【ホラー小説】eaters 第11話
◆あらすじと各話は、こちらから
翌週。
小百合は良一と瀬奈を送り出したあと、家の掃除を始めた。
リビングにある水槽を拭いていた時、手が止まった。
透明なガラスの向こうに目を凝らしてみる。
一、二、三……。
小百合は金魚を数え始めた。
中にいたのは八匹。
金魚は十匹いたはずだった。
まさか……瀬奈が?
金魚を見つめていた瀬奈の顔がよぎる。
いや、あんなに可愛がっていた金魚を食べるわけがない。
前に一匹が死んでしまった時も、瀬奈は大泣きしていたくらいだ。
おそらく、死んだ金魚を見付けた夫が、こっそり庭に埋めたのだろう。
小百合は頭によぎったものを振り払い、ガラスを磨き出した。
◆
「斉藤さん、おはよう」
「……おはよう」
学校で瀬奈が声を掛けると、真由子は視線を逸らした。
返ってきたのは、そっけない挨拶だ。
思い当たるのは、金曜の帰りに訊かれたプールの件しかない。
あの時、瀬奈は嘘をついた。
陽向の足を引っ張ったのは、瀬奈だった。
プールの底から上のほうを見上げると、水面近くで泳いでいる生徒達が見えた。
その中で、せわしなく動いていた足がゆるやかになった時、狙いを定めて水底から一気に近付いた。
生徒達が獲物のように見えていた瀬奈は、衝動を抑えられなかった。
真由子に疑われたが、見られていたわけではない。
水の底で陽向を引き回していた時も、誰にも見られなかったはずだ。
今までは真由子が声を掛けてくれるおかげで、周囲の生徒達とも少しずつ話ができるようになっていた。
それが真由子に避けられた途端、ほかの生徒達も手の平を返したように、瀬奈と距離を取り始めた。
休み時間になっても、誰も話し掛けてくれない。
教室の中で、瀬奈は再び孤立していった。
一人ぼっちなのは慣れている。
先週までの楽しかった日々を思い出すと、胸の奥にできた寂しさは、その反動のように思えてならなかった。
昼になって、瀬奈は弁当袋を手に教室を出た。
閉めた扉の向こうから、声が聞こえてくる。
「マスクも外して病気もよくなったのに、なんで?」
「ここで食べられないって、なんかおかしいよね」
「あの弁当、何が入ってるんだろう」
「虫だったりして」
「やだぁ!」
次々と聞こえてきたのは、陰口だった。
そこに真由子の声はない。
かばってもくれていないようだ。
重い足取りで廊下を歩いていると、体育教師とばったり出くわした。
「おう、沼澤。水泳部の件、どうだった? お母さんから許可は出たか?」
「……すみません。やっぱり、ダメでした」
「そうか。まぁ、しょうがないよな」
まだ一年生なのだから、来年にでもまた考えてほしい。
体育教師はそう言って、去っていった。
瀬奈は、ここでも嘘をついた。
母には水泳部に誘われたのを話していない。
入部を断ったのは、プールでの出来事があったからだ。
部活で泳いでいる最中に、またあの衝動が襲ってきたら?
そう考えると、怖くて入部できなかった。
放課後。
「沼澤」
学校を出た瀬奈に、海斗が声を掛けてきた。
「水泳部、断ったんだって?」
「え? う、うん」
「なんで?」
「なんで……って」
隣を歩く海斗に、瀬奈は緊張で言葉を詰まらせた。
真由子を始め、クラスのみんなからは避けられている。
なぜ、海斗だけが声を掛けてくるのか、不思議でならなかった。
「……浜田君、部活は?」
「あぁ、今日はサボリ」
海斗は、あっけらかんと言った。
特に話すこともないのに、海斗はずっと隣にいる。
「浜田君の家って……こっちのほうなの?」
「いや、逆だよ」
「……え? それじゃ、なんで?」
「コンビニに行きたかったから」
「そう、なんだ」
この町で唯一のコンビニは、真由子の家の手前にある。
瀬奈の胸に芽生えた淡い期待は薄れていった。
うなだれて歩いていると、ポンと頭に大きな手が乗った。
「なんか、背伸びたな」
「そ、そう?」
海斗の手は、まだ頭の上にある。
どうしていいのか分からず、瀬奈は視線を泳がせた。
「ちょっと前まで、こんくらいじゃなかった?」
海斗が頭から下ろした手を腰の高さで止めた。
「ひどい! そこまで低くなかったよ!」
「お、やっと笑った」
海斗だけが気に掛けていてくれた。
その優しさが胸に染み込んでくる。
「俺、コンビニでアイス買うけど、沼澤にも何か奢ってやるよ」
「……本当?」
コンビニに入って、海斗はソーダ味のシャーベットを選んでいる。
瀬奈はカップアイスのバニラを選ぼうとして、レジのほうに顔を向けた。
コンビニを出た二人は、店の前でしゃがんで食べ始めた。
「こんなクソ暑いのに、アイスじゃなくてよかったのか?」
「うん。だって、美味しいよ」
瀬奈が口にしているのは、焼き鳥だ。
最初はバニラアイスを選ぼうとしたが、漂っていた肉の焼けた匂いにつられてしまった。
美味しそうに肉を頬張る姿に、海斗の顔に笑みが浮かぶ。
その笑みが消えていくと、海斗は遠くに目をやった。
「沼澤、斉藤と何かあったのか?」
「……え?」
「なんか今日、お前らあんまり話してなくない?」
「……私、嫌われちゃったみたい」
真由子の顔が浮かぶ。
プールの件で、自分でも知らない何かに気付いたのかもしれない。
「そっか。女子って大変だな」
それ以上、何も訊いてこない海斗に、瀬奈はチラリと目をやった。
アイスバーを手にしている肘に目が留まる。
「ん? あぁ、コレ?」
海斗は肘を上げてみせた。
肘には絆創膏が貼ってあった。
昨日の休みに、すり傷を作ったらしい。
自慢げに話す海斗に、瀬奈の顔が引きつっていく。
教室では気が付かなかった。
傷が、かさぶたになりかけていたのだろう。
今、目の前に出された肘の絆創膏には、血のにじんだ跡が残っている。
そのせいか、うっすらと血の匂いがした。
肉が一切れ残っている焼き鳥の串が、瀬奈の手からこぼれ落ちていった。
「……私、帰らないと」
「沼澤?」
突然、瀬奈は立ち上がり、駆け出していった。
海斗は遠くなっていく背中を見つめている。
「浜田君?」
背後から声がした。
海斗が振り返ると、そこにいたのは真由子だった。
「今の、沼澤さんだよね? 何してたの?」
◆
瀬奈は、途中にある神社の鳥居をくぐった。
今日も誰もいない。
荒い息を落ち着かせようと、手水舎の水を飲もうとした時、遠くから足音が聞こえてきた。
その足音は、この神社に向かってくる。
瀬奈は水を諦め、とっさに社の陰に隠れた。
やって来たのは、同じ制服を着た女子生徒、一人。
茶髪のポニーテールで、スカートの丈がやけに短い。
知らない顔だった。
おそらく上級生だろう。
少しずつ女子生徒との距離が近付くにつれ、ある匂いが瀬奈の鼻をついてきた。
女子生徒がまっすぐ向かったのは、手水舎。
この暑さで喉が渇いていたのか、手ですくった水を何度も口にしている。
瀬奈は気付かれないよう、女子生徒の背後に立った。
墨汁が染み渡っていくように、瞳が黒く染まっていく。
女子生徒には、怪我をしている様子もない。
それなのに目の前から漂ってきたのは、血の匂いだった。
[続く]
◆第12話は、こちらから
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