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野間真さんインタビュー#04~水野あおいさんのライブのあり方~
『あおい伝説』秘話
――ところで、少し特徴のあるアルバムCDで、「くますけ」という…
「『Aoi Special Edition ~フリル通りのくますけ~』というタイトルのアルバムですね」
――あのCDはコンセプトアルバムですよね。
「そうですね」
――朗読しているし、「くますけ」というキャラクターが…
「そう、キャラクターがね」
――「くますけ」はどこから生まれたんですか?
「くますけは、本人が持っていたぬいぐるみです、もともと熊の… ちょっと不良品なのか、足のくっつき方がおかしいんですけど、目が合って買って欲しそうだったから買った、と言っていたので、そこからあのくますけ物語が多少膨らんだという…」
――ということは、実話なんですね。
「実話です。よくそんなのを聴いていますね(笑)」
――聴きました。
「すごいなそれは(笑)」
――あのセリフを書かれたのは、野間さんですか?
「そうです、僕です。ちょっとどうなるかは分からなかったけれども。まあ心温まるような話には仕上がったという感じでした」
――あのアルバムは、一回聴くとちょっとクセになりますね。
「そうですか(笑) 何が入っているんだろう、曲は。ベスト盤みたいな感じなのかな」
――(アルバムの曲順を告げると…)
「ミニベストみたいな感じですね。そうか、これはセンチュリーがちょっと小銭かせごうとしてやろうとしたものだな。それだったら、トークとかお話を入れましょうか、ということを僕が言ったというか… ただ、そのモノローグとかラジオドラマのようなところは、多少声優さん系のような引っ掛かりはありますよね。実際に声優をやっているわけではないけれど、まあそれはそれで…」
――声で演じていますよね。
「そうですね。そこはよかったですね」
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表裏のジャケ写は大山文彦さん
――そして、『あおい伝説』という曲ですが…
「『見つめていたい』という3枚目のシングルのカップリングですね。そこは期間があいたんですよね、センチュリーがもうお金がないとか言って。3月の次が12月ですから、その夏は『春の輝き』で乗り切ったという…(笑)まあ弱ったなあと思いながら… だからそれはうちでお金出しますからやりましょう、って言った」
――そうだったんですか。いきなり「伝説」というタイトルが出てきました。
「ライブで盛り上がれる曲が欲しくて、それもあって『あおい伝説』をカップリングに入れておこうと。これはですね… 沢田聖子さんに渡したもともとの原案は、堀ちえみです。堀ちえみのアルバムの中に『CHIEMI SQUALL』(ちえみスコール)というのがあるんです。“ちえみ(好きさ)”…って、自分の名前を入れて盛り上げるといった曲で、その曲を沢田さんに渡して、あおいという言葉が入って盛り上がる曲を、と言って依頼した、そしてできてきた。すばらしいですよね」
――あの曲はコンサートの定番ですね。
「あの曲のイントロが流れたら、みんな立ち上がるみたいな曲で、うん」
――コンサート向けというと『Dan Dan』もそうですね。コンサートでわっと盛り上がる。
「そうですね。盛り上がる」
――それをB面に置くという… 『恋のはじまり』のB面が『Dan Dan』です。
「はいはい。そうなんですね」
『天使のU・B・U・G』に出演
――やはりコンサートやライブを意識されていたんですか?
「もう完全に、そこに特化していたと思います」
――94年にデビューした頃には、もうあまりテレビには出られない?
「もうそうですね」
――『天使のU・B・U・G』といった番組でゲスト出演のタレントとして出るしかない…
「まあ、そうですね。あの番組を取ってきたのは、当時井上麻美のマネージャーをやっていたHさんという女性マネージャーがいましてね。アルテミスに井上麻美が移ってきたんですね」
――はあ、なるほど。
「94年3月か4月に契約が切れた状態で、それでHさんから、あおいちゃんがいて立ち上げた事務所だったら、井上麻美を連れてやっていきましょうという話で。彼女は以前CoCoのマネージャーをやっていたんですよ」
――あ、そうなんですか。
「その人脈を使って仕事を取ってきてくれて。井上麻美で決まったんだけど、たくさん募集しているから、あおいちゃんもよかったらオーディション受けてみて、って言われて通ったっていうのがありますね」
――その頃には、歌番組もぜんぜんなくなっていて…
「そうです。歌うようなコーナーは最初からほぼないですね、バラエティーですよね。今田耕司・東野幸治という2人のコウジが司会をやっていて、相楽晴子がアシスタントでいたんですね。けっこういろいろ出ていたんです、山口リエとか堀江奈々とかいたのかな。あとは…そうですよ、華原朋美がいた、遠峯ありさという名前で出ていました」
――ほうほう。
「まだ、小室さんに引き取られる前で、遠峯ありさという名前で出ていましたね。そうそう、そんな不思議な番組でした(笑)下積み番組ですよ。まあ、90年代アイドルというか、そういうカテゴリーで活動していた人を寄せ集めたような番組でした。視聴率が取れていたのかわからないんだけれど…」
ライブアイドルへの道
――彼女のいちばんの武器である歌は…
「歌えないですよテレビでは。歌えない、まったく歌えない。歌うような場面はない。だからライブとキャンペーン、そういうことに…」
――本人としては歌いたいけれどライブやキャンペーンでしか歌うところがなく、野間さんもそれでやっていこうと。
「そうですね」
――最初からそういう方針で。
「もうしかたがない。やむをえない。そもそも歌番組っていうものが減っていたわけですからね。テレビで歌うなんてそういう文化は、ほぼなかった」
――でも、彼女は歌で聴かせることができたから、ライブやキャンペーンで歌う「ライブアイドル」という道を目指せたんでしょうね。その頃、「ライブアイドル」というのはどういう形式でやっていたのでしょうか。Youtubeなどでみると、いろいろな地方に行ってステージで歌っているのを見たりします。
「それは、シングルのキャンペーンやイベントといったものですね。オープンなスペースで」
――そのほかに定期的にライブハウスで活動をする?
「ライブハウスを借りてソロライブをやる、というのを繰り返して、そのほかにときどきファンの集いをやる」
――ソロライブはどのぐらいの頻度でやっていたのでしょうか?
「ソロライブはですね、春・夏・冬、3回やればいい方ですかね、東京だけでやる回もあれば、名古屋、大阪でやるって回もありましたけれども。そういう活動をして、ライブでのお客さんを地道に増やしていく… 告知も媒体もほとんどなかったですけれども」
――ライブをやると、お客さんは50~100人とか来るんですか?
「来る。もう全部行くっていう人が50人ぐらいいましたよ」
――それはそれは。
「そういう人たちがいて、支えられていたんですね。大阪のバナナホールや、名古屋のハートランドとかを定期的に使っていて。東京はどこでやっていたんですかね」
――今の人からみると、ライブアイドルというのは秋葉原でやっているというイメージなんですが、当時は違っていたんでしょうか?
「違っていたわけです。秋葉原というのはそういう聖地ではなかった。まだ普通の電気街だったんです」
――例えば、渋谷とか…
「ライブハウスで言うと、やはり渋谷とか新宿、高田馬場…まあそのあたりを使っていた気がしますね。ただ、年1回の誕生日だけはちょっと大掛かりにやっていました。区民センターとかそういうホールのようなところでやっていたかな」
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ソロで10~15曲聴かせる力量
――なるほど、誕生日はコンサートホールを借りて…
「そうですね、小さいですけれども…」
――95年の目黒区民センターに行った憶えがあります。
「はいはい、沢田聖子さんがゲストで来てくれたところですね。年1回ホールで行ったコンサートは、ライブとはちょっと違う感じでやりました。それでも、会場の規模としては500人規模ぐらいだったでしょうか。お客さんも200~300人の間ぐらいは来てくれました。いま一人でそれだけ集められれば、すごいんでしょうね」
――そうですね、ソロで集めているんですからね。
「そうなんです。そこも、今(のライブアイドル)とは違うところで、今だと誕生日ライブとか言ってもごそっとゲストが出演していて… なんかよく分からなくなっているような感じですね」
――たしかによく分からないですね。
「ソロでしっかり1時間半ぐらい聴かせられるっていう力量の人が減っているのかもわからないです。ユニットならまだしもソロで15曲歌うっていうのは、なかなかないですよね」
――そういう意味では、70~80年代のコンサートの王道をきちんと守っていますね。
「そういうことですね」
――ライブアイドルと言いながら、その王道でライブをやっていたということですね。
「そうですね」
――最後のラストコンサートでも、昼の部はアルテミスの人が集まってのライブでしたが、夜の部では最後までその王道で完結しましたね。
「そういうことですね。そうそう、ソロアイドルなんですね。今はないですね、ソロアイドルというのは。もちろん一人でやっている人はいると思うんですが、そんな10曲15曲を歌えるかっていうのもあるし、オリジナルの曲をそれだけ揃えるのも大変だし。あとはオリジナル曲のクオリティですよね、そこが今の人たちのライブを聴いていてもちょっと弱いなという感じがしますね」
現在のライブアイドルのあり方にちょっと苦言も……
――私は、今の人たちのライブをそれほど知っているわけではないんですが、曲がずっと同じように聴こえますね、メロディアスでないというか。
「そうですね、そういう感じがします。まあ、今はそれが流行りと言ってしまえばそれまでなんですが」
――そういう曲のなかで、とにかくダンス(踊り)をしていますよね。もちろん今のライブの形式を否定するわけではないですが、歌ではなくてパフォーマンスが中心になっている。
「はいはい、そうなんですよ。お客さんもあまり曲を聴いていないように見えるからな。オタ芸とか打っていてたぶん曲を聴いていないよ(笑)。だからMCなんて、もうぜんぜん聴いていないかもしれない(笑)」
――歌もMCも聴いていないんですかねえ。
「そういう意味では、少し希薄な感じがしますよね。女の子の“人となり”が見えてこないじゃないですか。それはね、もう非常に残念なお話で… しっかり歌を聴かせて、しっかりお話できる、そういう子がいたらいいんですけどね。もう僕も現場には行っていないから、もしかしたら隠れている逸材がいるのかもわからないですけどね。ただ、プロデューサーというか、やはりある程度、知恵を授けるような人がいないと厳しいですよね」
――世代として伝えていくべきものを、おそらくプロデュースする側も伝えていないんでしょうね。
「そうだと思います。そういう点ではみんな断絶していると思います。残念ですね」
この日、最後に
「2000年3月に水野あおいが引退をしている、そこから20年以上、大山さんのサポートのもと、森下純菜がかんばってきたんですよね」
――ずっと、やり続けていますね。
「定期ライブでがんばっているんです、すごいんだよね」
――そして、2023年夏に水野あおいさんが復活したと聞いて、あおいさんのスタッフもファンもまた集まりだしていますね。
「そうなんですよ、やっぱり皆さんね、20年経っても集まるっていうのがすごいですね。水野あおいの力なんですよ」
――ああ、たしかに。水野あおいさんの求心力はすごいです。
「ああ、すごい。ホントにすごいですよね」
次回からのインタビュー記事は、シングルCD、アルバムについての野間さんの解説になります(乞うご期待)