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野間真さんインタビュー#10 ~6th『楽園~パラダイス~』&7th『がんばれ My Friend』~

『楽園~パラダイス~』は陽気な感じ

――翌年の96年4月に、6枚目シングル『楽園~パラダイス~』です。
「ああ、『楽園~パラダイス~』ね。その裏(カップリング)は何だったですか」
――『夢見るハート』です。
「あー、はいはい。ヤギハシさんね、やっぱり。そこは、僕はたぶんあまり意見を言っていない曲ですね、『楽園~パラダイス~』と『夢見るハート』に関しては… センチュリーが元気になったのかもしれないです。ときどき良くなるんですよね」
――そうなんですか、ちょっと実入りが良くなるんですね(笑)。『楽園~パラダイス~』『夢見るハート』とも、沢田聖子さん作詞、ヤギハシカンペ―さん作・編曲です。
「それはもう佐藤さんが調整して、センチュリーの方が作った曲だと思いますね」
――これもけっこうライブで映える曲ですよね、みんながジャンプするという感じで…
「そうですね、うん」
――“たのしいね!たのしいね!たのしいね!” という…
「そう、浮かれている感じというか、陽気な感じで…」
――そうですね(笑)。
「楽しい曲が、そこでできた。できたのは、96年4月ですよね」
――4月です。
「はいはい、3年目に入ったんですね」

6thシングル『楽園~パラダイス~』『夢見るハート』1996年4月19日リリース

――この曲は「月刊TVパワーギャング・オープニングテーマ」と書いてあります。こういうのもあって復活したのかもしれませんね。
「そうですね、可能性はありますね。それは、北海道のイベンターの方がその番組を持っていて、(テーマ曲で)使いましょう、って言ってくれた気がします。北海道のイベンターで推してくれた人がいたということです。北海道には年に2~3回行ってましたからね。気球を上げるフェスティバルとか、そういうのにゲストで呼ばれたことはあります。会場はどこだったんだろうな」
――気球ということは、札幌とかそういうところではないですね。
「そうですね、すごい大平原でやっていました。そういうイベントに呼ばれたりもしていた」

『がんばれ My Friend』は勇気づける系の歌

7thシングル『がんばれ My Friend』『クリスマスモーニング』1996年10月18日リリース

――その次は、10月に7枚目シングル『がんばれ My Friend』です。この曲も、ヤギハシカンペ―さん作曲ですね。
「『がんばれ My Friend』のころもたぶん基本的に… そこは、間になにか入っていませんか、『夏の恋人』が入っていない?」
――『夏の恋人』は97年です。
「ああ、そうか『夏の恋人』は97年か。そうかそうか、わかりました。96年の『楽園~パラダイス~』の次は『がんばれ My Friend』なんですね」
――『がんばれ My Friend』ですね。これはもうヤギハシカンペ―さんならではの。
「そうですね。アレンジとかも含めて、アイドルからちょっと離れている歌なんですよね」
――たしかにたしかに。アイドルアイドルではなくて、応援ソングというか…
「恋愛ものじゃないっていうのが新しいですよね。みんな一緒にがんばろうみたいな… そういう感じの、勇気づける系の歌になっている。そういうのも、センチュリーの佐藤さんがやりたくなったんでしょうね。まあ、そういう曲があってもいいわけで… あれ?クリスマスソングがB面にありませんか?」

作詞家の水沢晶子さんとは?

――そうですね。『クリスマスモーニング』がB面です。
「あ、『クリスマスモーニング』ってタイトルですね。あのね、『クリスマスモーニング』はね、また新しい(作家で)… この水沢晶子というのは僕のことですから…」
――ええっ、そうなんですか?
「はい、これは僕が書いているんですよ、『クリスマスモーニング』というタイトルで。たしか10月発売だし欲しくなったんですね、クリスマスソングが。それでね、歌詞を書いてみた…」

7thシングル『がんばれ My Friend』『クリスマスモーニング』裏ジャケット

――なるほど。
「そうそう、それが3年目の秋か。B面はちょっとクリスマスっぽい感じので行きましょうかって言って、なんで僕にお鉢が回ってきたかはわからないけど… 
 そう、なんでお鉢が回ってきたかというと、96年4月に森下純菜がデビューしているんですよ。で、その森下純菜の曲は、MOOVeレコードの菊地(和久)さんという方が全面的にプロデュースして作曲・編曲をやっているんだけれど、詞は初期のころは僕が全部書いているんです」
――お、そうなんですか。
「そうなんです、96年の『いちごのしずく』『おちゃめなパイナップル』… 4作~5作ぐらいずうーっと書いているんですね。だから、そこで野間という人間は、いちおう作詞をすることができるぞ(笑)というのが何となく周りに伝わって、じゃあ書いてみようかって言って、あおいちゃんに初めて書いたのが、その『クリスマスモーニング』ですね」
――はあーっ(ちょっとびっくり)。
「だから、その前にあるわけです。森下純菜のフルーツ・シリーズが96年4・7・10月とあるんですよ」
――『いちごのしずく』『おちゃめなパイナップル』『二度目のチェリー・キッス』……
「次の『ホワイトピーチの純情』もそうなんですけれども、まあけっきょくフルーツ・シリーズで行こうと、菊地さんと相談してそういうシングルを作った」
――はい。
「はははっ(笑)、だから詞を書くことをそのころはかなり力を入れていた…」
――ああ、なるほど。
「という話です。フルーツのその四部作はよくできていると思う、僕は。タイトルにしても、アイドルのコンセプトとしてもね…」

――ほう。
「三部作とかよくあるじゃないですか、スタイルとして昔によくあった。例えば『ファーストデイト』『リトル・プリンセス』『恋はじめまして』というような、あの流れですよ」
――なるほどなるほど。ああそうか、水沢晶子名義の作詞でたくさんあるなあと思っていたんですが、これが誰なのかというのがずっとわからなくて…
「はいはい」
――いまはじめて正体がわかりました。

田村ゆかりさんも水沢晶子に注目!?

「正体ねえ、そうなんだよね。水沢晶子に関しては後日談があって、『アイドル冬の時代』を書いた斉藤さん、そのオリコンにいた斉藤さんから連絡をもらって、実は田村ゆかりちゃんがその水沢晶子さんに詞を書いてもらいたいと言っていると。で、探したんだけど水野あおいちゃんにしか出てこない名前で、野間さんならご存知かなって話が来たんですよ」
――はいはい。
「それで、これ書いているの僕ですけれど僕でもいいんですかね、と斉藤さんに返したら、もちろんそれでいいですって言って、僕はゆかりんとゆかりんのマネジャーと話をして、なにか2曲ほど書きました」
――あ、そうなんですか。
「うん、それはね、たぶん田村ゆかりがコナミ・ミュージックエンターテイメントから出しているアルバムの中に2曲入っていると思う。そういうのがありました」
――そうなんですか、アルバムですか。それじゃあ野間さん、たんまり印税が…
「そう、5円とかね(笑)入ってきたりしますよね、1年に1回…」
――ははは(笑)
「そういうことがあった。だから、この作詞家さんは、ゆかりんから依頼が来るなんてなかなかいっぱしの作詞家なんです(笑)」
――なかなかですねー(笑)このまま独立して作詞家さんで…
「ほんとにね。だから、それで斉藤さんとつながっているわけですよね、斉藤さんが間に入っていると言うべきか… で、ゆかりんがそうやって水野あおいを意識していたというか、まあ影響を受けていることはそこだけでも間違いのない話なんですよね」
――その作詞を依頼されたのは、田村ゆかりさんが水野あおいさんのラストコンサートに行かれた後ですか?
「現役のころですよ」
――それでは、田村ゆかりさんは水野あおいさんの現役のころから… かなり前から注目して聴いていたと…
「そうですね。だから、それこそ堀江由衣ちゃんと『やまとなでしこ』を組んでいたころっていう感じなのかな、時系列的にはね。実際にニッポン放送かな、そこであおいちゃんとゆかりんが遭遇したことが一度あるんですよ。あおいちゃんが収録に入ったときに、僕にゆかりんが「あおいちゃんのファンなんです」「お泊り会とかありますよね」って言うんですよ。「いつもみてます」って言われたことはあります」
――へえ。
「ファンの集い、ってものに興味津々だったんでしょうね。水野あおいの活動を、まあウォッチしているというか、そういうことだったんじゃないかなあ」
――ファンクラブも入っていたんじゃないでしょうか?
「可能性はありますよね。この水沢晶子というペンネームにはそういう小話があります(笑)」

田村ゆかり・1stアルバム『天使は瞳の中に』2001年7月4日リリース
3.まっすぐな心
  作詞:水沢晶子、作曲:pri、編曲:pri・Acryl Vox
7.天使じゃなくても
  作詞:水沢晶子、作曲:miso、編曲:miso・Acryl Vox

Wikipediaより

――ちなみに水沢晶子というペンネームを付けたのは何か理由が…
「これは、水野あおいという名前と共通するところがあって、水で始めて、水晶というか、クリスタルという感じ、透明感があっていいかなと思って付けているということです。まあちょっと沢田聖子さんの(名前の)読みもいただいておりますけれども。そういう感じの女の人が書いている方がよいだろうと…」
――ああ、イメージとして、女性が書いた女性らしい詞ということで…
「そうですね、それで『クリスマスモーニング』という曲ができたんです」
――ハイテンポで明るい曲ですよね。
「そういう感じですね。クリスマスになんかもらえたんですよね、それはニコニコしますよね(笑)。朝に目覚めたら何かが枕元にあるっていう詞だったと思います」
――なるほどなるほど。

「96年は、森下純菜デビューというのがあったので、ちょっとあおいちゃんに対しての… 一人でなくなった分、ちょっと大変になっていて、少しあおいちゃんの方が手薄とは言わないけれど、若干かけられるパワーが落ちたかもしれないですけどね」
――そうですか…
「活動の幅が、あおいちゃんの場合はライブとキャンペーンに限定されているのが、純菜ちゃんの場合はビジュアルの水着展開があって、それでやれ写真集だ、グラビアだっていうのがけっこうあったから、それにちょっとエネルギーが取られたっていうのはありましたね」
――それは、森下純菜さんの現場には野間さん自ら行かれて…
「そうですね、あおいちゃんの方はマネジャーさんが付いていて、私が純菜ちゃんのケアをしていた時期があったと思います。どうしてもグラビアの現場はちょっと僕でないと、というのがありますからね」
――そうですね。グラビアだと、カメラマンやスタイリストさんらとコンセプトを合わせて… 
「そうそう」
――写真撮っている現場も見守らないといけないですからね。
「多少、そういう業務もありますからね、そうそう」

次回は、96年のアルバム『dear my friend.』の話です。


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