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草木と生きた日本人 山菅



一、序

 わがやどに 蒔きしなでしこ いつしかも 花に咲かなむ よそへても見む
 (わが家の庭に蒔いたなでしこは、早く花になつて咲いてほしい。恋しいあの方と思つて眺めてゐよう)

 平安時代の歌人、伊勢の私家集である『伊勢集』に収められた歌です。彼女は三十六歌仙の一人、「百人一首」の、「難波潟 短き葦の…」の歌はご存知の方もをられませう。
 前回、撫子の花をお話ししました。この季節に、その小さく、美しく咲く姿を見た方もをられるのではないでせうか。時は神無月、十月となりました。衣替へをした方も、またクールビズを恋しく思ふ人もをられませう。

 かみなづき しぐれにあへる もみちばの 吹かば散りなむ 風のまにまに (『万葉集』巻八・一五九〇)
 (十月の時雨にあつたもみちは、風が吹けば簡単に散つてしまふでせう)

右は大伴池主の歌です。木々は色づき、新緑の緑も鮮やかな色彩にうつり変はります。その美しさに、心を癒される季節となりました。池主は前に黄葉について記した古へ人と同じく、散る黄葉を惜しみました。
 たびたび論じてきましたが、古へ人は草木を愛し、草木と共に生きてきました。それは、いはゆる秋の七草といはれるものから、私どもに馴染みのない花に対してもさうでした。
 今回はいくつかある花の中で、山菅について見ていきませう。なほ、『万葉集』では、多くの場合、山菅を「やますが」と読みます。

二、山菅

 いつものやうに、『日本国語大辞典』で山菅を確認してみませう。

 「①山に生えているスゲの類。山地に自生するスゲの類。やますが。(中略)
  ②植物「やぶらん(藪蘭)」の古名。〔本草和名(918頃)〕」

とあります。かうして見ると、スゲの類と、薮蘭の二つの意味があることがわかりませう。共に『日本国語大辞典』で見てみませう。まづはスゲ。

 「 カヤツリグサ科の植物の総称。熱帯から寒帯にかけ世界中に約五〇〇〇種あり、日本には約二〇〇種みられる。桿には三稜があり中は充実している。葉は線形で先がとがり平行脈をもち、下部は鞘となって桿を包む。花には三個の雄しべと、一個の雌しべとがあり、花被はないか、または鱗片状で小穂となる。カサスゲの葉で笠、カンスゲで蓑をつくり、シオクグ、ショウジョウスゲなどで縄をなう。すが。」

とあります。次に薮蘭を見てみませう。

 「ユリ科の多年草。本州の関東以西、四国、九州の林下に生える。高さ三〇~五〇センチメートル。根は黄白色で連珠状。葉は根生し広線形で長さ三〇~六〇センチメートル。夏から秋にかけ、ごく小さな紫色の六弁花を球状に密集した花穂をつける。果実は球形で黒く熟す。球根は煎じて解熱・袪痰薬にされる。」

とあります。なんとなく両者の違ひがわかりましたでせうか。薮蘭の花が咲くのは、七月から十月の頃。秋には種子が出てきて、それはまるで果実のやうに見えるでせう。

三、『万葉集』と山菅

 山菅は、『万葉集』ではたびたび歌に詠まれました。そして、「山菅の…」といふ枕詞もあり、いくつかの例があります。山菅の実の意から「実」。その葉の状態から「乱る」、「そがひ」にかかります。なほ、「そがひ」とは、後ろの方、背中あはせのことです。
 歌を見てみませう。

 山菅の 実ならぬことを われによせ 言はれし君は 誰とか寝らむ (『万葉集』巻四・五六四)
 (山管のやうに実ならぬことですのに、人から私との恋を噂されたあなたは、誰と寝てゐるのでせう)

 山菅は薮蘭、または山のスゲなのかどちらとも定め難いものがあります。山菅が実の枕詞として用ゐられてゐますね。
 歌の作者は、大伴坂上郎女。前に百合のところでも紹介しましたが、簡単におさらひしませう。彼女は、大伴安麻呂の娘で、母は石川内命婦。生没年は不明です。穂積皇子に嫁しますが、親王の薨去後、藤原麻呂に求婚されます。後に、異母兄である宿奈麻呂との間に坂上大嬢と坂上二嬢を生みました。坂上の名は、平城京北方の坂上里に住んだための通称です。『万葉集』には、長歌六首、短歌七十七首を録されました。
 百合のところでも触れましたが、坂上郎女は穂積皇子や藤原麻呂などいくつかの恋を経験した人です。右の一首は、実体験に基づく歌なのでせうか。真実はわかりません。
 次の歌を見てみませう。

 咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 山菅の根し 長くはありけり (『万葉集』巻二十・四四八四)
 (美しく咲く花は、散つて枯れて行くことがあるもの。山菅の根こそ、長く変はらないものだ)

 大伴家持の歌です。巻二十の終はりの方に載せられ、さらに左注に「物色の変化を悲しびて作る」と記されたこの歌。何か深い理由がありさうな歌ですね。ちやうど、藤原氏の勢力が大きくなり、名門である大伴氏が衰へてくる時期。彼の心中は穏やかではないでせう。
 歌中の「あしひきの」は、山にかかる枕詞です。
 この歌では、美しく咲く花はやがて散つてしまひますが、目に見えない「山菅」の根こそ長く変はらないとします。サン=テグジュペリの『星の王子様』や、相田みつをさんの一節に近い感じがします。それぞれ、「大切なものは目に見えない」、「幹を支える根 根はみえねんだなあ」、この心に似てゐる気がします。

四、名も無き民の山菅

 ここまで、大伴家の人の歌を見てみました。ここからは、名の伝はらなかつた古へ人の歌を見てみませう。
 まづはこの歌。

 山菅の 乱れ恋ひのみ せしめつつ 会はぬ妹かも 年は経につつ (『万葉集』巻十一・二四七四)
 (山菅のやうに心乱れて恋することばかりで、会はない恋人よ。何年も経ちつつ)

 この歌では、先に挙げた枕詞の用法、「乱れ」につながつてゐます。歌中の山菅を薮蘭かスゲか判ち難いところがあります。なほ、男性の立場から詠んだ歌です。
 次の歌を見てみませう。

 あしひきの 山菅の根の ねもころに やまず思はば 妹に逢はむかも (『万葉集』巻十二・三〇五三)
 (あしひきの山菅の根のやうに懇ろに、絶えることなく思ひ続けたら恋人に会へるでせうか)

 家持の歌と同じく、山菅の根を詠み込んでゐますね。山菅の根の長く伸びていく様子と、それくらゐ思へば離れてる妻(当時は妻問婚です)と「会へるかも」といふ想ひの強い歌ですね。
 さらに次の歌。

 山菅の やまずて君を 思へかも わが心神(こころど)の このころはなき (『万葉集』巻十二・三〇五五)
 (山菅のやうに、やむことなくあなたを思ひ続けてゐるからか、近頃は私の心はなくなつてしまつたようです)

 今度は女性の立場からの歌です。会へない夫を思ひ、待ちながら落ち込んでしまつた心情を描いてゐます。この歌の原文で「心神」と表記して、心を強調してゐる点に、いかに精神的に参ってゐるか伝はる気がします。

 多くは相聞歌に詠まれた山菅。それはスゲなのか、薮蘭なのか正確なことはわかりません。しかしその根の様子や、実。乱れる姿が歌となり、古へ人の生活の心を彩りました。
 わが家の近くの民家の軒下に、細々と咲く薮蘭。私は、お彼岸のお墓参りの際に、お寺の境内に薮蘭の花の咲く姿を見ました。そこから、坂上郎女や家持の悩み、そして名も無き古へ人が恋しき人を思ひ、心を歌に託した姿を思ひ起こすのです。

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