野間真さんインタビュー#07~ちょっと脱線!「地下アイドル」とは何か~
――これはあとで聞こうと思っていたんですが、ちょうどその言葉が出てきたので。「地下アイドル」という言葉に対して、野間さん自身はどう思われているんでしょうか? 例えば、水野あおいさんが「地下アイドル」と呼ばれるのに対して抵抗はありますか?
「抵抗はまったくないですね」
――ああ、そうですか。
「まったくないですね、地下ですよ、まさに」
――野間さんのイメージする「地下アイドル」という言葉とは、地上波に出れないという意味での地下なのか、それともライブハウスの…
「ああ、ライブハウスが地下にあるからね。それは、地上波ですよ。地上波に出ていないので、自動的に地下になるんです。たしかにちょっと意味合いが違いますよね、だって、地上波というのは衛星放送とかの対義語だから。地上というのは、普通に目に触れる機会があるという意味での地上波であって、そこで目に触れないので自動的に地下であるという…」
――普通に目に触れる機会がない、対比としての「地下」ということ…
「もちろんライブハウスが地下にあるのが多いってことは、一つの意味の掛詞ではあるけれども、でもそれは後付けですよ」
――ああ、そうなんですか。
「はい」
――なるほどなるほど。たぶん今の人は後者の方で…
「その物理的に地下にあるからってことでね」
――その方で捉えている人が多い可能性があります。
「たしかにそうかもしれない」
――地上波に出ている出ていない以前の問題になりつつあるので…
「うーん。そうですね。地上に出て歌を歌うアイドルってもういませんからね。そうなんだよな、まったく意味として地下という言葉は地上波との対比では…」
――たしかに今でも地上波にはAKBや乃木坂関係、あとはK-POPグループあたりは出ていますが、もうその独占状態で。
「ああ、今はね」
――あとは80年代のビデオが流れて、あの時は懐かしかったね、とわれわれ世代あたりが振り返る程度ですね。
「だからわれわれ世代がターゲットですよね」
――テレビはもうそういう高齢者層がターゲットになっていますね。
「うーん」
――そういえば、宮前真樹さんが9月上旬のライブ配信で、山川恵津子さんを招いて1時間ほど語っていたのですが、「アイドルの冬の時代」——要は、テレビでアイドルの歴史を語るときに80年代、おニャン子クラブがあって、その次はモーニング娘に飛んでしまう、われわれのことはごっそり省かれてしまう、歴史として忘れ去られているというようなことを述べられていたんです。
「うんうん」
――やはり80年代後半ごろから90年代までの…
「そこは10~15年ぐらいありますね。メディアとして取り上げない空白地帯があります。それは分かるな、残念ですよね。CoCoであれだけ頑張ったまきボーからすればね。自分たちだって頑張っていたんだぞって思いますよね」
――武道館コンサートもやりましたし、解散コンサートも大きなホールで全国ツアーしていましたよね。
「やってましたね」
――ごっそり省かれてしまうというのは、たしかに彼女にしてみれば不満だろうなあと。それもあって、レジェンド・アイドルという大山(文彦)さんの活動を半ば引き継ぐようなかたちで…
「まきボーがやっているんだな」
――その可能性はありますね(勝手な憶測、すみません!)。
「私がメリーゴーランドでかかわった井上麻美とかQlair(クレア)とかもまさにそのゾーンにいるわけですよね。その辺の世代から、水野あおい、森下純菜は90年代半ばですから、そこはもう(業界的には)下がっていく一方なんですよ。あの辺の人たちっていうのは不遇ですよね。そのあたりからはどんどん冬になって、その冬に僕は井上麻美で91~93年の前半ぐらいまでマネジャーをやって、さらに冬でメリーゴーランドの森本社長も(アイドルから)撤退して、そこから水野あおいなわけですよね。ホントに何ともはや、冬どころかもう凍ってますよ(笑)」
――極寒、氷河期ですね!
「だからまだ、サンシャイン噴水広場とかでやってね、500人1000人握手会に並んだっていうのは、ぎりぎり姫乃樹リカとか小川範子は88~89年あたりでいたけれども、もうそこから後ろ、つまり90年代に入ったらもはや何もない…」
――88~89年あたりですから、やはり昭和天皇が崩御されたというのは大きかったんでしょうか?
「大きかったんですかね。あの88年組ってところの… 88年暮れですよね。各音曲の類はいっさい自粛となった、音楽祭とかはいっさい開かれなかったのは88年の暮れですよね。そう、そこで、仲村知夏とかはね新人賞のレースはしっかりやっていたにもかかわらず何にもなくなったからね、大変残念なことになったというのは間違いないですね。あの年の子たちはもうぜんぜん… いたでしょう、相川恵里とか藤谷美紀とか」
――メガロポリス音楽祭ぐらいまでは何とかあったのかな?
「出ていたかもしれない、でも自粛でやられているかもしれない。そうなんですよね、新人賞レースというのが成立しなかったのは88年ですよね」
――その本当に凍っている状況で、森本社長もアイドルから撤退する、アルテミスで独立するっていうときに、森本さんから何か声を掛けられたことってありました?
「まあその… 野間ちゃんはもうしょうがないなあって感じでしたよ。とにかくアイドルを好きなのか、アイドルをプロデュースしたいのか何かよくわかりませんけれど、そういう世界観というものを出せる――水野あおいだったらちょっと出せるような感じがしたので。彼女もアイドルが大好きな人だから、それでよかったんですよね。だって(森本社長が)アイドルやらないんだって言うんだもの、井上麻美が引退なんだから。もうそれはしょうがない」
――逆に言えば、野間さんがメリーゴーランドにいる意味は、もはやないということで。
「そういうことですね」
――もう独立をして…
「そう、せざるを得ない」
――ということで、デビューから3曲でこんなに脱線してしまっていますが…
「まあ、いいんじゃないですか、面白い」
――94年に『恋なのかな???』『春の輝き』『見つめていたい』の3曲を出しています。
「出しました、はい」
――これは素晴らしいですよ。
「テレビにも、その『天使のU・B・U・G』があったことにより、少し知名度が上がったかな、というのはありましたね」
さてさて、次回は話を戻して1995年リリースのシングル、アルバムの話になります…