PTSDならぬ、PTG(心的外傷後成長)
つい先日、ポスト・トラウマティック・グロウス(Post Traumatic Growth, 心的外傷後成長)と言う言葉に遭遇した。
ひとつ前置きをしておくと、私は過去記事でも触れた通り、この半年弱の間に、健診→再検査→生検→がん発覚→手術という経験をした。
今後の治療についての決断を迫られ、再発の不安や治療の副作用等の不安とどう付き合っていけばいいのかを模索する中、私の住む街(日本国外です)のがんセンターがカウンセリングを無料で提供していると言うので、受けてみたのだ。
カウンセラーの方とお話する中で、
「がんになって良かったとは言わない。でも、苦手な医療行為の数々を乗り越え、人生でいちばん褒められる経験をできたり、友人たちのサポートが私は存在していても良いのだと思わせてくれたので、とっても意義のある経験になっているし、感謝しています」
とお伝えしたところ、
「あなたが経験しているのはPTGね!」と言われたのだ。
(私にとって意義のある経験についてはこちら ↓ ↓)
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder, 心的外傷後ストレス障害)は知っていたが、PTGは初耳だった。
PTGとは、簡単に言うとトラウマ級の出来事や経験をきっかけに内面的な成長起きることを言うらしい。
病気や手術は、できることならば経験したくはなかった。
けれど、この経験を通してわかったことや強くなれたことがあるので、どれも私にとっては必要なものだったと断言できる。
そう断言できるのは、長い時間をかけて自分の中に培って来た価値観・ものの見方・考え方があったからだと思う。
起きたことを糧にして、自分の成長につながるように、自分にとって都合の良いように意味付けしようと言うマインドがあって良かった!と心から思えるのだ。
これが昔の私だったら、犠牲者マインドになって自分を悲劇のヒロインに仕立て上げていたかもしれないし、或いは自分を責めていたかもしれない。
以前も書いた通り、こうして病気になったと言うことは、気づかなければならないことや、変えなければいけないことがあったからだと思っている。
カウンセラーの方には、その考え方をやんわり否定されたけれど、私はこの経験を無駄にしたくはない。
できれば活かしたい。
病気になったのはただの偶然かもしれないけれど、偶然で片付けてしまうには勿体無い。まだこうして生かされていると言うことは、きっとまだ伸び代があると言うことだと思うので、このPTGを活かしつつ残りの人生を生きていきたい。