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臨月死産 #9 仕事

 今の会社には新卒で入ってからずっとお世話になっており、10数年目です。同僚は私のお腹が大きくなっていくのを見ていて、「楽しみだねー」と声をかけてくれ、産休へと快く送り出してくれました。上司からも「生まれたら職場に連れてきてよ〜」なんて言われていました。今回は、職場との関係について書いていきます。


仕事に対する思い

 私が就活した頃は、リーマンショックの影響は遠のきつつあったけど、まだまだ学生には厳しい時代。今の会社は数十社落ちた末に内定をくれたところです。職場で出会った上司や先輩は優しい人が多く、中には尊敬できる人もいて、人間関係で苦労したことはほとんどありませんでした。仕事のことも、やりがいを感じることも多く、好きでした。
 だから、出産後は育休をある程度取ったら復帰するつもりでした。妊娠した当初から、復職の段取りを考え始めました。息子は予定日が1月初め。4月復帰はいかにもはやいけど、翌年の4月にすると1歳になってしまう。保育園の1歳児クラスは競争が激しいらしい。悩んだ挙句、産んだ年の4月に復帰することにしました。息子がお腹の中にいた夏頃からいくつかの保育園を見学し、秋に自治体の保育園入所申し込みが始まると応募書類を送りました。
 会社の両立支援の部署とも面談しましたし、子育てをしている女性の先輩から話を聞くこともしていました。

同じ部署の人には一斉メールで説明

 ところが死産してしまいました。
 妙なことだと思われるかもしれませんが、私は死産してかなりすぐの段階で、今回の経緯を同じ部署の人に周知したいと考えました。
 私の会社は親切な同僚が多いので、もし復帰したら、「お子さんかわいい?」「子育てどう?」と雑談を振ってくれることは間違いありません。それに逐一説明して、相手を「えっ」となんと言っていいか分からない状態にさせることがいやだったのです。同時に、噂好きの人たちもいるから、息子に関して間違った情報が出回るのも耐えがたいと思いました。
 だから一斉メールで説明してしまいたい。そして、それは早く済ませてしまいたい。時間がたてばたつほど、メールを作成するのがおっくうになりそうだし、特に仲のいい同僚からは「そろそろ生まれた?」と個別に連絡がきてもおかしくありませんでした。
 火葬を済ませてから、上司に許可をもらい、会社の一斉メールで説明しました。育休中の後輩から「涙が止まりませんでした、うんぬん」という長文のメールが返ってきました。今一番無事に子供を産み育てている人と話したくないのに、それが分からないのだろうか?あなたは安全圏から私に同情しているのだ。怒りがこみあげました。もちろん、善意なのは分かっています。善意でも、死産直後のわたしはまっすぐに受け止められませんでした。そういう自分を許してあげようと思いました。

復職、というより人と関わるのが怖い

 私は規定の産後休暇8週間をまず休むことにし、そこから心身の状態を踏まえて復帰するか、休みを延ばすか考えたい、と上司に伝えていました。そして期限が迫った2月になっても、立ち上がる気力が持てない日が月に数日はあったので、延長を申し出ました。これまで消化せずに貯まっていた有給を加えて合計3ヵ月休むことにし、4月に復帰することにしました。
 4月が近づいてきた頃、「ちょうどいいタイミングかもしれない」と思えました。子育てしていない休みをだんだんもてあましてきたし、仕事を始めれば息子の死を思う時間が減るかもしれない。
 ただ、怖かったのが、人です。上述の通り、善意にあふれた後輩の言葉でさえ傷ついてしまった私です。こちらを思いやった言葉でも、刃になって、私は血まみれになるかもしれない。不安でした。

 そして復帰の初日。Xで不安を吐き出し、同じ境遇の方に励ましてもらいました(本当にありがとうございます)。職場のフロアへと昇るエレベーターの中で泣きそうになりました。職場についてまた、べそをかきそうになりました。
 はじめに出会ったのが、妊娠を最初に報告した当時の直属の上司でした。とても心配してくれていた人です。わたしは何かあたたかい言葉をかけられるのが怖くて、わざとその人に軽口をたたきました。たぶん、表情はこわばっていたと思います。
 みんな、まるで「風邪で3日くらい休んでいた人が復帰してきた」みたいな雰囲気で接してくれました。すごく救われました。1人、親切な先輩が「よかった、戻ってきてくれて」と声をかけてくれ、泣きそうになりました。駆け寄ってきて、「おつかれさま」と言ってハグしてくれた仲良しの女性の先輩もいました。

 最も感動したのが、私が引き継ぐことになった仕事の前任者に当たる女性の先輩です。
 私が新しく担当になる仕事は、他部署の方とやりとりすることが多いのですが、他部署には私の死産は伝わっていません。それを踏まえ、先輩が「今度一緒に働くことになる他部署の●●さんは最近お子さんが生まれて、けっこう家庭のお話をされるから、私から足塚さんの事情を話しておこうか?」と提案してくれました。
 どうしてこの人には私の気持ちが分かるのだろう?感動しました。こんな想像力と優しさ、私にはありません。もともとすてきな人だなと思っていた方でしたが、尊敬の気持ちを新たにしました。

数ヶ月たち、いったん限界が来た

 こうして仕事がスタートしましたが、しばらく、1か月ほどでしたでしょうか、出勤途上の電車ではあれこれ考えてしまい、涙がこみ上げてくることが多かったです。
 1か月がたつと、仕事が忙しくなり、死産のことを考える時間は相対的に短くなりました。こうやって人は悲しいことがあっても生き続けていくんだな、と実感しました。

 ところが今度は忙しくなりすぎ、「私は息子を亡くしたばかりなのに、いったい何やってるんだ?」という気持ちがわいてきました。
 「わたしは子供を亡くしたばかりなんです。もう少し仕事のペースを落とさせてください」。
 そう言いたいけど、でもめちゃくちゃ限界なわけではないし、いったんペースを落としたら、「少しの仕事しか任せられない人枠」になってしまわないかな?という迷いがありました。
 ぐじぐじ悩んでいましたが、あるとき、上司からさらなる仕事を追加されそうになり、ついに「ペースを落としたい」と言えました。上司は「そうだよね・・」といたわってくれました。
 結局、あまり仕事の量は変わりませんでしたが・・、主張しただけでも気持ちが落ち着き、そのまま夏休みまでなんとかこなせました。

息子を死なせた世界なんてどうなってしまってもいい

 もともと、どちらかといえば仕事に熱意のあるほう、だというのが自己認識でしたが、今は「最低限やらないといけないことをしっかりこなそう」くらいに落ち着いています。
 「息子を死なせた世界なんてどうなろうと、知ったこっちゃない」。そういう怒りが気持ちの底にあって、だから今以上良い世界にしたいとか、そういう仕事へつながるモチベーションが持てないのです。
 それ自体を悲しいと思うこともありました。私は子どもだけでなく、仕事への熱意まで失ってしまった、と。

 仕事でプラスアルファのことをしようかな、と思えたのは死産後11か月がたとうとしている頃でした。少しずつ、私は力を取り戻しているのかもしれません。

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