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ホラー小説「ホテルコンシェルジュのおもてなし」【試し読み】

 ホテルから届けられた忘れ物。
 身に覚えのないその忘れ物は、やがて女の日常を狂わせていく。
 ホテルの親切丁寧なサービスによるホラーサスペンス。

「今日は泊まっていけるんでしょ?」
 洗練されたホテルの一室で情事の後にそう訊くと、天井を見つめたままの彼は二つ返事をするどころか、いつになく曇った表情をしていた。
「大事な話があるんだ」
 ベッドから起き上がったかと思うと、おもむろに服を着始めた彼の様子から、いい話ではないことが予想された。
 仕方なく私もバスローブを羽織ってベッドから抜け出し、ソファーへ腰を下ろした。
 彼とは不倫関係にある。
 同じ会社の上司で、奥さんとはうまくいってなく、離婚したら結婚しようという、ありきたりのセリフを信じて既に五年が経とうとしていた。
 会社での彼は仕事もできて人望も厚く、二人きりになると紳士のように私に接してくれていた。
 交際して一年が経った頃、一向に離婚話が進まない彼に業を煮やしたこともあったが、高級なレストランでの食事や贈り物、そしてホテルでの甘い一夜に心地よい時間を過ごしていた私は、結局ズルズルと五年もの月日をこの男へ捧げていた。
 彼からの話は、予想通りの別れ話だ。
 本当か嘘かは分からないが、病気になった奥さんの看護に集中したいと彼が口にした時、この五年間の彼との思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
 もしも、ここで泣きながら彼にしがみ付いたらどうだろう?
 彼は考え直してくれるだろうか?
 いや、彼の表情を見る限り、その決意は固そうだ。
 それに、別れ話をされたからといって、泣いて男にすがるなんて見っとも無い真似は私にはできない。
 もっと早くに、この男を見限れなかった私が悪い。
 ただ、三十歳の誕生日を前にして、どうしてこのタイミングだったのか?
 女として一番輝いていた時期を無駄にしてしまったことで、胸の奥に怒りと悲しみが込み上げてきたが、それを顔に出さないよう私は必死に耐えていた。
 最後くらい平気なフリをして彼の前から去ろう。
 それがせめてもの彼に対するささやかな復讐になる。
「そう……分かった。それならしょうがないもの。奥さんを大事にね」
 私は精一杯の虚勢を張ってみせた。
「君も、もう若くはないんだ。早くいい相手を見付けて幸せになって欲しい」
 彼のその一言が、私の中で抑えていたモノを刺激した。
 若くはない?
 早くいい相手を見付けて幸せになれ?
 いったい誰が私の五年間を無駄にしたと思ってるの?
 約束も守れない男が、その口で言えるセリフなの?
 どうせ最初から若い女の身体だけが目当てだったくせに!
 私が若くなくなったからって、ボロ雑巾のように簡単に捨てられると思ってるの?
 それに普通、別れ話をしようとする男がその前にセックスなんてする?
 自分はやりたいことだけやって、私の気持ちなんてこれっぽっちも考えていないくせに!
 明日からどんな顔して会社に行けばいいの?
 アンタみたいな男は……、アンタみたいな腐った塊のような男は……!
 頭の中でドス黒い靄が渦巻き、それはハリケーンのように勢いを増していった。
 大きな鏡が付いたドレッサーが視界に入ると、私はフラフラとそこへ歩み寄り、メモ帳の傍にあったボールペンを手にした。
 そして彼に近付き、その喉を目掛けて手にしていたボールペンを思い切り突き刺した。
 大きく目を見開いている彼の喉元からボールペンを引き抜くと、勢いよく噴き出した飛沫が私を赤く染める。
 その瞬間、頭の中のドス黒い渦はどこかへと消え去り、スッキリと晴れ渡った青空のようだった。
 喉から血を噴き出しながらソファーに横たわっていく彼を見下ろしていると、私は彼を殺してしまった罪悪感よりも、瞳から光が失われていく彼の姿に興奮すら覚えた。
 私は何も悪いことはしていない。
 死んで当然の男だ。
 病気の奥さんも、誰にも看病されずに死んでしまえばいい。
 これは全て、彼の自業自得が招いたこと。

 会社では私達が付き合っているのを知っている人は誰一人としていなく、こんな男の為に、私は捕まる訳にはいかない。
 冷静さを取り戻した私はシャワーを浴びて血を洗い流すと、タオルで室内のあらゆる箇所に付いているだろう指紋を全て拭き取った。
 今日は泊まりになるかもしれないと少し大きめのバッグを持ってきたおかげで、そこへ血で汚れたバスローブをねじ込み、ドアノブにも指紋が付かないようタオルで掴むと、何事も無かったかのように部屋を出た。
 エレベーターに乗り込み、一階のボタンを押そうと手を伸ばしたが、思い直して二十階のボタンを押した。
 エレベーターの扉が開き、正面に見えるバーへの入口に一歩足を踏み入れると、全面ガラス張りの窓からは、まさに宝石を散りばめたような美しい夜景が視界に入った。
 窓際にあるカウンターに座り、カクテルを注文する。
 私はここで一、二時間過ごすことにした。
 ホテルの宿泊はいつも彼が用意していた為、宿泊者名簿には彼の名前しか書かれていないはずで、私の素性はどこにもバレることはない。
 ただ明日の朝、部屋に置き去りにしてきた彼の死体が発見され、ロビーやホテル入口等に防犯カメラがあった時、彼の死亡推定時刻前後に出入りしていた人物として私に捜査の手が伸びないようにしなくてはならない。
 もしかしたらホテルという性質上、防犯カメラは設置されていないのかもしれないが、万が一ということもある。
 ここは慎重過ぎるくらいがちょうどいい。
 二杯目のカクテルを飲みながら、この時点で考えうる事態に備え、手を打っておかなければならないことを私は考えた。
 うん、大丈夫。
 あとは平静を装って、普通にこのホテルを出ればいいだけ。
 バーで二時間半程、時間を潰してから私はホテルを出た。

 翌朝、この日が休日だったのと、昨日の出来事で精神的に疲れていたせいか、深い眠りに就いていた私を起こしたのは玄関のチャイムの音だった。
 まさか……警察?
 そんな訳は無い。
 きっと勧誘か何かだ。
 急いで飛び起きると、インターホンの画面には一人の男が映し出されていた。
 その男は胸元に小さなネームプレートがあり、仕立ての良さそうなスーツ姿で、とても警察関係の者には見えなかった。
 胸の鼓動が激しく全身に響き渡る中、相手が誰なのか確かめようと、私はインターホンに出た。
「こちらは高橋祐実様のご自宅でよろしいでしょうか?」
「……はい」
「私、ガーデンセンチュリーホテルの奥村と申しますが、お客様のお忘れ物を届けに参りました」

 ……続きはこちらから。

  ホラー&サスペンの短編集 第一弾「オメテオトルの森」
 羨望と嫉妬、愛情と憎悪、陰と陽、表層と深層、遵守と違背、祈念と代償。
 それらが交わる時、物語は加速する。
 これは光を求め、闇に溺れた6つの物語。
 第一話 失せ物
 第二話 ホテルコンシェルジュのおもてなし
 第三話 鏡の中のフレイヤ
 第四話 町興し
 第五話 百年事変
 第六話 お参り
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