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樹木図鑑 その⑩ エゾマツ 森の奥に隠れる、優しき女神

苫小牧市街から、道央有数の景勝地・支笏湖に向かう国道276号は、通称支笏湖通りと呼ばれています。普通の人からすれば何の変哲もない国道なのですが、樹木ファンからすると結構楽しいドライブコース。この道は樽前山麓の広大な天然林を突っ切っているため、沿道で様々な樹種を観察できるのです。

苫小牧側から支笏湖通りを走ると、最初にミズナラ林を通過し、次に針葉樹の大木が林立する森に突入します。本州では、針葉樹林は環境が厳しい亜高山帯にしか成立しないため、針葉樹の”大木”となると滅多に出会えません。
車で数時間かけて深山をすすみ、やっとこさ針葉樹林に辿り着いても、そこにいらっしゃるのは暴風雪によって地面に叩きつけられたシラビソやカラマツ、というケースが殆どです。

ところが、北海道においては、港町である苫小牧から20分車を走らせただけで、大規模な針葉樹林(正確には針広混交林)をおがむことができる。それゆえ、見事な大木に囲まれたドライブを堪能できるのです。

「北海道では、環境が比較的穏やかな低標高地で針葉樹林が成立するため、大木に成長した針葉樹が多いんですよ」という、森林科学の基本事項を肌で感じられます。
支笏湖通りをドライブすれば、北海道の森を知れるのです。



北海道の針葉樹の棲み分け

支笏湖通り沿いで見かける針葉樹の大木は、ほとんどがエゾマツ。以前ご紹介したアカエゾマツとともに、「北海道の木」に指定されている樹種です。

支笏湖通り沿いのエゾマツ。2022年4月20日北海道苫小牧市

北海道に生育する針葉樹の御三家はエゾマツ・アカエゾマツ・トドマツです。こちらの御三方は北海道の森の主要構成樹種として、生態系の中で重要な役割を果たしているのですが、互いに生育地を棲み分けています。
アカエゾマツは、湿地・溶岩流跡地・海岸沿いなど、他の樹種が生育できないような過酷な環境に積極的に進出する、チャレンジャータイプ。
トドマツは、日照条件が良い林縁・ギャップが大好きな、典型的なパイオニア樹種タイプ。
そしてエゾマツは、肥沃な平地・緩斜面で悠々と生活する、おぼっちゃまタイプ。

支笏湖通り沿いのエゾマツその2。本州の亜高山帯針葉樹林と比較すると、
あきらかに樹のサイズが違う。2022年4月20日 北海道苫小牧市

支笏湖通り沿いは、広大な平地となっていて、急峻な岩場など、樹木の生育を阻害するようなタフな地形は存在しません。いかにも、おぼっちゃまな気質のエゾマツが好きそうな環境です。彼らが道路沿いでおしくらまんじゅうをするように群生しているのにも納得です。

落葉広葉樹と混生するエゾマツ。アカエゾマツは、とんでもない本数の大部隊を編成し、広大な純林を形成するのが得意だが、エゾマツが純林を形成することはあまりない。基本的に、エゾマツはミズナラなどの落葉広葉樹と共同生活を送り、針広混交林を形成する。アカエゾマツが純林を形成するのは、彼らが他の樹種が住めないような過酷な環境で、孤高に生きているため。

モノマネ上手①  アカエゾマツなりすまし被害にご注意

エゾマツは、北海道の針葉樹御三家の中で最も出会うのが難しい樹種だと思います。いや、正確には「出会ったと気づくのが難しい樹種」といえるでしょう。エゾマツは、モノマネがすご〜く上手な樹種で、彼にはいつも悩まされています。
まず、エゾマツとアカエゾマツは名前が似てるだけあって、見た目も瓜二つ。

上に、エゾマツ(上)とアカエゾマツ(下)
それぞれの写真を並べました。ご覧の通り、まったく見分けがつきません。
この両者を全体的な樹形のみで識別することは非常に困難なのです。
となると、葉っぱを頼りに識別するしかありません。


上の写真2枚は、エゾマツ(上)とアカエゾマツ(上)の葉の比較です。写真をみると、エゾマツは葉が長く、枝から飛び出るようにして葉がついている(枝が葉と葉の隙間から見えている)のに対し、アカエゾマツは葉が短く、枝にしっかり葉が密着しています(葉でびっしり覆われていて、枝が見えない)。なんとなく、エゾマツの葉は大雑把で、アカエゾマツの葉はコンパクトな印象。

樹高30mの巨大な樹を見分けるのに、5㎝にも満たない微小な針葉をよーく観察しないといけない、という不条理さ。針葉樹のファンが少ない理由がよく分かります。針葉樹は、葉も樹形も全員同じようなルックスで、識別が面倒くさいのです。そして、エゾマツーアカエゾマツ識別は、ややこしい針葉樹の世界の中でも、最もタチが悪い部類に入るでしょう。
しかし、上には上がある。

エゾマツートドマツの識別は、もっとヤヤコシイ………。

モノマネ上手② トドマツにも変装

エゾマツは、苗木から成木へと成長するとき、通過儀礼として葉の付け方を変化させる、という面白い習性を持ちます。
下の写真はエゾマツの苗木の葉。

枝を横から見ると、葉が平面的についていて、枝葉に立体感が全くないのがわかります。エゾマツ若木の枝葉は、扁平な構造なのです。
林床付近で育つ若木の葉には、上からしか日光が当たりません。そのため、すべての葉を上向きにつけて、効率よく日光を浴びれるようにしているのです。

一方、上の2枚(↑)は、エゾマツの成木の葉。若木の枝と、印象が全く違って、なんだか別の樹種みたい。こちらの葉は、多方向に伸びているので、枝を横から見ると立体感があります。成木の葉は、三次元的に配置されているのです。
林冠付近の枝には、全方向から日光が当たります。そのため、葉も日光に合わせて多方向に伸びていくのです。

そんで、この立体的な成木の葉が、トドマツによく似ている。
ご覧ください。下の写真は、エゾマツの成木葉とトドマツを比べたものです。葉の長さ、密生の度合いが全く同じ。

ここまで悪質ななりすましは初めてです。識別の気力を失うレベル。
しかし、ここで諦めてしまっては針葉樹ファンを名乗れなくなります。なんとかして、この厄介なお二方のハラスメントを克服しなくては。ということで、両者の葉をじっくり観察し、見分け方を探ってみることにしました。
よくよく見てみると、エゾマツは葉にゆるいカーブがついています。

一方、トドマツの葉は完璧な直線。

どうやら、「葉っぱに反り返りがあるかどうか」という観点で、彼らの意地悪を丸め込めそうです。

初春の森を歩くと、その年の雪の重みで折れたと思われる枝がわんさか落ちている。
その中に、エゾマツやトドマツといった、詐欺まがいの葉をつける奴らがいるわけで……。
球果がついた枝に出会えたらラッキー。エゾマツは、枝先や枝の途中から
球果をぶら下げるようにして結実させるのに対し、トドマツは、球果を上向きにつける。

………とまあこんな感じで、エゾマツはいろんな樹種になりすまし、こちらの目を惑わせてくるのです。変装の名手・ルパンの素顔を知っている者が誰もいないのと同じで、エゾマツの素顔を知るのは至難の技です。エゾマツに遭遇したとしても、「彼はトドマツなの、アカエゾマツなの、それとも変装したエゾマツなの?」と混乱してしまい、結局誰に会ったのか分からなくなってしまうのです。実際、ぼくがずっと「アカエゾマツ」として認識していた樹が、数年後に確認してみるとエゾマツだった、という事件もありました。

エゾマツよ、あんまり変装ばかりしてると、そのうち誰も会ってくれなくなるぞ(笑)

この写真の中には、トドマツとエゾマツが写っています。どこにどっちがいるか、分かりますか?

扱いにくい樹種

エゾマツは、北海道の針葉樹御三家のなかで、最も人との関わりが薄い樹種だといえます。

アカエゾマツとトドマツは、庭木として積極的に社会進出しており、北海道内のみならず、海を隔てた東北地方でも公園樹・庭園樹として頻繁に植栽されています。一方で、エゾマツは人里・街中に植栽されることがほとんどなく、山の中で自生個体を見る以外に、出会うすべがありません。
林業の世界でも、アカエゾマツ・トドマツは主力造林樹種として、道内各地で植林されていますが、エゾマツが植林されることはほとんどありません。

支笏湖通り沿いでは、エゾマツの原生的な森の横に、アカエゾマツの植林地が造成されている。

この理由は、エゾマツ苗育成の難しさにあります。
エゾマツは、御三家の中で最も病気に弱く、暗色雪腐病(あんしょくゆきぐされびょう)の被害をたびたび受けてきました。

青森県で植栽されていたアカエゾマツ。
アカエゾマツは、日本産のトウヒの中では、最も頻繁に植栽される樹種。
それだけ栽培が簡単なのである。
一方のエゾマツは、栽培の難しさからか山奥に引きこもっている。

暗色雪腐病とは、地表に堆積した腐葉土に棲む菌によって引き起こされる病気で、雪の重みで枝が地表に接触し、そこで菌が枝に感染することで発症します。罹患した苗木は、雪解け後に葉をすべて落とし、やがて枯れてしまいます。根雪の下で蔓延する病気であり、積雪期間が100日以上の地域で流行するという報告があります。常緑針葉樹の苗木のあいだで流行する病気なのですが、どういうわけかエゾマツが最も抵抗力が弱いのです。
それゆえ、苗木畑でエゾマツを育てても、冬の積雪で病が蔓延し、せっかくの苗がパーになる可能性が高いのです。それなら、病気に強いトドマツやアカエゾマツを育てたほうがいいよね、ってなるのも当然っちゃ当然。

雪腐病に弱いのに、どうしてエゾマツは豪雪の北海道で生き残ることができるのか?という疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。エゾマツは、野生条件下では倒木や切り株上を主な苗木育成サイトとして利用し、土壌中の病原菌に侵されるリスクを回避しているのです。(倒木更新)

さらに、エゾマツはせっかちな性格なのか、展葉(春に新芽をだすこと)の時期がアカエゾマツ、トドマツよりも早い。これは、彼が遅霜のクリティカルヒットをくらいやすい、ということを意味しています。エゾマツよ、どうしてそんなに早とちりなんだ。そんな時期に芽を出してもいいこと無いぞ……。
これらの理由から、エゾマツは「扱いにくい樹種」認定され、積極的な苗木生産が行われてきませんでした。そのために、造林が行われることも少ないし、庭木としての流通もほとんどゼロなのです。

足寄町・オンネトーのエゾマツの大木。開拓時代の北海道の森には、こういった大木がそこかしこに生えていたが、現在では数が減ってしまった。エゾマツはアカエゾマツと同様、楽器材、家具材として用いられ、盛んに伐採されたが、その後造林が行われていないため、資源量の減少が問題となっている。(北海道内のエゾマツの蓄積は、1950年代の半分以下にまで減っている。)

優しき女神

そのデリケートさゆえに、人間との関わりが薄くなったエゾマツですが、僕は彼が大好きです。
北海道の深山に分け入り、エゾマツの見事な天然林を見た時には、やっぱり感動します。ドレスのような美しい枝垂れ樹形の大木には、独特な優美さ・気高さ・品格が備わっています。
アイヌ民族も、エゾマツの大木を神聖視しており、石狩地方には、ケソラプ(伝説上の鳥)に妖術をかけられて山に迷い込んでしまった若者をエゾマツの女神が救った、という民話が伝わっています。

エゾマツのチャームポイントのひとつは、美しい枝垂れ樹形。伝説によると、エゾマツの女神は、この枝垂れた枝の内側(幹と枝に囲まれた空間)に、山で遭難した若者を保護したらしい。

アカエゾマツと混同されることが多々ある上、人里で見かける機会が少ないため、どこか存在感が薄い印象のあるエゾマツですが、それでも彼は魅力的な樹種なのです。
枝垂れた枝の内側で人間を保護する、優しい女神が大木に宿っている……なんていう粋な空想の点火剤となってしまうんですから。
他の樹種になりすましたり、めっちゃ育てにくかったりと、一癖も二癖もある樹種ですが、彼もまた、北海道の森の重要なメンバーのひとり。これからも、エゾマツをよろしくお願いします。

<北海道の針葉樹御三家 識別点ダイジェスト>

①樹形
アカエゾマツ→枝が下に垂れる
エゾマツ→枝が下に垂れる
トドマツ→枝は斜め上を向く
②葉
アカエゾマツ→葉が3種の中で最も短かく、枝に密着する
エゾマツ→アカエゾマツと比較して葉が長い。また、葉の密生の度合いは低く、葉と葉の隙間から枝が見える。葉にゆるいカーブがついている。成木と苗木で、葉のつき方の変化が顕著
トドマツ→エゾマツと同じくらいの葉の長さ。葉は直線。葉先は尖っていない。
③球果
アカエゾマツ→枝先・枝の途中から下向きにつく
エゾマツ→枝先・枝の途中から下向きにつく
トドマツ→枝の途中から上向きにつく

樹種データ
学名 Picea jezoensis Carr.
マツ科トウヒ属
常緑針葉樹
分布 北海道、南千島、サハリン
樹高 40m
漢字表記 蝦夷松
別名  クロエゾマツ
英名  Yezo Spruce




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