【ホラー小説】eaters 第17話
◆あらすじと各話は、こちらから
瀬奈が出ていったドアを見つめたまま、小百合はしばらくの間、玄関から動けずにいた。
深いため息を吐いたあと、食卓の席に戻り、テーブルに目をやる。
手付かずの自分の昼食。
向かいの席には、空になった皿。
小百合は一人寂しく冷めた料理を口にした。
食事の後片付けを終えて、トイレに向かう。
トイレから出てくると、再び深いため息がもれた。
いつもは遅れても一日、二日でやってくる生理が、六日経ってもやってこない。
今まで、こんなことはなかった。
妊娠ではない。
瀬奈の病気が分かってから、夫とはずっと夜の性生活もなかった。
金銭面もそうだが、なにより心にそんな余裕が持てなかったからだ。
もしも、次に生まれてきた子が心身ともにすくすくと育っていった時、どうしても二人を比べてしまいそうで、小百合はそれが怖かった。
良一も小百合の気持ちを察してか、次第に求めてこなくなった。
ほとんど部屋に引きこもって、あまり話もしてくれなくなった瀬奈。
リビングにやって来るのも、食事の前だけだ。
いまだに野菜や果物も食べられない。
減っていく……金魚。
瀬奈を心配するあまり、ストレスで生理が遅れているのかもしれない。
そんなことを考えていると、二人でショッピングモールに行った時のことを思い出した。
靴を買っていた時、瀬奈は店内で一人の女性客をジッと見ていた。
まさか……。
心臓がドクンと強く脈打った。
二日後。
小百合は瀬奈を連れて病院にやって来た。
前回から一か月後の定期検査だ。
本当はまだ少し先の予定だったが、一日でも早く連れて来たかった。
「特に問題もないようですね」
検査の結果、異常はなかった。
「瀬奈、お母さんは先生とお話があるから、廊下で待っててくれる?」
「うん、分かった」
瀬奈が診察室から出ていく。
「先生、ちょっとご相談が……」
「何でしょう?」
鮫島が顔を向けてきた。
「本当に、あの子に異常は……ないんでしょうか?」
「えぇ、先ほどもお伝えした通り、問題ありませんよ」
「あの……」
相談があると言ったものの、小百合は何から話していいのか迷っていた。
「家で飼ってる金魚が……減ってるんです」
「そうですか。金魚を飼われてたんですね。そのことは、ご家族に確認しましたか?」
「いえ、まだ……です。でも、あの子以外に考えられなくて……」
スーパーの魚売り場での瀬奈を思い出す。
黒い瞳でジッと魚を見ていた、あの顔。
家でも瞳の色こそは変わらなかったが、何度も金魚を見つめていた。
金魚の数が少なくなっているのは、さすがに良一も気付いた。
それを訊かれた時、小百合は「死んじゃったの。寿命だったのね」と言うしかなかった。
「まずは一度、娘さんと話してみてはどうでしょうか?」
「……え?」
「何か問題でも?」
「あ、いえ……」
瀬奈に訊いたところで、ちゃんと話してくれるだろうか?
「それと……神社の事件、先生は知ってますか?」
「もしかして、二人の女子中学生の遺体が見付かった、という事件ですか?」
「亡くなったのは、瀬奈と同じ……中学の子達なんです」
その後もニュースでは、どちらも遺体の損壊がひどかったせいで、死因はまだ特定できていないと報じられていた。
二人とも首をへし折られていて、肝心の首にも皮膚や肉が残っていなく、調べようにも手を焼いているようだった。
熊に襲われたという噂も流れてはいるが、あの辺りに熊が出たという目撃情報は一度もない。
『犯人は、人間じゃないですよ』
ワイドショーのコメンテーターが、そう言っていた。
人間……ではない。
人間ではない、何か。
瀬奈は人でありながら、別の遺伝子も持っている。
小百合の頭に、瀬奈の顔がよぎった。
真由子の件にしてもそうだ。
たとえ友達じゃなかったとしても、同じクラスの子が亡くなったというのに、顔色一つ変えなかった。
ワイドショーで知ったのは、亡くなった二人がそれぞれ行方不明になった日だ。
上級生の子が行方不明になったのは、瀬奈が洗面所で制服のブラウスを洗っていた頃だ。
その日から、瀬奈は立て続けに帰りが少し遅くなり、帰ってきても腹を空かせていなかった。
久しぶりに腹を空かせて帰ってくるようになったと思えば、今度もまた立て続けに帰りが遅くなった。
ちょうど真由子が行方不明になった頃からだ。
夏休みに入っても、夕方前に散歩に出掛けるようになった瀬奈は、「オヤツはいらない」と言って出掛けていった。
かといって、小百合は鮫島に言えなかった。
口に出したことのすべてが、真実になってしまうのを恐れていた。
「そうでしたか」
鮫島が返したのは、一言だけだった。
「あの、私……どうすれば……?」
今の瀬奈は、以前の瀬奈とは何かが違う気がしていた。
生まれた時から、ずっとそばにいたから分かる。
ちょうど、洗面所でブラウスを洗っていた頃からだ。
人が変わったように感じたのは……。
すがるような目を向けられ、鮫島は小さなため息をもらした。
小百合の言いたいことは、鮫島にも分かっていた。
「警察の調べでも、まだ何も分かっていないようですし、疑うのはまだ早いのでは?」
「そう、ですよね。あの子に限って、そんなこと……」
いくらなんでも、そんなこと……あるわけがない。
万が一、あったとしても、たまたま亡くなっていた二人を見付けて、その肉を少し……食べただけ、だ。
いや、都合よく死体が転がっていたなんて、あり得るのだろうか。
まだ不安の色を隠せない小百合に、鮫島は安心させるよう目を細めている。
「すみませんでした。変なことを……相談して」
「いいえ。何かあったら、いつでも相談してください」
その頃、診察室の外にいた瀬奈は、握り締めた手を震わせていた。
◆
「お母さん、私に話があるんでしょ?」
家に着くなり、瀬奈が言った。
堂々としていて、一点の曇りもない顔。
小百合を不安にさせていたのは、この顔だ。
これまでの瀬奈は、他人だけでなく、自分や夫に対しても常に顔色をうかがっていた。
子供ながらに遠慮していたのだろう。
だが、今、目の前にあるのは、どこか自信に満ちあふれている顔だ。
この顔に、小百合はずっと違和感を覚えていた。
「……瀬奈」
胸の内を見透かされたような瀬奈の顔に、小百合は覚悟を決めた。
ちょうどいい機会なのかもしれない。
小百合は冷たい麦茶と、瀬奈のために牛乳を用意して、リビングのソファーに座った。
「お母さんね、瀬奈に確認しておきたいことがあるの」
現実から目を逸らしていても、何も解決しない。
一人で抱え込んだままでは、そのうち気がおかしくなってしまう。
たとえ、残酷な真実が待っていようとも、受け止めなければならない。
自分には……その責任がある。
小百合は、ゴクリと喉を鳴らした。
[続く]
◆第18話は、こちらから