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臨月死産 #5 お別れに向けた準備

 時間の流れを2023年12月30日に戻します。息子が生まれてから、一緒に過ごせたのは2024年1月2日に退院するまでの4日間でした。その後はいったん葬儀業者に預かってもらい、1月6日に火葬しました。今回は、お別れに向けた準備についてです。

産院でできたこと 

 産院は息子に黄色い帽子をかぶせ、私が用意していた産着を着せ、コットに横たえて、私の入院室に運んできてくれました。
 当初は息子の体が痛んでしまうことを恐れて、夜のうちは産院の冷蔵庫に入れてもらおうと思っていました。
 しかし、見れば見るほど息子が愛おしく、離れがたい気持ちが強くなりました。助産師さんからも「一緒にいれるだけいたほうがいい」とすすめられ、入院中はずっと一緒にいました。アイスノンを体の周りに置いて、痛みの進行をやわらげました。
 結果的にそうしてよかったです。4日の間に確かに痛みは進んでしまったのですが、息子の実体と一緒にいられるのはその短い時間だけだったのですから・・・。


 産院ではこんなことをして過ごしました。

・助産師さんに手形、足形をとってもらう
・臍の緒を残してもらう
・粉ミルクを唇に塗る
・母や姉、義父と過ごす
・写真を見せながら夫婦のなれそめなど思い出を語りかける
・大きくなったら読んであげたかった本を読んで聞かせる
・たくさんたくさん写真を撮る
(特に写真が趣味の夫がなんと500枚以上撮りました。もみじのような手やきれいな爪、小さな足など、パーツごとに撮ってくれて、その後、息子を思い出すよすがとなりました)

 ほか、助産師さんからは「沐浴もできますよ」と言われましたが、息子が痛んでしまうのが怖くて、しませんでした。

産院の対応、時代の変化があったのかも?

 産院ではたっぷり息子と一緒の時間を過ごさせてもらい、手形や足形、臍の緒もとってくれました。入院室を訪れる助産師さんが毎回、「かわいいねー」「○○してもらえてよかったねー」と息子に話しかけてくれたのも、ほんとにほんとに嬉しかったです。
 ただ、この対応、10年くらい前だったら違っていたのかもしれません。
 NHKによると、2020年に日本助産学会がガイドラインを新たに作り、その中で、希望があれば赤ちゃんとの触れ合いの時間を持つことを推奨したそうです。そうした適切なケアが精神的な回復につながるとの最新の研究や当事者の声をもとにした、とのこと。

 確かに、「誕生死」という流死産の体験記集(2002年初版)では、産院や家族から、赤ちゃんは見ないほうがいいと言われ、会わずじまいだった、というお母さんが幾人かいらっしゃるのです。お母さんは亡くなった赤ちゃんを早く忘れたほうがいい―むしろ「優しさ」で、赤ちゃんをお母さんから遠ざける対応がとられていたのでしょう。

 私は最初のうちは、死んだ赤ちゃんを見るのが怖い、人生での一番の失敗=我が子を死なせたことを見つめるのが怖い、という気持ちがありました。
 でも、夫が「かわいい、かわいい」と言ってバシャバシャ写真を撮るので、気持ちがほぐれ、すぐに「なんてかわいいの!」と愛しさがこみあげてきたのです。
 もし会えないまま火葬していたら、、動揺や衝撃は減ったのかもしれませんが、あとあとの心の傷の治りが遅かったのではないか、と思います。
 これは私の場合であって、怖くて会えないままだった、という方もいらっしゃるかもしれません。私も、夫がもしバシャバシャと写真撮ってなければこんな気持ちになれたかどうか、、。ただ、この日本助産学会のガイドラインを変えるため、声を上げた天使ママさんたちには、感謝したいです。

火葬の手続き

 入院中に産院が提携する葬儀会社と契約し、1月6日に火葬することを決めました。
 普通の葬儀とは少し異なり、棺の中のお顔を少し見て、火葬、待合室で焼けるのを待機して、お骨を拾い、終了、という、簡略化したお別れ「立ち会い火葬」としました。
 提携する葬儀会社は、ご遺体を火葬まで自宅安置することは選べず、業者保管と言われました。自分たちで葬儀会社を探せば、普通の葬儀、自宅安置ができたのだろうと思いますが、当てもなく、調べることが苦痛だったため、提携の会社にお願いすることにしたのです。
 死産届、火葬許可証は業者が代理で処理してくれました。そのための委任状などを記入しなければならず、つらくてやりきれない気持ちでしたが、「こんなひどい書類は、さっさと終わらせてしまおう」と、心にふたをして書き上げました。
 ちなみに、費用は火葬代と待合室の利用代などで合計約15万円でした。

火葬に向けて

 1月2日に退院した後、棺に何を入れるか、夫や実家と相談しました。ある意味、息子のためにできることだったので、どこか幸せも感じる作業でした。息子がどんな子なのか、何が好きなのかは分からないままだから、手探り、という悲しさもありましたが・・・。

 私たち夫婦はそれぞれが息子に向けた手紙を書きました。結婚写真や、私が産前に作っていた手作りのガラガラのおもちゃ、赤ちゃん用のお菓子を入れることも決めました。
 姉は甥や姪が描いた絵を持ってきてくれ、母はミニチュアの絵本や漫画を作ってくれました。

 できる精一杯のことをやれたのは、その後の自分にとってよかったと思います。

あえて悔いを挙げるなら

 精一杯のことをできたと思うし、産院の対応には感謝しかありません。あえて悔いを挙げるなら、

・死産直後に息子の顔にオイルかクリームを塗ってあげればよかった。
→だんだん乾燥してしまい、1日目の終わりにオイルを塗ったら、劇的にかわいくなりました
・爪や髪を切って残せばよかった
→当時はそこまで頭が回りませんでした。今や息子の実体で残っているのは、お骨とへその緒だけです。爪や髪もあったらよかったなと思います。


参考

火葬後ですが、Oriさんが運営するガイドブックを知りました。素晴らしい内容です。

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