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胎動期の記憶3 母の日記 

母親はひどく卑しく矛盾した人間であった。

たとえば、あまり見られたくない秘密を書いたノートを引き出しの奥に入れていたのも勝手に見て、弟の前でも構わず内容を馬鹿にするので「親子でも他人は他人だ」と反論したが、「親子は他人ではない」と返す。
しかし、一方で「親子だろうと銭金は他人」だと言い、親の見栄で地元でもそこそこの歴史ある進学校に通ったものの、大学に通うのは贅沢でそのツケは本人が奨学金という借金で背負って然るべきという考えの持ち主だった。

母が高校生の頃は、今よりも優秀な進学校だった我が校も、女子生徒は短期大学に進学するのがせいぜいで、四年制大学など嫁入りが遅れるだの金の無駄遣いとされてきた。より学の価値を理解していない祖母の受け売りもあるのだろうが、何かにつけ昭和の基準で生きているのが母という生き物なので、令和の今も四年制大学に通う女子大生を見て贅沢だと思っているのだろう。
平成からはこんな田舎でさえそうでなくなったというのに。


さて、話がそれてしまったが、私が母にいじられなくなったきっかけの話をしよう。
先ほども書いた通り、隠し事を書いたノートや友達との交換日記を勝手に読んで弟の前だろうと内容を暴露し、馬鹿にする母には本当に腹が立ったので当時はプライバシーという言葉は知らなかったが、「親子だろうと他人は他人だ」と抗議していた。

しかし、私の事をペットの所有物としか見做していなかったのか。障害故に言葉の真意が伝わらなかったのか。どれだけ怒っても母が懲りる事はなく、困り果てた私は今までの憤りが高まっていた事もあり、母と同じ事を仕返しにする選択をした。
ちょうど両親の寝室の本棚には、母が昔付けていた日記が無防備に置いてあり、十歳になった私の身長なら難なく手の届くような位置に仕舞われていた。


同じ事をしたら、さすがに止めてくれるだろうと思って開いた日記は私が五歳くらいのもので、最初に目にしたページは正月の親戚の集まりについてだった。
記憶を頼りに内容を書くと、
「今日に限っていつも可愛いお利口さん長男がぐずっていて、いつも憎たらしい長女(私の事。以下A)は何故か落ち着いている。普段なら真逆なのに。本当に腹が立つ」
他の日にも
「Aは本当に見ているだけでイライラする。自分に似ているところが本当に嫌になるし、要領が悪いところも見ているとうんざりする。本当に可愛くない。今日も見ていて腹が立って怒鳴ってしまった」
こういった感じで、私がいかに疎ましいか。その愚痴が書かれていたのである。
気のせいだとすら思わないようにフタをしていた何かが、白日のもとにさらされたような心地がした。何故、こうも私は疎まれ、弟は同じ事をしてもお咎めなしなのか。母が素っ気ないのか。分かりたくないが、分かってしまった。


その頃だろうか、〝可愛くない〟という呪いが私を苦しめるようになったのは。
それからこの頃から、本格的な自傷行為の始まる前触れとして「可愛くない私は要らない子なのだ」と母にひどく傷つけられると、今までの自分の存在ごと消してしまいたい衝動に駆られて、幼稚園の卒業アルバムにカッターを入れるようになった。


もしも、この記事を読んでいる人に子供を持つ人がいるのなら自分のSNSの管理には気を付けて欲しい。愚痴のつもりで書いたものだろうと何だろうと、それは成長した子供が目にすればひどく傷付くものだから今は違っていようとも、あなたはそれを消すなり隠し通すなりしなければならない。
一度傷付いた信頼関係は、簡単に修復できるものではないのだから。


母の日記を読んだと自分から暴露したのは、それからしばらくして母に些細な事を叱責された時にだったと思う。「私は弟と違って可愛くないもんね。日記にもそう書いてあったし、見てるだけでイライラするんでしょ?」記憶が曖昧だが、こんな調子だったと思う。
それから、近くにあった中身も入ったピアニカの箱で思い切り自分の頭を殴りつけた。記憶に残っている、最初の自傷行為だ。
母は私を止めたが、その行動の根っこにあるのは自己保身だったのではないかと思う。

だって、面と向かって可愛いと言われる事はその後もなかったのだから。
結局、母という人は私を今も縛り付けている呪いの言葉をかけて苦しめながら、自分を悔い改める事はできなかったのだから。

その時だけ、わっと何か言い訳をしてきたが結局私は可愛くない子供で、ほとぼりが冷めれば理不尽な冷遇を受けた。


優遇され、家の中心にいるのはいつだって要領のいい、可愛い、、、可愛い上の弟だった。


弟の習い事の野球が我が家の中心になり、どれだけ私が勉強で頑張ろうとも努力を評価される事はなかった。
私が話題になる時は、何かを叱責されると時くらいなもので、リストカットをしても馬鹿が何かしていると冷ややかな視線を送られるくらいだった。


この〝可愛くない〟の呪いを少し楽にしてくれたのは、皮肉なことに赤の他人で、なのに実の家族よりも何かと気の合う母と同年代ほどの外見の女性であった。好き嫌いがはっきりしていて、無暗にお世辞の言わない自分に素直な気性のその人が、久々に会った時に「なんて可愛いのって思ったわ」と、疑り深い性分の私でさえ信じない方が失礼だと思うほど真っすぐな調子で言ってくださったのである。
その時の事を思い返すと未だに感極まって涙が出るが、それでもあんな毒親と見下げている人間だろうと親には変わりないので、まだ私の〝可愛くない〟の呪縛はとけそうにない。

好感度で母を圧倒するその人に言われても、やはりそれとこれとは悲しいが別なのである。


だが、母は私を救いはしない。話し合いすらしない。
昔から、何をしても原因を聞こうともせずに悪気なくした事であっても、悪意による行動と一方的に決めつけ取り合おうともしなかった。あまつさえ、父に追加のお説教をさせる事もあった。

大人になって対等な力関係になっても、私の話は聞かない。同じ言葉を話しているのに、まるで宇宙人みたいに内容が通じない。何が苦しくて悲しかったのかさえ伝わらない。
そんな事を今さらと、私を恨みがましい人間だと罵倒する。
あまりに心無い言葉に傷ついて、生まれてこなければよかったと思い母子手帳を破ったが、後で母に見つかった時に母は自分が被害者として振る舞い、なぜ私がそうするに至ったのか耳も貸さずに私を罵った。それだけの事をさせたのは、他でもない自分自身なのに。


発達障害に他人に気持ちを察するのが困難という特徴があるが、母の場合はそれだけでなく理由を聞こうとしないのだから最悪である。
母自信がまるで反省のない人で、周りも発達障害の傾向が強い人たちばかりで、わがまま気ままの触れ込みをされている私の肩を持つ人間は出てくるはずもないだろう。

頭でも派手に打って記憶喪失になったら変わるのかもしれないが、周りの人間がまた私の事を勝手に触れ込んでくるので、結果は大して変わらないと思う。
自分の障害を引け目に感じることなく、出てこないで欲しい時に勝手に図々しく出しゃばるのが母で、今さらどうこうなる訳でもなくただただ私の人生の苦しみが延々と続くだけなのだ。もう、あんな母親とあんな保護者の家庭に生まれた時点で私の不幸は決定していたも同然だ。


ところで、仏教の六道だと畜生道は下から数えて三番目で、人間道はその二つ上にあたる。だとしても親がこのザマでは貧乏くじどころでないし、どうせ産まれるのなら私の〝可愛くない〟の呪いを解きほぐしてくださった方の飼い猫に生まれたかった。
異世界転生でチートができるようになろうと、私が私でこういう心の傷を負った人間である以上、生きることを楽しむのは難しいと思う。ならば気持ちの悪い発想でも、現実世界で親愛の情すら抱いている人の飼い猫になって都合の悪いことは25gの脳みその外に追いやって、私という自我すらも消し去って畜生道を満喫したい。




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