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樹木図鑑 その⑫ ムクノキ 〜地中に宿る記憶を根で辿る、逞しき都市生活者〜

高校生の頃、よく自宅の神戸から大阪市内の植物園まで、自転車で行っていました。片道30〜40km、3時間ほどの道のりです。コレ、行きはそこまでしんどくないのですが、帰りが中々にキツイ。
淀川を渡って、国道2号を西へ向けて走っていくと、武庫川までの約15kmはずっと平坦なのですが、そこを過ぎて右手に六甲山系が迫るようになると、地味に道の起伏が激しくなるのです。長旅の終盤、疲れが溜まってきた頃に始まるアップダウン。自転車乗りにとって、これほど鬱陶しいモノはありません。なんとも意地悪な地勢ではありませんか。

天井川のまち


六甲山の南麓で、国道の起伏が激しくなるのは、天井川(河床が周囲の土地よりも高くなっている川)の存在が原因です。
神戸の市街地は、六甲の山肌から吐き出された大量の土砂堆積の上に形成されています。
六甲山を源とする川はどれも急流で、土砂の運搬能力はピカイチ。それに加え、六甲山の土質はもともと脆く、山肌そのものが侵食を受けやすい状態にあります。これらの要因が重なって、麓の川沿いには、みるみる土砂が溜まっていき、連続した扇状地が形成されました。そうして出来上がった地形が、神戸特有の、山と海に挟まれた狭い平野です。

神戸の川。標高100m近い六甲山から、わずか数kmの距離で海へ下るため、急流が多い。

急傾斜で海へと突進する神戸の川は、古くから暴れ川としてその名を轟かせてきました。そこで人々は、川の周りに堤防を築いたのですが、土砂の流入が多い川では、月日が経つにつれて堤防の効果が薄れていきます。堤防によって逃げ場を塞がれた土砂が河道に溜まり、河床そのものが上昇するためです。それに合わせて、さらに高い堤防を築くと、さらに土砂が溜まり、さらに河床が高くなる…。これを繰り返していくと、やがて河床が周囲の家の天井よりも高くなる、というわけです。

天井川ができるまで。(2017091800028より引用)


六甲山の南麓を東西に横切ると、夙川、芦屋川、住吉川、石屋川など、いくつもの天井川を渡ります。その橋へ取り付くためには、かなりの勾配が必要になりますから、当然ながら道路のアップダウンは激しくなります。
そもそも、川に近づくときは下り勾配、という一般的な地形パターンから考えると、川面が急坂の上にある、ということ自体おかしな話。天井川の手前で、自転車のギアを軽くしていると、神戸という街がいかに奇嬌な地理的特徴を持っているのか、身をもって感じた気分になるのです。
そして、神戸の地形が色々とヤヤコシイ、と思っているのは、おそらく人間だけではありません。神戸の特殊な地勢に、何かしらの思い入れを感じているんだろうな、という樹が、実家の近所に生えていました。

ガラス質の葉を持つ樹


ムクノキ(Aphananthe aspera)は、アサ科ムクノキ属の落葉広葉樹。暖かな気候が好きな樹で、西日本の低地ではごく普通に見られる一方、関東よりも北では殆ど見かけません。親戚にあたる他のムクノキ属樹種は、マダガスカルやオーストラリア、東南アジアに分布していますから、おそらく彼自身も熱帯に起源を持つのでしょう。

ムクノキの葉。兵庫県神戸市にて。

普通、落葉広葉樹の葉というのは薄く、柔らかな質感を持っているのものですが、ムクノキは例外です。彼の葉はかなり厚ぼったく、ヤスリのようにざらついた質感で、枝葉を撫でるとガサガサと騒々しい音が鳴ります。
実はムクノキの葉の表面は、ガラスの主成分であるケイ酸質物質で覆われており、それが異様に硬い質感の原因となっているのです。たった数ヶ月しか使わない葉に、何故こんなにも大袈裟な装甲を施しているのか、その理由は謎です。
昔は、ムクノキの葉が本当に研磨剤として使われていたらしく、木工品や漆器、べっこうを仕上げる際に重宝されていたそうです。10円玉磨きにも使えるので、暇なときにぜひやってみてください。

ムクノキの葉で磨いた10円玉。ちゃんと綺麗になってる。高校の食堂で、タバスコを10円玉にぶっかけて怒られたのを思い出す…。


食欲旺盛


ムクノキは、水が豊かな土地が大好き。でも、じめじめと湿った土壌は嫌いなので、水捌けの良い砂礫性の土壌が溜まった土地、もしくは肥沃な土壌がたっぷり積もった谷筋で森を作ります。どちらかというとおぼっちゃま気質の樹です。
ムクノキという樹種名の由来は、はっきり分かっておらず、”生い茂る”という意味の「茂く(むく)の木」であるとか、雑然と樹皮が剥がれた様を表す「剥くの樹」であるとか、色々な説が囁かれています。

ムクノキの大木の幹。ベリベリと樹皮が剥がれている。わかりやすい識別ポイント。

実際ムクノキは、自分の好みの土地で根付いた場合には凄まじい早さで大きくなります。芽吹いて5〜10年ほどで一人前の高木に成長するのです。
とにかく食欲旺盛な樹で、食べ盛りの男子のように、養分と水をありったけ体に取り込む習性を持ちます。その分、幹もどんどん太くなりますから、身に纏う樹皮は頻繁に取り替えなくてはなりません。
樹皮がベリベリに剥がれまくった、はしたない身なりのムクノキの大木をよく見かけますが、これも彼自身のせっかちな気質が原因です。

ムクノキは、かなりの短期間で大木に成長する樹木。その成長過程では、大量の養分と水を消費する。それゆえに、彼は水分条件・栄養条件の良い土地を好むのである。京都御所にて。

実家の近くの神社の裏手には、成熟したムクノキの林が広がっていたのですが、あそこは昔から僕のお気に入りの場所でした。
まさに”むくむくと”幹を膨れ上がらせた巨木が、四方八方に枝を伸ばしていて、夏の盛りでも、その森の内部は涼しげな空気で満たされていました。壮齢のムクノキは、急ごしらえの巨体を支えるべく、たいてい根元にLサイズの板根を装着しているのですが、あれが快適な背もたれになるのです。たくましい板根に背中を預けて、森の涼気を全身で浴びていると、ムクノキたちのもてなしを受けているような気分になります。
彼の樹姿からは、満ち満ちた健康的な活力を感じるのです。

ムクノキの板根


都市生活者としての一面


ムクノキは、人間の生活圏内によく出現するタイプの樹。山奥深くの原生林、みたいな人里離れた土地ではまず見かけません。もともと温暖な土地を好む樹木ですから、標高が高すぎる山国はあまり好きではないのでしょう。

空き家の庭から発芽したムクノキ。

都会の空き地では、どこからともなくやってきた”野良ムクノキ”が、人間に疎まれながら自由奔放に育っているのをよく見かけます。
10年ほど前、鳥に連れてこられたムクノキの若木が、僕の庭にそのまま棲みついてしまったのですが、彼も何かとお騒がせな奴でした。急激に成長した彼の枝葉が、エアコンの室外機に必殺落ち葉スプラッシュをかましてきたのです。結局、僕達はその樹を伐採してしまったのですが、それでも数年後には切り株から新しい幹が再生しました。

ムクノキの実。ムクドリが好んで採食する。ムクノキを食べるからムクドリなのか、ムクドリが食べるからムクノキなのか、語源の順序ははっきりしていない。

ムクノキは非常にタフな樹で、根元から伐採されようと、根茎が生きている限り何度でも復活できます。根張りの力も強く、石垣やアスファルト、コンクリートは彼の敵ではありません。神戸の下町では、コンクリートの基盤をぶっ壊して空き家に棲み着く、借りぐらしのムクノキをよく見かけます。こういった図々しい習性ゆえか、僕の家の近所では、ムクノキは”不快な雑草”として忌み嫌われていたのです。

板根を張ったムクノキの大木。


しかしながら、神戸の地理を鑑みると、ムクノキに対するネガティブな意見は、少々理不尽な評価である気もします。
前述の通り、神戸の街並みの土台は、川面を高く持ち上げてしまうほどの分厚い土砂堆積。六甲山から流れ出る無数の水脈が、その地盤を潤しているため、水の豊かさには文句のつけようがありません。尚且つ、砂礫性の土質のおかげで、水捌けもよい。まさに、ムクノキが大好きな環境です。
1000年前、神戸の街が拓かれる前は、六甲山の南麓には瑞々しいムクノキの森が広がっていたと考えられます。実際、市内の遺跡や社叢など、人の手が長らく入っていない空間には、ムクノキを基調とする森が育っているのです。
都市内のちょっとした空き地に、すぐにムクノキが生えてくるのも、当然といえば当然のこと。人間が手放した都市の一角が、先史時代の植物相へ返納されていく。生態系全体のスケールで考えると、何もおかしいことはありません。

京都御所のムクノキ。

今や神戸の街中で、土地本来の土壌が露出している場所はごく僅かで、地表の大部分はコンクリートやアスファルトに覆われています。それを強靭な根でかち割って、人間に嫌われながらも、すくすくと枝葉を伸ばすムクノキの若木たち。彼らは、地中に宿る先史時代の地史を、自らの根で必死に手繰り寄せているのです。

住宅地の土手で、勝手に育ったムクノキ。兵庫県伊丹市にて。

1年前、僕はニュージーランドに引っ越し、家族は東京に引っ越してしまいました。神戸の家には、今は誰も住んでいません。でもあの家の庭には、きっと今でも例のムクノキが棲みついているのでしょう。
都市を放浪するムクノキは、野良猫のような存在。突然ふらりとやってきて、図々しく居座るかと思えば、ある日前触れもなく消えてしまうのです。枯れたり、誰かに伐られたりして。
家のオーナーが変わったあと、あのムクノキは一体どう扱われるのでしょう……?一緒に住んでいたときは鬱陶しかったけれど、離れてみるとチョット気がかりです。でももう、それを確かめる術はありません。

<ムクノキ 樹種データ>


学名 Aphananthe aspera
アサ科ムクノキ属
落葉広葉樹
分布 関東以西の本州、四国、九州、中国、インドシナ
樹高 25m
漢字表記 椋
別名 ー
英語名 Muku tree

<参考文献>


・六甲山系電子植生図鑑

・岡山理科大学(n.d.)植物雑学辞典”ムクノキ”

mukunoki.htm

・樹の散歩道”ムクノキ”

・木村元則(2018)”京都市街域におけるエノキ、ムクノキ及びケヤキの残存と更新に関する研究”

dnogk02359.pdf


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