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野間真さんインタビュー#15 ~「Final Live "Love Songs For..."」~

あおい伝説・最終章

――2000年のファイナルライブについてお伺いします。
「最後のライブは(東京・渋谷)ON AIR EASTだったかな。2000年1月に『Love Song』を出して、2000年3月20日が最後のライブですね」
――そうですね。
「99年は、ほとんど僕はちょっと一歩引いたところにいたような感じですけれど…」
――はい。
「森下純菜と徳永愛でちょっと忙殺されていたけれど…」
――うんうん。
「2000年2月に名古屋・大阪のライブツアーがあって、東京はON AIR EASTだということは発表されていたんですね。だけど、2000年3月に引退するという発表は、大阪のライブの時に、“あおい伝説・最終章”というチラシを作って、まず大阪に来たお客さんにそれを配った。それが最初の告知なんですよ」
――ほう。
「これは、オリコンの斉藤(貴志)さんのところにも挨拶に行って、引退しますという記事を載せてもらったり、いろんなところに行ったんだけど… あのね、『SPA!』って雑誌はまだありますか?」
――『SPA!』はまだありますよ。
「『SPA!』に中森明夫さんのコーナーというかコラム的な枠を持っていたんで、中森明夫さんに挨拶に行って、中森さんがその大阪のライブよりも前の『SPA!』で告知したらダメなのって言って来たから、ダメですって言って、その後に改めて取材を受けたことがありますね。中森さんはもともと篠山紀信さんの撮る巻頭グラビアのコーナーを持っていて、「ニュースな女たち」っていうコーナーがあったんですよ」
――ああ、ありましたね。
「そこで、水野あおいを見開きのところで使って、こういう世界があるっていうのを取り上げてくれたことがあるんですね。だから、そういう縁があって… アルテミスは面白いねって中森さんが言うんですよ、なんか野間さんを見ていると千石イエスのようだって…」
――ははは(笑)それはなんとフォローすればいいのやら。
「ねえ。最近、映画にもなっていますけど。千石イエスって…」
――不思議な布教活動を行っていて、女の子たちを集めていて、周囲からは不審な眼で見られているんだけれど、その女の子たちはすごく幸せだという…
「そう。そういうことが中森さんは言いたかったんだと思いますけれど。野間さんは千石イエスみたいだからな、って言って…」
――ははは(苦笑:似ているような違うような)
「よく分からない比喩だったんだけれど…」
――それはそうですね。女の子たちの夢を実現させているんですから。
「まあ、けっきょく手伝っているだけではあるんですけれど。そこは、まあ、こういう歌のアイドルでも、今の撮影会をやっている状況でもあまり変わらないです」
――うんうん。
「みんな寿命が長い。だって、まだ森下純菜がいて、徳永愛がときどき出てくるとか、それにあおいちゃんまで戻ってきたから、アルテミス系の人はホントにみんないるじゃないですか」
――ああ、ホントにそうですね。
「誰がいるんだっけなあ。秋野ひとみとか、水野奈央子とか、そういう人たちもいたりするしなあ」
――秋野ひとみさん、水野愛日さんは大山さんの追悼ライブにも出演していましたね。
「そうですよね。あまりそういう話ってほかの事務所では考えられない」
――歌をずっと続けていたりとか、ライブをやり続けていたりとか、さらに歌うために戻ってきたりなんてことは聞かないですね。
「そうなんですよね。だから、そこが独特の世界観というか… 女の子たちがたぶん楽しかったんでしょうね」
――楽しかっただけでなくて…
「ずっと楽しいんでしょうね。だって、義務感でやり続けるなんて続かないです、やっぱり好きでないと… その好きだという根本には、たぶんお客さんとの関係性があるんだろうなあという気はしますね」
――うんうん。
「お客さんが、いいお客さんというのかな、あったかい。そういうところがあるのと、当時のお客さん同士がけっこう仲よくなっていると思います」
――はいはい。
「ここに行けば(みんなに)会えるみたいにね。そういう一つのコミュニティを形成していることは間違いないです」

なぜ大阪のライブで発表を…

――話は戻りますが、引退の告知を大阪のライブまでしなかったというのは、なにか思いがあったんでしょうか?
「時期のことよりも、どこで告知をするかということで、お客さんの前が "いの一番" でないと、自分の中で納得がいかないというのがあったんですよね。チラシはお客さんが帰る時に配ることにして、それまでは伏せておいて、あおいちゃんが大阪のライブの夜の部のいちばん最後のMC——アンコールのMCで、3月の東京のライブで私は引退します、ってMCをしたという。そのときは、シーンとしていましたけれど…」
――(ファンは)びっくりしたんでしょうね。
「びっくりはしますよね。ただ、何だろう… いつかは来るだろうと思っていたファンの人はやっぱりいたでしょうね。そこから一斉に… 2月下旬から3月のあたまぐらいにお世話になっていた各雑誌で、小さい紙面ではあるけれども記事が出て、そこからチケットがめちゃくちゃ伸びた」
――ほう。
「普通にやっていれば、150人とか200人とかだったのが、そこから300・350・400と伸びていって、450人ぐらいまで行っていたのかな。で、けっきょく当日券で500人を超えて会場の人が、もう消防法で入れることができないので、って言って打ち止めにしたという感じでしたね」
――ホントに満杯でしたよね。
「ON AIR EASTはすごかった。お客さんが青いサイリュームを…。お客さんの中でその“偉い人”がいるんです。“偉い人”というよりももう“偉いグループ”なんだね、入場者全員にその青いサイリュームを配っているんですよ」
――みなさん一体となって盛り上げようと…
「そうなんですよね、一体感を作り上げようとしていたのがあるんでしょう」
――私も何を見て知ったのか憶えていないんですが、このラストコンサートは、ぜったいに見に行かなければと思って行きました。
「ああ、ON AIR EASTに来ていただいておりましたか。それはそれは恐縮です」
――見に行かなければならないという使命感で(笑)
「なるほどなるほど。でも、あの日のことって、よく憶えていないです」
――あれ?そうですか。
「なんかね、そこ、記憶が飛んでいるんですよね。最後にタクシーを呼んで、お父さん、お母さん、お姉さんとあおいちゃんの4人を見送ったってところは記憶に残っているんですけれど」
――すごい1日でしたよね。
「ちょっとびっくりしたんです、こんなに人が来たっていうのが。目黒区民ホールの沢田聖子さんのときが330人ぐらいだったんです。それを遥かに上回って600人近い人が来てくれたので…」
――立ち見でぎっしりでしたね。まさに惜しまれながら引退したという感じでした。そして、また活動を再開したというのはホントに嬉しいことです。


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次回のnoteは、水野あおいさんからみた「いちばんアイドルらしかったとき」とは?

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