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臨月死産―#11 響いた言葉
2023年12月末に39週で死産した私。「どうして私に、息子にこんなことが起こったのか?」。あまりの理不尽な出来事に怒りを抱えていました。いったいどうやって受け止めればいいの?そんな中、心に響いた言葉を紹介したいと思います。
「あなたも今朝迷った。明日も迷う。それでよいのだ」
ケネディ大統領の夫人、ジャクリーンをナタリー・ポートマンが演じた映画「ジャッキー」。
この映画をきっかけに知ったのですが、ジャッキーは流産、死産、新生児死を経験しています。さらに夫は目の前で暗殺されました。ジャッキーは神父のもとを訪れます。そのときの神父の言葉です(私の聞き取りのため、正確ではないかもしれません)
毎晩「死にたい」と祈り、お子さんがいるのに「夫のそばへ行きたい」と。
でもあなたは生きている。
人生の意味を探す旅の中でいつか必ず気づく時が来る。「答えはないのだ」と。
その恐ろしくも避けがたい事実に気づいた時に、受け入れるか、命を断つか。またはただ単に探すことをやめるか。
私は祝福された人生を送ってきた。それなのに毎晩ベッドにもぐり明かりを消し暗闇を見つめながらふと迷う。「それだけのことなのか?」
命ある者は皆迷う。
だが朝には目覚めてコーヒーをいれる。それが人間だ。
あなたも今朝迷った。明日も迷う。
神は無限の叡智によって教えてくださっている。
「それでよいのだ」と。
悲しみの闇は決して去らぬが闇が薄れる日は来る。
もっと長くいたかった。でも風が私を運び去ります。
次はグリーフとは関連せず、映画のテーマ自体も死別とは関係ありません。神父による性虐待疑惑を巡る映画「ダウト」。フィリップ・シーモア・ホフマン演じる神父が勤務地を去るときに教会で信徒に語りかける場面です。
別れはつらいです。
でも私たちは風に運ばれ人生を旅していきます。
風は見えません。
命令もできません。
意図も分かりません。
もっと長くいたかった。
でも風が私を運び去ります。
決して忘れません。みなさんのことは。
ですが私は満足です。
見えない力は大いなる叡智により私を運びます。善きことのために。
それが私の信仰です。
また、こんなシーンも。神父が「確信を持てない時どうするか」をテーマに教会で説教をします。
去年、ケネディ大統領が暗殺されたとき、誰もが深い混乱に陥った。(中略)あの時人々は心を寄せ合い、絶望感で一つに結ばれました。いいですか、絶望感があなたと他の人を結びつけたのです。社会全体にとっての悲劇でしたが、共に体験できたのです。
自分だけの不幸を背負い苦しむ男性や女性のほうがはるかにつらいでしょう。
「私が病気だと誰も知らない」
「親友を失ったことを誰も知らない」
「私の過ちを誰も知らない」
孤独感を想像してください。窓越しに世の中を見るようだ。ガラスの向こう側には幸せな人々、こちら側にはあなた。
一つ話をしましょう。
貨物船が沈んで船員が一人生き残った。
救命ボートに乗り、星を見て故郷に向かって針路を決め、疲れ果てて眠った。それから20日間、星が見えなくなった。正しい針路だと思っても確信は持てません。日が経つにつれ彼は衰弱していき、疑いを持ち始めました。
針路は正しいのか。故郷に向かっているのか。それとも方向を失い、悲惨な死を迎える運命にあるのか。
知る手立てはない。星が示してくれた方角は絶望的なあまり空想したものだったのか。それとも真実で、たとえ報われなくても信じ続けるべきなのか。
信仰に迷う方々もいるかもしれない。
その方々に言いましょう。
疑いは確信と同じくらい強力な絆になり得るのです。
道に迷ったとき、あなたはひとりではない。
友人からは言葉というより態度
私自身は特定の信仰を持っていませんが、偶然、二つともカトリックの神父の言葉です。2000年以上信仰を集めている宗教だから説得力が違うのかな。
意味を全て理解できているわけではありません。私たちは迷いながらも生きていくしかないのでしょう。別れは意図されたものではなく、風が羽根を運んでいくようなものなのかもしれません。
そう思うと、なんだか慰められます。
死産してしばらくしてから、姉に「友だちからとかで、救われた言葉があった?」と聞かれました。
正直、どんな言葉も力にはなりませんでした。ただ、「気にかけてくれてくれているんだな」ということが伝わる態度こそが、生きる力になったと思います。
たとえば、息子を火葬する朝に「おはよう」とラインをくれた親友。火葬する日だというのを覚えていて、心配したのだといいます。一日の始まりを告げる「おはよう」。我が子の体を燃やすのはとても怖かったけど、この一日をやり通す勇気のようなものをもらいました。