春日山のナギ 〜文化的価値が高い外来種をどうすべきか〜
2022年の三が日、奈良県の春日大社を訪ねました。初詣のため……ではありません。春日山に広がる照葉樹林で、樹木の観察をするためです。(そこで観察した樹木たちは、樹種ごとの図鑑に掲載しています)
イチイガシ、ケヤキなどの大木が林立する春日大社境内は、関西でも随一の樹木ウォッチングスポット。なんせ三が日だったので、春日大社本殿付近は尋常じゃないレベルの混雑ぶりでしたが、幸いにも境内の外れにある巨木林は人も少なく、のびのびと樹木観察を楽しめました。ひさしぶりに青森から関西に帰省したので、照葉樹との再会に心が踊る。充実したお出かけだったなあ。
そうそう、春日大社の森に行ったなら、「アイツ」の存在を忘れてはなりません……
今回は、春日大社と関わりが深い、ある樹種のお話。
見慣れぬ植生
春日大社の南側に位置する若宮神社の周辺には、奈良県天然記念物に指定されているイチイガシの巨樹群があり、ぼくはそこを一番の目的にしていました。
もちろん、同地のイチイガシは見事で、大満足でした。
しかし、そのイチイガシたちの背後に、何やら見慣れぬ樹が群生しているのを発見。
おや?なんだあの樹は。ぱっと見はウバメガシに見えたのですが、なにやら様子がおかしい。樹皮がやたらスベスベしていて、樹姿も独特です。お馴染みの樹種ではないことは明らかです。
針葉樹っぽくない針葉樹
近づいてみると、例の見慣れぬ樹の正体はすぐにわかりました。
マキ科ナギ属の針葉樹である、ナギ(Nageia nagi)です。
ナギの最大の特徴は、独特なフォルムの葉っぱでしょう。
ふつう、針葉樹は針状・鱗片状の極めて細長い葉をつけるのですが、ナギの葉っぱは平べったく、幅広い。広葉樹の葉にしか見えません。これが針葉樹だと言われても、なかなか信じられないでしょう。
ナギは、最も針葉樹っぽくない針葉樹であるといえます。
春日山のナギ純林
春日山には、ナギの純林(1種類の樹種だけで構成された森林)が広がっています。これは非常に珍しい植生であるため、国から「春日山のナギ純林」として天然記念物指定を受けています。
そもそもナギは、温暖な気候を好む樹木。亜熱帯〜暖温帯地域に匹敵する、台湾、南西諸島、西南日本に分布します。春日山のナギ純林は、ナギの分布域の北限にあたるのです。
なぜ、分布域の末端部で、これほどまでに見事な群落が形成されているのか。
これには、春日山の信仰が関係しています。
神聖な植物
ナギはもともと、春日山には分布していませんでした。1000年以上前(平安時代)に、献木として人為的に持ち込まれた、とされています。記録によると鎌倉時代には、春日山に立派なナギの群落が形成されていたそうです。
ナギはその生態学的特徴から、古くから”神聖な植物”として崇められてきました。
ナギの幹や葉には、ナギラクトンと呼ばれる必殺技っぽい名前の物質が含まれています。ナギラクトンには、植物の生育を妨げる性質があり、ナギはそれを絶えず発散させているのです。そのため、ナギの周囲には他の植物が生育することができません(こういった効果を、「アレロパシー」と呼びます)。春日山にナギの純林が形成されているのにも、このナギラクトンが大きく関係しているものと思われます。
おそらく昔の人々も、それに何となく気づいていたのでしょう。「ほかの植物を寄せ付けず、孤高に生育しているナギには、なにか特別な力が備わっているにちがいない‼︎」ということで、ナギを神聖視するようになったのではないでしょうか。
「ナギ」という名前も「凪(災難がなく、平穏なさま)」を連想させるとして、漁師や旅人はナギの葉を持ち歩き、魔除けのお守りとしました。和歌山県新宮市の熊野速玉大社には、「熊野詣でにやってきた参拝者たちがお守りに枝葉をとった」という記録が残るナギの大木も存在します。
さらにさらに、ナギは縁結びの樹としても知られています。
ナギは、樹木の中では珍しく平行脈の葉をもちます。
ナギを見かける機会があったら、ぜひ葉っぱを1枚持ち帰り、光に当ててみてください。葉っぱに刻み込まれた、扇子のような独特な模様を堪能できるはずです。いいデザインの葉脈だ…
ナギの葉っぱは、横には簡単に引き裂くことができるのですが、縦にはかなり力を入れても引き裂くことができません。葉っぱに走る平行脈のせいです。
この性質が、「縁が切れない」に通づるとして、ナギは恋愛成就の樹とされました。新婚女性が、自分の手鏡の裏にナギの葉を入れ、夫婦円満を願う、という習わしもかつて存在していたんだとか。
源頼朝と北条政子が愛を誓い合ったのも、ナギの樹の下だった、という言い伝えがあります。激動の時代を駆け抜けたご夫妻を結んだんだから、ナギのご利益は本物なのかも…。
ひとつの樹種に、これほど多くの神話的伝承が詰まっている例も珍しい。ナギがいかに特別視されてきたかがわかります。
こういった事情から、聖地である春日山ではナギが手厚く保護されるようになりました。
実際、ナギの枝葉は、いまでも春日大社で行われる神事で頻繁に用いられています。毎年3月13日に行われる春日祭、12月15日〜18日に行われる春日若宮おん祭では、ナギの生木が鳥居や山車に建てられるのです。
現在見られるナギの密林は、信仰と植生が1000年以上にわたって連動した結果出来上がったものなのです。
ナギが引き起こす大問題
神聖な植物が、神社ですくすくと育っている。これには一見何の問題もないように思えます。
しかし現在、春日山のナギが厄介な問題を引き起こしているのです。
それが、「照葉樹林侵食問題」。
春日山には、今では珍しくなった原生的な照葉樹林が広がっています。縄文時代以前は西日本の大部分を覆っていた照葉樹林ですが、人間の開発によりその多くが伐採され、かつての面影を残す照葉樹林は往時の2%ほど。
「貴重な照葉樹林、保護せにゃならん」ということで、春日山の森は1955年に「春日山原始林」として国指定特別天然記念物に指定されました。さらに、1998年には「古都奈良の文化財」のひとつとして、世界文化遺産にも登録されました。
ぼくも、実際に春日山に何度か足を運んだことがあるのですが、本当に素晴らしい森です。照葉樹がうっそうと茂る、重厚な雰囲気の森に圧倒された記憶があります。
この春日山原始林が、現在ナギによって侵食されているのです。
前述の通り、ナギにはアレロパシーが備わっているため、ほかの植物がナギと競合することはできません。そのため、一度ナギが原始林内に侵入してしまうと、ナギが在来の植物を駆逐してしまうのです。
さらに、奈良特有の要因も、事態を悪化させています。コヤツです。↓
春日大社は、みなさんご存知の通り鹿の名所。奈良公園・春日大社近辺には、約1200頭のシカが生息しています。
鹿は、かなり食欲旺盛な動物。鹿が下草を際限なく食んでしまうことによって、森の植生が一変してしまうことが多々あります。
春日山も、鹿食害の渦中にあり、原生林内の下層植生の劣化が深刻化しています。
しかし、ナギの葉は硬く、臭いため、さすがの鹿もあまり食べません。ナギだけは、鹿の魔の手から逃れることができるのです。
それゆえに、鹿の採食で下草が激減→ナギのライバルが一掃される→ナギの勢力がますます強まる、という流れが発生。
現状では、春日山原始林域(天然記念物に指定されている範囲)のうち、11.5%の土地にナギが生育し、7.5%の土地ではナギが「密生」しています。
アレロパシーのせいで、ナギの下で育つことができるのはナギだけ。放置すれば、このパーセンテージはますます増えていくものと思われます。照葉樹林本来の植生である、ツブラジイ・イチイガシの土地がナギに収奪されている、という由々しき事態が進行しているのです。
ナギの扱いをどうするか
ここで問題になるのが、ナギの扱い。
ナギはもともと春日山に分布していなかった樹種で、なおかつ森林環境を大きく改変させています。春日山の森にとっては、いわゆる「外来生物」に該当します。
しかし、ナギは「人間との文化的関わりが深い」という点で、一般的な外来生物とは立ち位置が大きく異なります。
ナギは、春日大社の「御神木」。神事になくてはならない存在です。そんな樹に「外来種」というレッテルを貼って悪者扱いし、ドシドシ駆除するのにはさすがに抵抗があります。ブルーギルやブラックバスを駆除するのとはわけが違うのです。ただ、ナギをこのまま放置すれば素晴らしい照葉樹林環境が失われるのもまた事実。ナギの勢力に歯止めをかけることは絶対に必要です。
文化も大事、森も大事。
この両方を守るための長期的な計画が進行中です。
たとえば、2014年にはナギの数量調整(ナギの個体数が増えすぎないよう、間引きを行うこと。そこに住む個体すべてを一掃する「駆除」とは異なる)が行われ、以後同じ地点でモニタリング調査が継続されています。これにより、数量調整後に植生がどう変化していくのかを確かめるのです。現在も、数量調整の一環で増えすぎたナギ実生の引き抜き活動などが地元団体によって行われています。ここで得られたナギの枝葉は、一部が神事に再利用される、とのこと。
さらに、2015年には春日山林内のナギ個体数を正確に調べる調査が行われました。前述のナギ分布のパーセンテージは、その結果です。これにより、ナギの勢力拡大の現況を把握し、適切な数量調整を行うことが可能になりました。
長期的には、
①試験的な間引きと、その後のモニタリング調査を経て、効果的なナギ数量調整の方法を確立する
②その後10年以上かけてナギの数量調整を行う
③以後数十年、ナギの個体数を適切にコントロールし照葉樹林の保全を図る
という計画が立てられています。
ナギは、春日大社の文化を支える大事な樹。
単純に「外来種」として邪険に扱うのではなく、照葉樹林の保全とのバランスをとりながら、末長く春日山の地で育てていきたいものです。
参考文献
・奈良県(n.d.) “春日山原始林における常緑針葉樹ナギの本格的な数量調整方法”
https://www.pref.nara.jp/secure/157615/06_04.pdf
・只木良也(2014)”春日山原始林、ナギとシカ” http://shinrinzatsugaku.web.fc2.com/zatsugaku1406.html
・前迫 ゆり, 名波 哲, 神崎 護(2004)”春日山原始林における移入種ナギとナンキンハゼの分布とその要因解析”https://www.jstage.jst.go.jp/article/esj/ESJ51/0/ESJ51_0_791/_article/download/-char/ja
・奈良県(n.d.)”ナギの数量調整に関するこれまでの検討と今後の方向性について
https://www.pref.nara.jp/secure/246047/資料4.pdf
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