々日本人は森をイジメ続けてきました。列島の大部分を覆っていたシイやカシの原生林を伐って伐って伐りまくり、木材や薪を収奪し、農地や集落を造成したのです。
しかし、降水量が多く気候が穏やかな日本では、森が破壊されたとしてもすぐに植生が回復し、”二次林”が出来上がります。その二次林で覇権を握ったのが、コナラだったのです。
コナラには、強い萌芽能力が備わっています。それゆえ、伐採を受けたとしても、すぐに切り株から芽を出し、迅速に森をつくることができる。彼は、人間による森の破壊に対して、臨機応変に対応できるのです。
当然ながら、そういう”したたかさ”を持った樹は、強い利用圧を受ける森(二次林)で一気に権力を握ることになります。
コナラは、人間と非常に親和性が高い樹なのです。人間が日本の森に手を加えれば加えるほど、それに比例してコナラの勢力が拡大していく。
生態系の覇者である人間と二人三脚で歩める樹木は、一番の勝ち組といえるでしょう。人間が日本の森のほぼ全てを二次林に改変してしまった現在、自動的にコナラの個体数も日本最大となったのです。記録によると、すでに室町時代には、日本から原生林の姿が消え、その代打の二次林が山野を覆い尽くしていたとされています。
やがて、日本全国に拡大したコナラの二次林は前述の”里山林”となり、人間を含む様々な生物に利益をもたらす存在となりました。
人間が一度原生林を破壊し尽くしたあとも、そこで新たな命のゆりかごを作り、人間の生活と自然環境の両方を豊かにする…。里山林とは、コナラが原生林破壊の”尻拭い”をしてくれている場所なのです。二次林の樹種は、自然そのもののお医者さんのような役割を果たしているといえます。
近年、燃料革命や肥料の開発などによって、人間がコナラ林を利用する機会は大幅に減ってしまいました。それに伴い、コナラ林に人の手が入ることも無くなりました。
コナラ林の自然環境は、人の管理によって初めて成り立つもの。”人間”という生態系の1パーツを失ったコナラ林では、現在生物多様性の大幅な劣化が進んでいます。
「この流れを食い止めるため、再び里山管理を始めよう」とさまざまな環境団体が主張している一方で、「コナラ林は、人の手が入らなくなると自動的に照葉樹林に遷移してゆく。2000年前の原生林中心の生態系が復活するだけだ。人が手を加えるべきではない」と主張する人もいます。
人間が自然と完全に縁を切ることは、森にとって”病の回復”なのか、”パーツの損失”なのか。
コナラの、”自然のお医者さん”としての役目は、いまでも続いているのか、それとも彼はもう引退したのか。
二次林と原生的な森、生態系・人間にとって、好ましい影響をもたらすのはどっちなのか。
その答えは、まだ出ていません。
学名 Quercus serrata
ブナ科コナラ属
落葉広葉樹
分布 北海道、本州、四国、九州
樹高 20m
漢字表記 小楢
別名 ナラ、ハハソ
英名 ー