草木と生きた日本人 東国人と花
一 序
春へ咲く 藤のうら葉の うら安に さ寝る夜ぞなき 子ろをし思へば(巻十四・三五〇四)
(春の只中に盛んに咲く藤を覆ふうら葉ではありませんが、心安らかに寝る夜などない…。あの人のことばかり思ふと)
前回は、古へ人が愛し、歌に詠んだ藤の花についてお話ししました。すでに、藤の花の盛りは過ぎてをり、木々が青々と色付く季節になりました。
ところで、『万葉集』は主に都人の歌を収録してゐるのですが、実は都人のみならず都から見たら辺境の地といへる東国の人の歌も収められてゐるのです。この東国人の歌を東歌といひます。そして、草木を愛したのは都人だけではありません。東国の人もさうでした。
東歌は、陸奥から遠江、信濃国をはじめ、現在の埼玉県や群馬県、栃木県、千葉県にちなむ歌で、『万葉集』には二百三十首収められてゐます。
東歌には素朴な歌が多く、例へば、
おもしろき 野をばな焼きそ 古草に 新草混じり 生ひは生ふるがに(巻十四・三四五二)
(趣のある野を焼かないでおくれ。古草の中に新しい草が混じつて、生えるやうに)
武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも 君がまにまに 吾は寄りにしを(巻十四・三三七七)
(武蔵野に生える草が左右になびき、とにもかくにもあなたの心のままに私はなびき寄つてしまつたものだから)
のやうな歌もあれば、冒頭に書き記した「春へ咲く…」の歌も東歌です。
歌には当時の訛りも記録されてゐて、今を生きる私どもが読むと不思議で面白く感じるものです。なほ、「武蔵野の草葉もろ向き…」の歌は、府中の大國魂神社の大鳥居の前に歌碑が建つてゐます。
二 東歌に詠まれた草木
前の例で引いたやうに、東歌にもたくさんの草木が詠まれました。その中には、種類が明らかにわかるものと、わからないものとがあります。
わかつてゐるものを見てみませう。まづは一首目です。
恋しけは 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出なゆめ(巻十四・三三七六)
(恋に苦しくなつたら、袖を振らうものを、武蔵野のうけらの花のやうに人目につくやうになさらないで)
歌の中の「うけらが花」はおけらの花のことで、山野に自生するキク科の多年草です。おけらの花は『日本国語大辞典』によると、
「本州、四国、九州の、やや乾燥した山野に生える。茎は直立して高さ三〇~六〇センチメートルになり細く堅い。新苗は白毛で包まれ、葉は楕円形で互生し、縁に刺状の鋸歯がある。秋、枝の先に鐘形の総苞の外側に魚の骨状の苞葉をもつ白または淡紅色の頭花を付ける。若苗は食用とし、根茎を乾燥したものを蒼朮(そうじゅつ)と呼び、健胃・利尿・解熱・鎮痛剤とし、正月の屠蘇散の原料の一つともする。また、梅雨の頃、陰干しにして湿気を払い、邪気と悪臭を取り去るのに用いるならわしがあり、京都の八坂神社で行なわれる元日の朮祭おけらまつりには、オケラを加えた篝火かがりびが社前で焚かれる。」
とあります。今でも銭湯に行くと薬湯を使つたお風呂があります。薬湯の中には、「宝寿湯」といふものがありますが、それに蒼朮が使はれてゐます。よくあたたまります。意外なところに、おけらの花と私どもの接点がありますね。
この歌は、武蔵国(現在の東京都及び埼玉県)の歌で、女性の立場の歌です。
次の歌を見てみませう。
きはつくの 岡の茎韮(くくみら) われ摘めど 籠(こ)にものたなふ 背なと摘まさね(巻十四・三四四四)
(きはつくの岡の茎韮を私は摘むのだけども、籠がいつぱいになりません。あの人と一緒にお摘みなさいナ)
結句が他者の唱和である点が特徴ある歌です。「茎韮」はニラのことです。『日本国語大辞典』によれば、
「 ユリ科の多年草。アジア原産で、葉を食用にするため古くから栽培されている。高さ三〇~四〇センチメートル。全体に強い匂いがある。鱗茎は狭卵形でラッキョウに似ている。葉は束生し、狭線形で扁平、長さ約三〇センチメートル。秋、葉間から花茎をのばし、半球形の散形花序をつける。花は白く、径六ミリメートルほどで柄があり、やや密につく。花被片は六枚あって平開し先は鋭くとがる。」
とあります。「きはつく」は茨城県の真壁郡といふ説もありますが、わかつてゐません。この歌も女性の立場の歌でせう。
三首目の歌を見てみませう。
子持ち山 若かへるでの 黄葉つまで 寝もと吾は思ふ 汝はあどか思ふ(巻十四・三四九四)
(子持ち山の若い楓の木が黄葉するまで、一緒に寝やうと思ふけど、お前はどう思ふ)
「子持ち山」は、群馬県沼田市にある山のことでわかるやうに、上野国の歌です。「かへるで」とは楓のことです。楓の葉が黄色くなるまで、一緒に寝やうと誘ふ男の人から女性へ呼びかけた歌です。床しいやうな、なんといふか…。
このやうに、具体的に何の草木かわかるものもあれば、まつたくわからない草木もあります。次にそれらを見てみませう。
三 東歌に詠まれた謎の草木
まづは、次の歌をお読みください。
足柄(あしがり)の 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む(巻十四・三三七〇)
(足柄の箱根の山のにこ草のやうな花妻ならば、紐を解かないで寝やうか)
わからない草木は、「にこ草」のことです。柔らかい草説とハコネシダ説があります。ハコネシダは、『日本国語大辞典』によれば、
「シダ類ウラボシ科の常緑多年草。本州の関東以西、四国、九州の暖地の山中の崖や岩上にはえる。葉は三回羽状複葉。葉柄は黒褐色で光沢を帯びる。裂片は長さ一・五センチメートル内外の扇形でイチョウの葉に似ている。胞子嚢群は裂片の裏面の先端中央の少しへこんだ所に一個ずつ付き、そり返った葉縁で覆われる。全草を産前産後の薬に用いる。和名は、ドイツの博物学者ケンペルが元祿の頃、箱根山で採集したことによる。」
とあります。「にこ草」までは花つ妻を起こす序です。「花つ妻」は、花のやうに美しい妻のことです。
「足柄」をあしがりと読むのが注目するところです。これが訛りの一例です。足柄からわかるやうに、相模国(神奈川県)の歌で、男性の立場の歌です。
次の歌を見てみませう。
入間路の おほやが原の いはゐつら 引かばぬるぬる 吾にな絶えそね(巻十四・三三七八)
(入間路にあるおほやが原のいはゐつらの、つるを引けばぬるぬる続くやうに私との仲を絶やさないで)
「いはゐつら」がわからない草木です。ジュンサイ、ミヅハコベ説があります。これらは、池沼に生え、水面に葉を浮かべます。他にも、スベリヒユといふ説もあります。
いはゐつらまでが「引かばぬるぬる」を起こす序です。ぬるぬるするからジュンサイなのでせうか。「入間路のおほやが原」は、埼玉県川越市の東南あたりと考へられてゐます。具体的にはどこと確定させることは難しいでせうが、おほよそその辺りと見てよいのではないでせうか。いふまでもなく、武蔵国の歌です。
三首目の歌を見てみませう。
芝付の みうら崎なる ねつこ草 相見ずあらば 吾恋ひめやも(巻十四・三五〇八)
(芝付のみうら崎あるねつこ草の根付くやうに寝た。もし寝なかつたら、こんなにも恋しくはないものを)
「ねつこ草」がわからない草木です。翁草説がありますがわかつてゐません。「ねつこ」に、寝つ子をかけてゐます。「みうら崎」は三浦半島のあたりでせうか。未勘国歌の中にあり、どこの国の歌かわかりません。
このやうに、東国の人たちも、草木に例へて自身の思ひを歌つたのでした。しかし、誰がどのやうな目的で作つたのか、まつたくわかつてゐません。
これらの歌は民謡のやうなもので、田植ゑなどの労働の際に歌つたものと現代では考へられてゐます。しかし、仮に民謡であつたとしても、誰がいつどのやうな目的で作つたのかわからないにしろ、古くから私どもの先祖が草木と共に生き、愛し、その特徴をとらへ、様々な名前で呼び、親しんできた事実は明らかでせう。
古へ人が親しんだ草木。それらを古へ人が詠んだ歌と共に味はふ時、古へ人と同じ感性で結ばれると私は信じてゐます。興味がありましたら、一度、国分寺市にある国分寺の万葉植物園や、春日大社神苑の万葉植物園を訪ね歩いてみてはいかがでせうか。そこには、『万葉集』に詠まれ、古へ人が愛した草木が今も植ゑられ、私どもと古へ人を心と言葉、そして草木を通してつないでくれます。古への、遠くはるか昔の歌が、より身近なものに感じられるでせう。
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